33. 行き着いた先(※sideイルゼ)
「……な……、何よ、ここ……。う、嘘、でしょ……?」
幾日も幾日も粗末な馬車に揺られて、ようやく辿り着いた、私たち夫婦の新しい住まいだという土地。そして、その屋敷。
馬車から降りてそれを目にした途端、私は呆然と立ち竦んだ。
見渡す限りの地味な茶色い風景。実りの少ない荒れた田畑。虚ろな目をした痩せた男が、手にした作物を無気力にとぼとぼと運んでいる。
「…………。」
私はゆっくりと振り返った。そこにはまるでお化け屋敷のような、ボロボロの古い館。王宮はおろか、私の実家バトリー子爵家の屋敷とでさえ比べものにもならないほど、小さくて粗末な建物だった。
「嘘でしょう……、嘘って言って……」
私はもう一度呟いた。
私とウェインが国王陛下より移り住むよう言われた場所、旧モンクリーフ男爵領。そこは、華やかで最先端のあらゆる品物が揃った王都とはあまりにもかけ離れた、寂れきったド田舎だった。
「冗談じゃないわ!!こんな場所に住めるわけがないでしょう!!ねぇ!ウェイン!……ウェインってば!!国王陛下に直談判してよ!きっと陛下はここの惨状を知らないのよ!だから簡単にここに住めなんて言ってきたんだわ!こんな場所……、王族が住めるところじゃないわ!……ひっ!」
馬車から降ろした荷物を、黙々と屋敷の中へ運び込むウェインの服をグイグイ引っ張って抗議していると、突然横からぬぼーっと現れた皺くちゃのおばあさんが、私のキャリーバッグを無言で受け取り運びはじめた。
「なっ、何なの?あの人。怖いわ……」
「……ここの使用人だそうだ。唯一のな」
「使用人?……え?唯一?唯一って?あ、あの人しか使用人がいないって言うの?あのおばあさんだけ?!」
嘘でしょう?あの覇気のないおばあさん一人?じゃあ一体誰が、私の身の回りの世話をしてくれるっていうのよ。あの人紅茶入れられるの?……え?料理は?
狼狽える私とは対照的に、ウェインはまるで全てを受け入れているかのように黙々と荷物を片付けている。今にも崩れそうなほど傷んだ階段をギシギシ上がり、少ない部屋の一つを開け、埃を被った薄汚いクローゼットに、構うことなく服を乱雑に詰め込んでいく。
私は焦った。
「ねぇってば!何してるのよ!あんたまさか、この状況を受け入れてるわけじゃないでしょうね?!」
「……他にどうしろって言うんだ」
「……っ、」
そう答えたウェインは、王宮にいた時とはまるで別人のようだ。この短期間で幽霊みたいになってしまった。無気力で、笑いもせず怒りもせず、ただ感情をなくしたようにぼーっと動いているだけ。
このお化け屋敷にふさわしい、生気のない幽霊だ。
なんで突然こんなことになったのよ……!
ついこの前まで、王宮で悠々自適に過ごしていたはずなのに。ウェインはいちいちうるさかったけど、それさえ無視していればそこそこ楽しい毎日だった。欲しい物をじゃんじゃん買って、友達を呼んで、私を褒めそやすそいつらのおべっかを聞きながらお茶を飲んで。侍女が少しでも気に入らない態度をとれば容赦なく怒りをぶつけて、何度も謝らせストレスを発散して。皆言いなりで、これぞ王族って感じの毎日だった。楽しかったのに。
なんで……こんなことになっちゃったのよ。
ウェインさえ、もっとしっかりしてくれていれば……、こんなことにはなってないはずなのよ!!
腹が立って仕方がない。何なの?こいつ。
「……私は絶対に嫌だからね、こんなところに住むの」
こっちを見向きもしないウェインの後ろ姿を睨みつけながら、私は言った。
「王宮に帰るわ。こんなところ一日だっていたくない」
「……お前は本当に馬鹿なんだな。もう俺たちの居場所は、あそこにはないんだよ。ここで人生を終えるしかないんだ。黙ってさっさと片付けろ」
「嫌よ!!なんでこんなところで生きていかなきゃならないのよ!!まだまだ人生は長いのよ?!死ぬまでここにいろって言うの?!冗談じゃないわ!!」
「……。」
ウェインは返事さえしなくなった。私を無視して、のろのろと荷物を片付けるばかりだ。苛立ちが限界を超えた。
「あんたが王太子だから!私があんたを選んだのは、それだけが理由よ!国で一番の裕福な暮らしができると思ったから!それなのに、これじゃ……、これじゃ何の意味もないじゃないの!!あんたと夫婦でいる意味がないわ!!むしろもう、あんたは私の人生の足枷よ!!」
「……。」
「……いいわ、もう。あんたみたいな頼りにならない男はいらない。……離婚するわ。実家に帰る」
「……。」
「あんたと別れて裕福な高位貴族の男を捕まえるわ。こんな惨めな思いを私にさせないいい男を捕まえて、私だけ返り咲いてやるわよ」
ウェインの背中を睨みつけ、私は部屋を出ようとした。
すると、
「……く……、くく……っ、……くくくくく……」
(……?)
後ろから不気味な音が聞こえてきて、私は振り返った。
「……っ!!ひ……っ、」
ウェインがこっちを見ていた。血走った目で私を見据え、頬をブルブルと妙な具合に震わせながら、引き攣った気持ちの悪い笑みを浮かべて。
見たこともない夫の異様な形相に、私は思わず立ち竦んだ。恐ろしくて声も出ない。
「く……ははは……、離婚?……離婚だと?馬鹿なことを言うんじゃない、このクズが。俺を地獄に突き落としておきながら、自分だけここから逃げるつもりか。誰がさせるか、そんなこと……!俺はお前を絶対に逃がさないぞ。離婚なんかするものか。お前はここで生涯を終えるんだ。貧しさと惨めさに呻き苦しみながら、人生の最後の日までここで暮らすんだよ。俺と二人でな!!」
「…………っ!!」
やだ……おかしい。
何なの?こいつ。気でも触れたの?目つきがまともじゃないわ。怖い。
ただならぬ様子の夫を怯えながら見つめていると、夫は私を指差して言った。
「ほら、早く片付けて来いよ。お前のわずかな荷物をな。持ち物は全部大事に使えよ。もう新しいものなど、死ぬまで何も買えないかもしれないぞ。くくくくく、ふふ、ふふふふ……」
「ウ……、ウェイン……」
「片付けたら、小作人たちを手伝ってこい。仕事をするんだ、イルゼ」
「……は?な、なに言ってるのよ、あんた……。ホントにおかしくなっちゃったの?!」
やっぱり気が狂ったんだ。私に小作人と一緒に働けだなんて。ついこの前まで、私は王太子妃だったのよ。庶民じゃない。なのに、何で私がそんなことしなきゃいけないのよ。
しかしウェインは、相変わらず不気味にニタニタ笑いながら言った。
「俺たちはもう優雅に暮らしていられるご身分じゃないんだ。働いて自分たちの食い扶持を稼がないとな。こんな痩せ細った実りの少ない土地だ、領民たちと同様にがむしゃらに働いて、どうにか生き延びていくしかないってことだよ。俺もお前もな」
「そ……、そんな……!!」
嫌だ。嫌だ。絶対に嫌だ!!そんな人生は嫌!!何でこんなことになったのよ……!私は高貴な男と結婚して、一生優雅に贅沢を満喫しながら生きていくはずだったのに。
どうして…………!
その日の夜。
「…………。」
食堂で出されたパサパサのパンと具の少ないスープ、干からびかけたわずかな肉の欠片だけの夕食を見て、私は絶望した。王宮での豪華な食事が頭をよぎる。
美しい装飾の入った食器やグラス、磨き抜かれたカトラリー。次々に何品も出てくる、高級食材を惜しみなく使った美味しいお料理。甘くとろける綺麗な色のデザートたち。きらびやかなシャンデリアの下で、それらを堪能していた日々。
「……う……、……うぅぅ……っ……」
生気のない顔で粗末な料理を黙々と食べ続けるウェインの向かいで、私はボロボロと涙を流し続けた。




