20話
カズユキはそこでようやくティーカップを手に取る。
揺れる紅い水面からは目の前の男には似合わないフルーティな香りがした。
「お前は院長から何か聞いてるか? ミナトが逃げ出した理由とか」
「詳しくは言えないと言われた。ただ、命が狙われている可能性があると」
悔しげにしかめられた眉、膝の上で組まれた指に力が入る。
「よくそれで引き受けたな」
「あの人が『言えない』という時は、心配をかけたくない時だ。だから勝手に動くことにした」
「……」
カップで表情を隠しながら紅い目はセイゴウをじっと観察する。
セイゴウは生い立ちのせいもあるのか、合理的で人の善性を信じきるタイプではない。ルールを重視するのも、それが最もが分かりやすいものだからだ。
その彼が全く疑いの目を向ける様子のない院長は、信頼に足る人物なのかもしれない。
もちろん、家族相手の根拠のない信頼である可能性もあるので油断はできない。
カズユキはぬるくなった紅茶を軽く舐めてからテーブルに戻す。
「なるほど。で?」
何か分かったのか? と言外に伝える。
しかしそこで、セイゴウは肘掛けに緩やかに頬杖をついた。昨日の経緯を答えたから話は終わりだ、と態度で示す。
「貴様に言う義務はないが?」
「良いじゃねぇか。同期のよしみで。……あ」
カズユキは思わせぶりに唇に弧を描かせて立ち上がる。
訝しげにその動きを追うセイゴウの肩に、色白の手が置かれた。剣を扱う皮の厚い掌が、制服の上からするりと筋力のある二の腕までを撫で下ろす。
「何か情報料がいるか? 忙しくて溜まってんなら相手するぜ」
腰を折ると耳元に触れるか触れないかのところまで唇を寄せ、息を多く含ませて囁く。
「貴様じゃ勃たない」
何度も人を籠絡してきたカズユキの艶のある声に誘惑されることなく、セイゴウは冷たい響きの声で一蹴してくる。
めげることなく、カズユキは楽しげに横から腕を首に絡めた。身体と身体が触れ合う。
「つれねぇな。掘りあった仲だろ?」
「15年も前の話だ。お互い若くて懲罰部屋で媚薬付き。あれをカウントするな」
絡んだ腕を強く掴みながら吐き捨てた。
ただでさえ険しかった表情がさらに不快げに歪む。
ふたりが20歳のころに一度だけ、カズユキとセイゴウは性的にまぐわったことがある。
当時の上官からの嫌がらせの一環だった。
命令違反の難癖をつけられて、媚薬を飲まされた上で懲罰部屋に2人共が放り込まれたのだ。
その上官の趣味だったのか、それともグルになっていた者たちの意見だったのかはわからない。とにかく、彼らが見守る中で強制的に互いの体を貪る結果になった。
すぐに本能に従って動いたカズユキは面白がっているが、ギリギリまで理性を保っていたセイゴウにとっては消し去りたい過去だった。
当時の互いの痴態を思い出すとどうにも笑いが込み上げてきて、カズユキは体を離しながら肩を震わせる。セイゴウは鋭い目で睨みつけた。
しかし一度目を閉じて笑いを収めると、次は真剣な表情のカズユキが座ったままのセイゴウを見下ろす。
「こっちはあの可愛らしい依頼人を守る義務があんだよ」
スイッチがあるかのように声のトーンもオーラも変わる。
その温度差で相手を揺さぶる狙いがあることはセイゴウには分かっていたが、そこに嘘がないことも強く感じる。
なによりも、彼の中で「守るべき弱者」となる子どもを出されると弱かった。
「……現在調査中だ。だが」
今日初めて、深緑が紅を真っ直ぐ捕らえる。
「最近、各地で増えている行方不明者に関係があると私は踏んでいる」
「うちの地域だけじゃないのか」
カズユキは、ここ数日で行方不明の子どもが出ているのだという話を思い出す。
孤児院での子ども売買を彷彿とさせる会話。
そして、行方不明者の中に写真があったミナト。
胸の引っ掛かりが取れたかのようだ。
自分のルールのせいで関わることのできない予定だった事件に、知らぬ間に首を突っ込めていたのだから。
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