2. 絶望
私、フィオレンサ・ブリューワーは公爵家の娘として生まれ、幼少の頃よりこのディンスティアラ王国の王太子であられる、ウェイン・ディンスティアラ殿下と婚約していた。
もちろん、この婚約は私たちの意志ではない。ブリューワー公爵家の娘だから、王太子殿下と婚約できただけだ。それでも私はその家の事情とは一切無関係に、子どもの頃からずっとウェイン殿下のことが、ただひたすら大好きだった。
「フィオレンサ、あなたは将来この王国の国王となられるウェイン殿下と結婚するのです。殿下をお支えできる立派な妻に、王妃となるために、あなたが学ばなければならないことはたくさんあります。しっかり励むのですよ。ウェイン殿下のために」
「はい、おかあさま」
ウェイン殿下のために。
私の人生は全てがそれだった。殿下のために。あの方の支えとなれるような女性になるために。殿下が喜んでくださるような妻になるために。
殿下は子どもの頃からとてもお優しい方だった。引っ込み思案で大人しかった私に積極的に話しかけてくださり、私の緊張を解こうといつも笑わせてくださった。ウェイン殿下にお会いできる日が、私にとって一番幸せな日だった。
『お二人が並んで座っていると、本当にお可愛らしいですわね』
『ええ。まるで一対の美しいお人形のよう』
『おほほ。将来が楽しみですわね、ブリューワー公爵夫人』
周りの大人たちはそう言って微笑みながら、睦まじく過ごす私と殿下を見ていた。
ウェイン殿下は本当に美しくて、私もよく見とれたものだった。陽の光に輝くサラサラとした金色の髪に、宝石のような深みのある青い瞳。滑らかな白いお肌、優しい声。
『フィオレンサ』
殿下が私を見つめて微笑んでくださる時、私は自分の高鳴る鼓動を聞きながら、幸せで胸がいっぱいになった。このままずっと、この方と仲良くしていたい。この方と夫婦となって、ずっとおそばで暮らしていけたら。そのためならどんな苦労だって乗り越えてみせる。この方のお役に立てるのなら、世界中のあらゆる知識だって身に付けてみせる。私がウェイン殿下を支えていくんだ。妻として。一番おそばで……。
「こんなことが許されるのか……。あんまりではないか!」
「フィオレンサが、可哀相ですわ……!あの子はあんなに小さな頃から、ずっとウェイン王太子のためだけに必死で頑張ってきたというのに……。ここに来て、突然婚約を破棄するだなんて……!」
「いかに王太子といえども、許し難い……!殿下は我がブリューワー公爵家をここまで軽んじておられたのか!」
両親は嘆き、怒り狂った。
屋敷に戻り自室のベッドに臥せって泣きながら、それでも私はまだ一縷の望みにしがみついていた。こんなはずがない。殿下はきっと思い直してくださる。きっと気付いてくださるはずだ。私のように、殿下もきっと私たちの今までのことを思い出しているはず。どれだけ楽しい時間を過ごしてきたか。二人で過ごした長い時間を、きっと一つ一つ思い返し、私の愛情が偽物などではないと気付いてくださるはず。今はただ、あの人が現れたことで心が揺れてしまっているだけなのだ。
きっと思い直してくださる、きっと──────
ところが数日後、王太子殿下から婚約破棄に対する慰謝料の支払いについての書簡が届いた。
私は悟った。もう本当に終わってしまったのだと。