11話
「大丈夫、ミナト。俺だ」
耳元に寄せられた聞き覚えのある声に、全身から力が抜けそうになる。
振り返ると、歪な微笑みを浮かべたコウが見下ろしていた。安心させようとしているのだと分かるその不器用な表情は、暗がりで不気味に浮かび上がる。
表情筋はあまり動かずとも、このような場合は自然と浮かぶ柔らかい表情で充分だったのだが。この場にはそれを指摘するものはいない。
表情が正直なタイプのミナトは一瞬固まってしまったが、命の危機を感じていた心をほぐすには充分だった。
コウの登場で足を止めた男の後ろからカズユキが走って来る。
「コウ! どうだった!」
「こいつは単独だ」
男の視線さえ受けさせないというように、ミナトを背に隠しながらコウはいつもの表情に戻る。
「じゃ、情報源はこいつだけか」
「……」
前と後ろを挟まれることになった男は、何も言わずに姿勢を正し剣を腰の鞘に収める。カチンと高い音が小さくなった。
カズユキとコウは逆にいつでも攻撃出来るよう、腰を屈めて身構える。
男は降参だとでもいうように、肘を曲げて両手を挙げた。
しかし、殺気が収まらない。
数秒間の沈黙。
そして男は短い呪文を唱えた。
「おい! 待て!!」
呪文を聞くや否や、カズユキが声を上げて男に斬りかかる。
しかし、刃が届くより先に男の足元に金の魔法陣が出現。
次の瞬間には姿が消えていた。
「……、悪い、逃した」
男が消えた場所を睨み付けた後、剣を乱雑に鞘に戻したカズユキが眉を寄せる。コウは腰を伸ばし、腕を下ろして頷いた。
「逃したな」
2人の目には隠しきれない悔しさが滲み出る。
だが、負の感情は直ぐに消え去った。
反省は大切だが、依頼人の前で長々とすることではない。不安や不信感を煽ることになる。
カズユキは、コウの背後で拳を握りしめて立っているミナトに近づいた。
「ミナト」
努めて柔和な声で名前を呼ぶと、強張っていた顔がすぐに緩む。しかしそれを確認することもなく、カズユキは自分より小さな体を抱き締めた。
発達途上で細身ではあるが、華奢ではない少年の体が再び固まった。
慌てた声と共に、ミナトはカズユキの胸を押す。
「な、なん……!?」
「ごめんな。怖かったろ」
苦しくないように腕の力を加減しながら、紅い瞳は驚く顔を覗き込む。真剣に気遣わしげな表情と声に、ミナトは吸い寄せられるように見つめ返す。
謝っているのは逃げられたことにではない。カズユキの脇をすり抜けさせてしまったことだ。
一瞬だが恐怖の色に染まったミナトの瞳を思い出し、整えられた眉を顰める。
赤い後頭部に手を添えて、肩口に顔を緩く押し付けた。
恐ろしさよりも必死さが勝って足を動かしたミナトは、忘れていたその時の感覚がジワリと蘇る。
安定感のある温もりの中で思い出したことで、目頭が熱くなってくる。しかし、人前では泣きたくないという少年らしい意地が勝つ。
唇を噛み締めて大きく息を吸うことで耐えた。
「お守りがあったから平気だ。守ってくれて、ありがとう」
どうしても掠れてしまう声を誤魔化すように、触れる肩に額を擦り付ける。
片手はピアスを握り締めたまま、腕を背に回す。
落ち着かせるために深く呼吸を繰り返していると、大人の骨張った手がそれに合わせて髪を撫でる。
しばらくそうした後、軽快なリップ音と共にこめかみに柔らかいものが触れた。
弾けるようにガバリと顔を上げると、悪戯が成功したような表情の男前が笑っている。
ミナトは口を開閉するものの、言葉にならないまま頬がみるみる赤く染まっていく。
抱きしめた体勢では早鐘のような心臓音が伝わる気がして、慌ててカズユキの体を強く押す。
素直に離れながら面白そうなモノを見る目をするカズユキ。片手をコートに突っ込み、もう片方の手は避けようとするミナトの手を再び捕まえて歩き出した。
物言いたげな表情のコウは、その様子をふたりの後ろから眺める。一歩離れて周囲に注意を払いながら路地裏の出口へとついて行く。
「2人とも。とりあえず帰って寝るぞ。で、明日は遠出だ」
大きな欠伸を隠すこともなくカズユキは言う。
コウとミナトは示し合わせることなく口を揃えた。
「どこに?」
「首都だ」
歯を見せて笑いながら、カズユキはポケットの中のものを取り出す。指の先ほどの大きさの、円形のボタンのようなものをふたりに見せた。
それは、剣が男の肩を掠めたときに切り落とした、コートの装飾だった。
鈍い金色の円の中には、薔薇の花と盾が彫られている。
「王宮の近衛騎士の紋章だ」
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