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第六章:奪う者と奪えぬもの

乾いた道を歩いていた。

空は高く晴れ渡っていたが、どこか冷え冷えとした風が頬を撫でていた。

草も灌木もまばらな平原を縫うように続く一本道。

その道を、僧と少女は言葉少なに進んでいた。


「……なんか、空気がぴりぴりしてる」


少女が呟いた。

僧は前を見たまま、静かに頷いた。


「人の声がしない。それでいて、風が緊張している」


そして数歩先に進んだそのときだった。


遠くから、甲高い叫び声が聞こえた。

それに続く、罵声、泣き声、物が壊れる音――


ふたりは、斜面を登り、丘の上へと駆け上がった。


見下ろす先に、小さな集落があった。

泥で塗られた壁が半ば崩れた家々が、数軒まとまっている。

その中央に、十数人の盗賊たちがいた。

刃物を手にし、馬に乗り、家々の中を荒らしながら住人たちを蹴散らしていた。


女が泣きながら子どもを抱えて逃げようとするが、男に突き飛ばされる。

年老いた者は声を上げることもできず、ただひざを抱えてうずくまっていた。


「……っ」


少女の拳が震えているのを、僧は見た。


「……今は、動いてはいけない」


僧の声は抑えられていたが、強く確信を持っていた。


「彼らは、目につくもの全てを奪う。命も、物も。

 今、ここで動けば、助けられる者も助けられなくなる」


少女は唇を噛みしめたまま、何も言わなかった。


ふたりは丘の陰に身を潜め、息を殺して盗賊たちが去るのを待った。

やがて、叫び声は遠ざかり、煙を上げながら馬の蹄が音を立てて去っていった。


「……もう行ったみたい」


「確認しよう。まだ潜んでいる者がいないとは限らない」


ふたりは慎重に丘を下り、集落へと足を踏み入れた。


壊された戸、倒された壺、血の跡。

人々は怯え、震えながら物陰から顔を出していた。


僧は駆け寄って声をかけ、少女も破れた布を見つけては傷を負った人に巻いた。


「お坊さま……水を……子どもが……」


村人のか細い声に、僧が応えようとしたそのとき――


「おい、こいつら!まだ何か隠してやがるぞ!!」


鋭い声が背後から飛んできた。


振り返った瞬間、僧は息をのんだ。


さきほどの盗賊たちのうち、五人が戻ってきていた。

先発の一団が村を荒らしていた間、彼らは周囲を見張っていたのだ。


「あの子、いい服着てるじゃねぇか。

 こいつも連れてけよ、売り物になるぜ」


「やめなさい!」


僧が前に出ると、すかさず拳が飛んできた。

頭の横をかすめ、僧は地面に倒れ込む。


少女の腕を、盗賊の一人が荒々しく掴んだ。


「やだっ! やめて! 触らないで!!」


少女の叫びが、村中に響き渡った。


「こいつ、口が利けるだけじゃなくて、いい目をしてるな。

 しばらく楽しませてもらうか」


「やめろ!! その子は関係ない! 私の命と……!」


僧が地に這いつくばりながら叫んでも、

盗賊たちは笑いながら馬へと少女を押し込んだ。


「じゃあな、お坊さま。説法でもしながら死ぬまで泣いてろや」


その声を最後に、少女を乗せた馬は走り去っていった。


僧は、その背を見つめたまま、声を失った。

何もできなかった。守れなかった。

立ち上がることすら、できなかった。


重い雨が降り出したのは、その数分後のことだった。


灰色の空。

泥濘んだ道。

逃げた者たちの痕跡すら、雨がすべてを洗い流していくようだった。


それから数日間、僧は休まず歩き続けた。

少女を追って、雨の中を、夜を越えて、朝を越えて、

飢えも、疲労も、重く沈んだ心も、振り払うようにして進んだ。


だが――


少女の姿は、どこにもなかった。


草に踏み跡はなく、風が全ての痕跡をさらっていった。

道の脇に座り込み、僧ははじめて、声を殺して泣いた。


「……私は……」


何を求めていたのか。何を守りたかったのか。

ただ問いだけが、胸の中で重なり合っていった。


その翌日。


乾いた風が吹き始めた午後。

道の向こうから、一人の影が歩いてきた。


逆光で輪郭しか見えなかったその姿が、徐々に明るくなる。


――少女だった。


無傷で、まるで何事もなかったかのように、歩いてくる。


僧は目を見開いた。

立ち上がろうとして、足が震えた。

けれど、その力でどうにか駆け寄った。


「……本当に、無事だったのか……?」


少女はくるりと回って言った。


「ただいま。……そんなに変な顔しないでよ」


そして、僧の前に立ち止まり、首をかしげた。


「あなた、泣いた?」


僧は言葉を返せず、ただ頷いた。


少女はいたずらっぽく笑ってから、ぽつりと言った。


「……わたし、怖くなかったわけじゃないよ。

 でも、なんでか――“見られてる”って思った。

 すごく遠くから、誰かに。

 だから、あの人たち、手を出せなかったのかも」


僧は黙っていた。

ただ、少女が目の前に戻ってきたという奇跡を、

抱きしめるように、胸の中でかみしめていた。

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