3. 真実の愛(※sideウェイン)
父はこめかみに青筋を立て、静かに怒りを燃え上がらせていた。
「……自分のしでかしたことの重みが、分かっているのか、ウェインよ」
「ええ。ブリューワー公爵家には申し訳なく思っております。ですが、私はもう真実の愛を知ってしまいました。イルゼ・バトリーはたしかに王妃教育も受けていない一子爵家の娘ではありますが、全てを投げ打ってがむしゃらに勉強すると申しております。私も、彼女ならば、きっと素晴らしい王太子妃に、将来の王妃になってくれるであろうと確信しております」
「……なんと愚かな……。口で言うほど簡単なものではないのだぞ。フィオレンサほどに優秀な者でも、並大抵ではない苦労を重ねああまで立派になったのだ。それを、お前は……」
「いえ、父上。分かっております、私もイルゼも。それが簡単なことではないということは。それでも彼女は寝食を惜しんで励むと言っているのです。どうか信じて下さい。必ずや結果を出してみせます」
「…………。」
父はもう何も言わず、ただ黙って俺を睨みつけていた。俺の一存で勝手にブリューワー公爵家の娘との婚約を破棄し、イルゼを妻にしてしまったのだ。当分怒りは治まらないだろう。
だが構わなかった。愛を貫くというのはこういうことだ。身分も立場も充分に分かっていながら、俺はそれでもイルゼを得たいと願ったのだ。
貴族学園で初めて出会った頃に感じた激しい情熱、彼女と初めて愛を交わした時の歓び、この腕の中に抱きしめ、二度と離したくないと思うほどの愛おしさ。そのどれもが激しく熱く、俺はこれが真実の愛なのだと確信した。
『殿下、私たちは幸せですわね。生きている間にこうして真実の愛を見つけられる人間が、果たしてこの世にどれくらいいるでしょうか』
『……イルゼ……』
『……いいえ、いいのです。何も仰らないでくださいませ。私は日陰の身ですわよね。分かっております。私はフィオレンサ様とは、何もかもが違いますもの。私はただの子爵家の娘。どんなにあなた様を心から愛し抜いたとしても、決して結ばれることはございません。それに引きかえフィオレンサ様は……、あのブリューワー公爵家のお嬢様で、何も努力などしなくても、たとえあなた様を少しも愛していなかったとしても、生涯あなた様のおそばにいられることが生まれた時から決まっているのですわ。……それがとても、羨ましゅうございます……。もしも許されるのならば、私だって、死に物狂いで王妃教育を学びますのに……。愛と知恵、そのどちらも備えて、あなた様に生涯尽くして生きていきますのに……』
『……イルゼ……、お前は……何故そんなにも健気なのだ……!』
あの時、イルゼのあまりの愛らしさに、俺は素肌の彼女をベッドの中で強く抱きしめた。愛おしくていじらしくて、この子を得られるのならば、俺だって全てを乗り越えてみせる。そう心から思ったのだ。
『……先日、私は聞いてしまったのです。ウェイン殿下はこんなこと、ご存知かもしれませんが……。フィオレンサ様がご友人の高位貴族の方々と、学園のカフェで話しておいででした。ブリューワー公爵家ではお勉強やお作法などの他に、いかに自分が殿方を愛しているようにご本人に見せつけるか、その方法も学ぶそうですわね。ですからブリューワー公爵家の女性たちは皆、お上手に殿方のお心を掴むのですって。フィオレンサ様がとても楽しそうに、その手法について話しておいででしたわ。すごいですわね、王家に嫁がれる公爵家の方々って。偽の愛を本物に見せる……。私などには想像もつかない世界ですわ……』
『フィオレンサ様が今日、お茶会の席で私のお友達の男爵令嬢の頬をぶったそうですわ。とても痛そうで……、ひどく腫れていましたのよ。不注意でフィオレンサ様のドレスの裾を踏んでしまったそうですわ。公爵家のご令嬢のドレスを踏んでしまうなんて、こちらがいけませんわよね……。……いいえ、殿下、どうかお願いです、言わないであげてください。また殿方たちの見ていないところで、彼女がぶたれてしまいますわ……!』
イルゼのいじらしさが際立つにつれ、婚約者であるフィオレンサのことが色褪せて見えるようになってきた。どうやら俺は今まで、フィオレンサのことを買い被りすぎていたようだ。
イルゼとの純愛に比べれば、これまでのフィオレンサとの時間などまがい物だったのだ。所詮は政略的婚約。真実の愛には到底敵わない。
父上だって、きっと分かってくださるだろう。これからのイルゼのひたむきな努力を見さえすれば。むしろ感動するのではないだろうか。幼い頃から王妃教育を受けてきたフィオレンサとは違う、ただの子爵家の娘が、愛のためにこれほど成長できるのかと。
それを見ていただくしかない。




