23. 憐れなお兄様(※sideステイシー)
(あーあーあーあー……。なーんて惨めなのかしら、ウェインお兄様ったら)
列席者の皆様が一通りご挨拶に来られた後、私は母のそばでご婦人方の会話に加わりつつも、兄の様子をひそかに観察していた。さっきから何度も何度も、物欲しげにブリューワー公爵令嬢をチラチラと見ている。向こうは一切兄の方を見ないのに。情けなくてもう見てられない。
最高に完璧なフィオレンサ・ブリューワー公爵令嬢を振ってまで、品のない子爵家の令嬢と結婚したウェインお兄様。留学中も、そんな兄の悪い噂は度々聞こえてきた。
私はフィオレンサさんのことが大好きだった。子どもの頃からとても優しくて、おしとやかで、輝くように美しくて、まるで女神様。母からもよく「フィオレンサを見習うのよ」と言われていたっけ。私はお転婆だったから。何かと比べられては父や母に小言を言われたけど、私はフィオレンサさんを鬱陶しく思うことは一度もなかった。私もあんな素敵な人になりたいなぁ、なんてうっとりしていたものだった。
兄の婚約者があの方だということが誇らしく、嬉しかった。いつか「フィオレンサお姉さま」って呼べる日が来るのを、すごく楽しみにしていたのに。
ある日ウェインお兄様は、突然フィオレンサさんとの婚約を破棄したのだった。
私は驚愕した。この国の貴族たちの誰もが、ブリューワー公爵令嬢が王太子妃になると信じて疑っていなかったから。兄をさりげなくサポートし続けてくれていた、美貌、知識、気遣い、所作、何もかもが完璧なご令嬢。その上彼女は、兄を心から愛してくれていた。それなのに。
私は申し訳なくてたまらなかった。フィオレンサさん……、一体どれほど傷付いたことだろう。一途に兄を想い、尽くしてくださっていたのに……。
兄は貴族学園で出会った女性との間に、真実の愛を見つけたという。一体どんな方なのか。王太子である兄は、素晴らしい王太子妃となる女性と結婚することも、また大切な責務。間違ったお相手を選ぶことなど、絶対に許されない。だからこそ、フィオレンサさんをおいて他にはいないと、誰もが信じていたのに。兄はそのフィオレンサさんを越えるほどの女性を見つけた……?噂にも聞いたことがない。あの人以上のご令嬢なんて。一体誰なの?
そしたら、まあ……。
「……。」
私は扇の陰から、ウェインお兄様の隣に立っているあの女をチラリと見る。
(私、あの人大嫌い)
華やかで気品ある人々が集まるこの会場の中で、ひときわどぎつい雰囲気で目立っている、あの真っ赤な女。最初は大人しくしていたのにだんだん調子に乗ってきたのか、さっきから目の前のご令息たちを相手に下品な高笑いをしている。皆に変な目で見られてることに気付かないのかしら。
あの人。イルゼ・バトリー子爵令嬢。
留学から戻って初めて顔を合わせた時、私は丁寧に挨拶をした。フィオレンサさんを追いやってしまった原因となった人だし、正直初めからいい印象はなかったけれど、それでも兄の妻となった人だ。今後長い付き合いになるわけだし、わざわざ王太子妃として選ばれた人なのだから、きっと素晴らしい何かを持っているのだろう。
だけど。
私がにこやかに挨拶をしているのに、まるで宿敵にでも出くわしたかのように眉間に皺を寄せ、私を頭のてっぺんから足元まで舐めるように見てきた。挙げ句の果てに隣にいたお兄様に向かって、
「ねぇウェイン。王女と王太子妃ってどっちが偉いの?」
……ですって?!な……、何なのよそれ!くっだらない!!まずは挨拶でしょうが!挨拶を返しなさいよ、挨拶を!!
あの日以来、あの人が大嫌いだ。
ウェインお兄様は呆れたような顔であの女を見ていたけれど、何も咎めなかった。言いなりになっているような兄に対しても、嫌悪感が湧いた。なんでこんな人を選んだの?あの完璧なブリューワー公爵令嬢を捨ててまで。どこがそんなによかったわけ?
そして今。
私のたった半年間の留学からの帰国を、親バカな母がわざわざパーティーなんか開いて祝ってくれている。たくさんの高位貴族の方々に集まっていただいて。
そんな中で、相も変わらぬ美しさと完璧な立ち居振る舞いを披露するフィオレンサさん。隣に寄り添う素敵な侯爵家のご令息。そんな二人を妬ましげに、嫉妬と後悔の念を隠しきれない表情で何度も目で追っている、憐れなウェインお兄様。その隣で何も考えてなさげな顔で高笑いをしている、あのド派手なドレスの子爵令嬢。
「……ほんと、どうしようもないわね」
私は思わずボソリと呟いた。威厳や自信の欠片も感じられない兄の顔には、はっきりとこう書いてある。
“俺は結婚相手選びに失敗しました。ものすごく後悔しています。失ったあの子が惜しくてなりません。大人しくあの子と結婚しておけばよかった。”
さっきからそこかしこで、ご婦人方やご令嬢方が自分の方をチラリと見ながらヒソヒソしているのに、まったく気付いていないらしい。自分のことに手一杯の鈍感夫婦か。
もう皆にバレてしまったわよ、お兄様。あなたがフィオレンサさんに未練タラタラで、逆に向こうはもうお兄様にまるっきり興味なくなっちゃってることがね。
「恥っずかし……」
兄から目を逸らし、しばらく母たちの会話に加わりながらにこやかに談笑した後、私は広間の反対側に目をやる。
そこには私のもう一人の兄、この国の第二王子であるサイラス・ディンスティアラが、友人のご令息方と楽しげにお喋りしている姿があった。
そしてその隣ににこやかに侍るのは、サイラスお兄様の婚約者である、アシーナ・コルベック侯爵令嬢。あの真っ赤な女とは比べものにもならない出来の良い淑女だ。この王国で今、フィオレンサさんに次ぐ素晴らしいご令嬢だと評判の方。
「……。」
元々賢くてあらゆる知識やマナーの完璧な方だけれど、最近はイルゼ王太子妃からそのお役目を解雇されてしまった王妃教育の元教育係の人たちが、足繁くアシーナ嬢の元へ通っていると聞く。
ウェインお兄様は、ちゃんと分かっているのかしら。
自分が今どれほど、窮地に追い込まれているのかを。




