シュリマズル〜不幸の法則〜
シュリマズルとはイデイッシュ語で「不幸としか言いようのない人」の意である。
間抜田運平の人生は、不幸の天才による傑作だった。
傘を忘れれば土砂降り、拾った財布は空っぽ、祖母の形見の時計は突然のストライキ。
「僕、不幸の神様のお気に入りかな?」
笑いものになるたび、彼はシュリマズル――生まれつきの不運者である自分を、自嘲気味に受け入れていた。
だが、その日の雨は特に冷たく、彼の笑顔さえも洗い流してしまうほどだった。
まるで、どこまでも運に見放された、間の抜けた災難に愛される男、シュリマズルのように。
「もう、僕の人生、どうなってるんだ……」
呟く声は、風に掻き消される。
ある薄暗い夕暮れ、街外れの古びた屋敷で、運平は奇妙な老人と出会った。
白髪を風に揺らし、皺だらけの顔に鋭い眼差しを宿したその老人は、泥だらけの運平を見て、かすれた声で笑う。
「ほっほっほ……。少年よ、また見事な不幸っぷりじゃな。その泥、さぞかし肥沃な大地の香りがするじゃろうて」
「あなたは……?」
運平は気まずそうに尋ねた。
「わしは、不幸蒐集家じゃ」
老人は、まるで珍しい標本を見つけた学者のように、彼を興味深く眺めていた。
「不幸蒐集家? そんなものが……」
「まあ、そう警戒せんでも良い。さあ、中へ入りなさい」
運平は頭をかきながら屋敷へ足を踏み入れる。
埃っぽい棚には、割れた鏡や錆びた指輪など、世界中から集められた不幸の記録があった。
「これは……?」
老人はニンマリして言う。
「わしが長年集めた不幸の記録じゃ。運平くん、お前はシュリマズル――不運の化身とも言える存在だ。その不幸は、わしにとって生きた標本じゃよ」
「不幸に法則なんて……」
運平が言いかけるのを、老人は真剣な眼差しで遮る。
「ある。必ずな。不幸は単なる偶然ではない。そこにはパターンがある。わしはその法則を解き明かし、不幸を克服する方法を見つけ出そうとしておるのじゃ」
「僕の不幸が、誰かの役に立つんですか……?」
運平は半信半疑で尋ねた。
「その通り。お前の不幸は、不幸の法則を解く鍵だ。そしてそれは、不幸に苦しむ人々を救う希望の光となるじゃろう」
その言葉は、運平の心に小さな火を灯した。
「僕の不幸が、希望に……?」
彼は初めて、自分のシュリマズルーー何をやらせても駄目な人生に価値を見出した気がした。
「そうだ。お前は不幸を終わらせる光になるんだ」
シワだらけの瞼から覗く、吸い込まれるような黒黒とした瞳が、微かに光を帯びて、言い切った。
それから、運平は老人の研究に協力し始める。
毎日の不幸を記録し、報告する。
「今日は、バスに乗ろうとしたら目の前でドアが閉まって……」
「ほほう、見事なタイミングじゃな」
「笑わないでくださいよ……」
愚痴りつつも彼は真剣だった。
老人はそれらを分析し、ノートに書き込んだ。
ある日、老人が言った。
「運平くん、お前の不幸には共通点がある。お前が『何か』を強く願う時に、決まって起こりやすいということじゃ」
「願い……? 僕の願いが不幸を呼んでるんですか?」運平は息を呑んだ。
「その通り。人間の願いは、時に強すぎる力を持つ。その力が不幸の法則と共鳴し、災いを引き寄せるのじゃ」
運平は愕然とした。雨が降らないでほしい、美味しい食事がしたい――ささやかな希望が不幸の種だったなんて。
「願いが、不幸を呼ぶ……? じゃあ、僕はどうすれば……。」
呟く声は震えていた。
「心配はいらん。願いの力を制御する方法さえ見つかれば、不幸は克服できる。その方法は、不幸の法則を解き明かすことで見つかるはずじゃ」
その言葉に、運平の心は再び光を取り戻した。
「僕にもできることがあるんだ……!」
彼は決意した。シュリマズルを克服し、同じ苦しみを抱える人々を救うために、全力を尽くそうと。
それからの日々、運平は願いと向き合った。
強く願うことを恐れず、それをどう制御するかを模索した。
老人と共に不幸のパターンを紐解き、法則の輪郭を浮かび上がらせた。
やがて、研究は実を結び始めた。
運平の記録と分析が積み重なり、不幸の法則が明らかになってきたのだ。
そしてついに老人は結論に辿り着いた。
「不幸を克服するには、願いの力を制御し、人々の幸福のために使うことじゃ。これが普遍の方法だ」
運平はその言葉を胸に刻んだ。
「僕の願いが、みんなの幸福に……!」
彼は立ち上がり、老人の発見を世界に伝える決意をした。
不幸に苦しむ人々に自身の経験を語り、願いを幸福に変える術を教えた。
「僕の経験を、あなたと分かち合いたいです。あなたの願いが、幸福に変わるように、僕にできることがあれば何でもします。」
最初は小さな集まりだったが、やがて彼の声は多くの人々に届き、希望を求める者たちが集まった。
運平の活動は広がり、不幸に喘ぐ人々が立ち直っていった。
彼らは彼を「不幸を救った英雄」と呼び、その名は歴史に刻まれた。
だが、彼の物語は終わらない。彼は考えた。
「このシュリマズルを最大限に活かせば、世界中の人を幸福にできるのではないか?」
彼は老人とさらに研究した。
不幸を予知して危機を救い、願いを幸福に変える術を確立した。
その行動は世界中で話題となり、彼を頼る人が増えた。
いつしか彼は、「世界一幸福な男」と呼ばれるようになった。
かつて泥だらけで笑いものだった男は、今や人々の光となっていたのだ。
ある夕暮れ、運平は老人の屋敷を訪れ、静かに佇んだ。
「運平くん、お前はそれを人々の幸福のために使った。それが、お前が真の幸福を見つけた証じゃ」
「ありがとう、先生。あなたのおかげで、僕は……」
運平の声は涙でかすれていた。
彼は、静かな喜びに満たされている。
空には夕焼けが広がり、その色彩は彼の心のようにいつまでも輝いていた。
本読み企画用の書き下ろしです。
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通りますように。