15話
「よし、なんとか様になってんだろ」
黒いスカーフをミナトの首に巻き終えたカズユキは、細い肩を軽く叩いて体を離した。
自然と近くなっていた顔を直視出来ずにいたミナトは、ガチガチになっていた体から分かりやすく力を抜く。
ここは、列車のコンパートメント車の中。
遠出する時には馬や馬車に乗ることが多い国であったが、大きな都市へ行くなら列車を使うのが一番早い。魔力を動力源とする列車は、国内の主要都市を結ぶ便利な乗り物だった。
カズユキが予約していた席は、富裕層が乗ることの多い個室だ。ダークブラウンの壁に、高級感のある深緑の座席が向かい合わせになっている。クッション性の高い座席は、長時間座っていても疲れない優れものだ。
ミナトは初めて乗る列車にはしゃいでいたのだが。
15年間着る機会が無く、これからも着る予定の無かった上質で豪華な衣服に対しては顔を強張らせていた。袖が余ることもなく丁度良いその服は、カズユキが少年時代に着ていたものだ。
ミナトは常に動きやすい格好をしていたため、少し重みを感じながら恐る恐るグレーの上着に触れた。下手に動くと、汚したり破ったりするのではないかと心配になる。
「首都ってみんなこんな格好してんのか……?」
白い飾り気のないブラウスのサラリとした生地が肌を覆う。
ベスト、ズボン、その上に羽織る腰までの丈の上着は全て明るいグレーで統一され、裾や袖は紺色の糸で細やかな刺繍を施されている。指に触れる生地はずっと触っていられるほどに手触りが良い。
濃紺に銀の刺繍の入った膝ほどまである上着と同色のズボンを慣れたように着こなしているカズユキは、座席に深く腰掛けてくつろぎながら答える。
「今日行くのは王宮だからな」
「王宮!?」
なんでもないことのように告げられた単語に、ミナトは狼狽した。
王宮というのは、当然この国を治める王が住んでいる場所だ。
王は、かつてこの国が危機に瀕した際に現れた救世主の末裔だ。現在も国民を愛し、守るために国を治めている。国民は王を敬い、崇め、感謝の心を持って日々生活しているのである。
近年、特に若者にはその信仰心のようなものは薄れてきている傾向にある。しかしそれでも雲の上の存在には違いない。
王宮はその貴い王族の住まいとしての役割の他に、政を行う場所でもある。一般の人間が上等な服装をしたところで、足を踏み入れられる場所ではない。
ミナトの混乱は理解しながらも、カズユキは昨晩も見せた飾りをコートのポケットから取り出して説明を続ける。
「このボタンは、王族の近衛騎士のものだって言ったろ? だから直接会いに行くんだよ。あの太刀筋には心当たりが……」
「そんなとこ入れないだろ!?」
なぜ王宮に向かうのかの説明など、ほとんど耳に入らない状態のミナトの声が割り込む。隣のカズユキの方へ手をついて身を乗り出したため、座席のクッションが軋んだ。
それに対して苛立つことも怒ることもせずに、カズユキは笑顔と共に片目を閉じる。
「入れるさ。俺の元職場だからな」
「えっ」
近衛騎士とは、王族の近辺を守る特別な騎士だ。王宮内外で最も近くで王族を護衛する。元々身分の高い者か、大きな功績を上げたものしかなれない騎士だ。
また、カズユキが昨晩の男を近衛騎士だと断定した理由はボタンだけではない。
彼らは危機回避のために、短い詠唱で発動する移動魔術を行使できる魔石を与えられているからだ。
男が消える前に発動させた魔法陣は間違いなくそれだった。
「俺は元近衛騎士で、実家は貴族なんだよ」
「貴族――!?」
孤児院を飛び出してから、もう何度目かになる驚きの声をミナトは上げた。広くはない個室内で声が反響する。おそらく廊下や他の部屋にも、言葉は判別出来ずとも声は聞こえているだろう。
カズユキはしたやったり、という表情で肩を震わせた。
「はは、リアクション良すぎだろ」
「で、でも貴族って、働かなくてもいいんじゃ……」
貴族は王から与えられた領地を治める者たちのことだ。
基本的には世襲制で、その家の長男が跡を継いでいく。子がない場合などは養子をとることも珍しくはない。
この国の貴族は、救世主が現れた際に力を貸した者たちの子孫と言われている。そのため国の有事の際には領の騎士たちを指揮するために訓練された、軍人としての側面もある。
つまり、働いていないわけではない。
だが、受け継いだ財産や領民からの税金で彼らの生活は成り立つ。
平時には領地の貧富によって多少の差はあれど、貴族が金銭のために汗水垂らして働くことはほとんどない。そう言った意味では、ミナトの言う事は正しかった。
カズユキはミナトの平民らしい言葉に、気を悪くした様子もなく頷く。
「ま、こんな仕事をすることはほぼねぇわな。俺は六男だったから好きにさせて貰ってんだ。家はもう兄が継いでるしその跡継ぎの息子もいるし、やりたいことやれってさ」
出来るだけ分かりやすいようにと噛み砕いてカズユキは伝えているつもりだが、ミナトは混乱したままうまく飲み込めない。
苦し紛れに、正面に座るコウを見つめた。
「こ、コウは知ってたのか?」
「10年くらい一緒に暮らしてるからな」
コウは、知っているのは当然のことだというように頷く。
彼はカズユキとミナトの護衛騎士のふりをして王宮に入る、という打ち合わせまで済ませていた。
騎士らしい形の黒い衣服が、がっしりとした男らしい体によく似合っている。
これから向かう先や、ずっと普通に接していた恩人の身分にミナトは萎縮してしまう。体を座席の端っこに小さく丸める少年の頭をカズユキはぐしゃぐしゃと撫でた。
「ま、俺のことはいいんだよ。今まで通りにしてろ。とにかく今日は、俺の元同僚が中に入れてくれることになってっから」
「ど、どんな人だ?」
「俺が騎士団を辞めた原因」
もっと丁寧な言葉遣いにした方が良いのかとも考えつつ、今更すぎてミナトは開き直った。聞くことを躊躇することなく、どんどん踏み込んでいく。
「どういうことだ? 嫌いな奴ってことか?」
「逆だよ。ずっと好きだった。でもそいつが結婚しちまってショックを受けた若い俺は、7年続けてた騎士団を辞めたってわけだ。俺の身の上話の鉄板だぜ」
今朝、酒場で聞いた話とは全く違う理由だ。
要は失恋が原因で、この男は騎士団を辞めて今の職に就いたと言っている。
しかも、その相手に今日会いに行くというのだ。
脳内が情報過多になってしまったミナトが何も反応できていない間に、コウが先に身を乗り出した。
「待て、聞いてないぞ」
「いやお前は何百回か聞いてるだろ」
カズユキは、「なぜこの仕事をしているか」という話題の時にいつもこの話をする。「失恋したから」から始まると周りの反応が良かったからだ。コウが聞いてきた時にもそう説明をしたし、店主にもそのように伝えていた。
実際にそれは理由の1つではあった。ミナトが聞いていた話は、店主やコウがカズユキとの長い付き合いの中で言葉の端々から感じとったものだ。
そしてそれも、間違ってはいなかった。
カズユキが珍しいと感じるほどに険しい表情のまま、コウは首を振る。
「違う。今日、そいつに会うことをだ」
「そりゃ、初めて言ったからな。そんな重要でもないだろそこは」
「……」
どこか楽しげな声のカズユキが言う通り、仕事をするにあたっては大したことではない。
昨夜襲ってきた相手としてカズユキが思い当たる近衛騎士と話ができれば良い。そのために王宮に入ることが出来るならば、その案内人は誰でも良いのだ。
頭でそれを理解しているコウはカズユキの言葉を飲み込む。ミナトにも分かるほどに放った、不機嫌を隠さないオーラは姿を消した。
しかし、どうしてもその場の空気が重くなる。
(な、何か言わないとて……!)
ミナトは使命感に駆られて膝の上でグッと手を握りしめる。なんとか話題を捻り出そうと、先ほどまでの話を頭の中で反芻した。
「え、と……あの……あれ? 7年騎士団で10年くらいコウといるってことは……」
丁度良い引っ掛かりに気が付いた。
近衛騎士というほど格式高い職業であれば、通常は成人した16歳を過ぎてから就いている。
ミナトは今まで外見や雰囲気から、カズユキは自分より10歳くらい上の20代半ばと想像していた。
外見は年齢不詳だが、どちらかというと落ち着いていて諌める係をしているようなコウは30歳前だろうと予想している。
しかし、そうするとカズユキに関しては計算が合わない。
「なぁ、カズユキって何歳だ?」
「歳? 35だ。」
もったいぶることもなく、あっさりと返ってきた答え。
ミナトは閉口してフリーズした。
年齢を開示した際にこのような反応を受けることに慣れているカズユキは、人差し指でミナトの張りのある頬を突く。
それがスイッチかのように大音量の声が発された。
「35!? おっさんじゃんか!!」
「見えないだろ? よく言われんだよ」
得意気に前髪を掻き上げると、顔の全容がよく見える。ミナトは無遠慮に顔を近づけてまじまじと見つめた。肌は瑞々しくシワやたるみも見当たらない。どこをどう見ても若々しい美丈夫が笑っている。
20歳も年上ということは、ミナトと親子でもおかしくない年の差だった。全く現実を受け入れることが出来ない少年を見て、カズユキとコウの空気が和む。
この後、コウの方がカズユキよりも5歳も年下と知ったミナトは更に驚くことになる。
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