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文化相対主義の限界と宗教、法治主義の限界と政治 ~旧統一教会はアウトかセーフか

 2022年7月に安倍元首相の暗殺事件が起こりました。当初は自民党に対する同情ムードが漂っていたのですが、暗殺事件の犯人が旧統一教会という特殊な宗教団体の被害者であり、その怨恨から行われた犯行である事が分かると、それを切っ掛けに次々と自民党と旧統一教会との関係が明るみになり、それと同時に旧統一教会の社会的に問題のある数々の活動が批判の対象となっていきました。

 旧統一教会は、半ば詐欺のような手法で信者を集めた上、洗脳や脅しとも取れる手段で献金を集めたり、違法性が疑われる商売を行って数千億以上という規模の収入を得ていたと言われているのです。

 そんな中、お笑いコンビ“爆笑問題”のボケ担当の太田光さんが、旧統一教会を擁護するような発言をしたとして、様々な方面から叩かれています。

 本人曰く、「信者の信教の自由を守りたかった」のであって、「当然、教団が行っている悪質な活動は止めた方が良い」のだそうです(文章の都合上、意訳してあります)。

 それならば、信者の信教の自由は守りつつ、教団の悪質な活動は抑制できるような巧い言い回しを“喋りのプロ”らしく工夫するべきだったと思うのですが、とにかく、それに合わせて「一方的な意見はいけない」といったような発言も彼はしています。

 まず、これだけ旧統一教会への逆風が吹く中で、教団を擁護できる勇気には感服します。そして、“信教の自由”という人権を守る意識も正しいし、「一方的な意見はいけない」という主張も正しいです。

 人権を守らなくてはいけない点は言うまでもないですが、一方的な意見で特定の集団を攻撃するのを認めるのは権力の濫用にも結びついてしまいますし、群集心理に陥った人間達は時としてとんでもない間違いを犯す場合すらもありますから“ブレーキ”をかける役割は重要です。少なくとも、旧統一教会は法律上活動が認められているのですし。

 

 ――が、旧統一教会のケースに限っては、その主張は間違っています。

 何故なら、旧統一教会には“信教の自由”についても、「一方的な意見はいけない」という点についても、その前提となる考えが当て嵌まらない特殊な事情があるからです。

 その特殊な事情を列挙しましょう。

 

 ・詐欺や脅迫などの犯罪が疑われている

 ・政治権力と結びついている

 ・外国(韓国)勢力である

 

 太田光さんは、“信教の自由”を理由に旧統一教会を擁護するかのような主張している訳ですが、その信教の自由の元となる考えに“文化相対主義”があります。

 文化相対主義というのは、文化に優劣はなく等価だといったような思想で、国際社会の標準的な考え方にもなっています。優劣がないからこそ日本文化もアメリカ文化もイスラム文化も、それぞれ認めるべきというスタンスに繋がって来るのですね。

 この考えを当て嵌めるのであれば、旧統一教会だって認めなくてはならないでしょう。

 がしかし、この文化相対主義には限界があります。例えば、2022年10月現在、ロシアがウクライナ侵攻していますが、このロシアの帝国主義的な主張は認められるものではないでしょう。宗教でいうのなら、十四世紀のアステカ王国では、太陽神に生贄を捧げる為に戦争を行って犠牲となる人間を捕らえるという行動を繰り返していたと言われています。現代社会においては、とてもじゃありませんが、このような宗教は許容できないはずです。

 そして、社会がその文化を許容できるか否かを決めるポイントは“他人の権利を侵害しているかどうか”です。

 人を殺したり、人のお金を盗んだり、強制的に働かせるような行為をしていたなら、許容はできないのです。

 法治国家の現代日本社会において、この“他人の権利を侵害しているかどうか”を決めるのは法律です。が、旧統一教会はこの点はグレーです。

 確かに敗けている裁判もありますが、その活動を禁止されるまでには至っていません。解散命令を出せるとも言われていますが、まだ実施はされていません。

 ならば、旧統一教会を日本社会は許容するべきなのでしょうか? いえ、実はそうとも限りません。何故なら、旧統一教会は“法律を決定する力を持つ”政治権力と結びついているからです。

 本来なら、解散させるか、或いは活動を大きく抑制させる法律が制定され、それを適応させるべき宗教団体であるにも拘らず、政治権力と結びつく事で保護されているのかもしれないのですね。

 実際、旧統一教会の創立者である文鮮明は、アメリカで脱税容疑で有罪判決を受け、本来ならば日本に入国できないはずなのに、入国を許可されるという特別扱いを受けているのです。

 少し考えれば分かりますが、法治主義は“法律をコントロールする力”を持った者達には無意味です。政治家達自身に自分達を罰する法律を作らせるのは至難の業である事は、当り前に分かるでしょう。つまり法治主義には限界があるのです。

 この理屈は政治家のみならず、政治権力と結びついた人間達にも当て嵌まります。

 もちろん、本当に統一教会が政治家や官僚達から保護されているかどうかは分かりません。だからこそその真偽を確かめるか、或いはその“保護”を打ち破るような圧力を政治家達にかける必要があるのですが、その為には世論に激しく訴えかける必要があります。

 要するに、世間やマスコミの旧統一教会を糾弾する姿勢は、文化相対主義に限界があり、法治主義にも限界がある以上、認められるべきものなのです。これが達成されるまでは、糾弾の声にブレーキをかける訳にはいかないでしょう。

 因みに、もし仮に旧統一教会の法人格が抹消されるような事になっても活動は可能です。つまり、それでも“信教の自由”は守られているという解釈もできるのです。

 ――さて。

 これまでは旧統一教会が“他人の権利を侵害している”場合についての話でした。しかし、旧統一教会には、それ以外にも外国(韓国)勢力であるという問題点もあるのです。これの何が問題なのか分からない人もいるかもしれませんが、政治権力と外国勢力が結びつく事は、非常に高いリスクを持っています。もし外国人から献金を受けていたら、政治家達は日本ではなく、外国の為にその権力を用いてしまうかもしれません。だからこそ、外国人から政治家への献金は法律で禁止されているのです。

 しかし、この外国人からの献金を禁じる法律には穴があります。例えば日本法人を介すれば、外国勢力であっても政治権力と結びつく事が可能になってしまいます。中国人が日本の民間企業の株を買い占めれば、その民間企業を介して中国人が日本の政治に影響を与えられるようになります。

 旧統一教会は、当にこれの宗教法人のケースなのですね。宗教法人を介して、韓国人が日本の政治に影響力を持ってしまっています。

 そしてこの手段はデメリットがある為、法律での規制が困難です。日本法人に外国人が関与する事を規制してしまったなら、様々な問題が生じるのは明らかだからです。

 これも、“法治主義の限界”の一例と言えるでしょう。

 法律が不完全である以上、道徳や倫理や社会常識でカバーしなくてはなりません。今回の旧統一教会のケースで言うのなら、“政治権力は外国勢力と結び付いてはいけない”という政治家の職業倫理でカバーしなくてはいけないはずなのです。

 ですが、多くの日本の政治家には、この職業倫理が大きく欠けている事が今回の件で改めて分かってしまいました。中には「旧統一教会と付き合う事の何が悪いのか分からない」と発言している政治家すらもいます。

 ならば、国民の側から、政治家達に働きかけをするしか手はありません。

 

 ――リスク管理という考え方に馴染みが少ない人も多いのではないかと思うので、強調しておきますが、この場合、仮に旧統一教会が誠実な組織であっても問題があるのです。爆発物を持って飛行機に乗ったら罪になります。つまり、“使わなくても、使われる可能性がある”というだけで問題になるのですね。これと同じで、外国勢力と政治権力が結びつくというだけで問題があるのです。

 

 実は僕は旧統一教会から勧誘を受けた事があるのですが、その時、軽い恐怖を味わったのをよく覚えています。その時は旧統一教会だとは知らなかったのですが、後に手口から旧統一教会だったと分かりました。

 駅で一人の男が「手相を見せてくれ」と言って近づいて来て、手相を見せると、手相などほとんど見ないで雑談をし、その雑談の内容から分かる事をさも手相で見抜いたかのように言って来るのです。しかも、しばらく経つと人数が増えて、寄ってたかって僕を引き込もうとし、まるで責め立てられているかのような気分になりました。

 僕が何故彼らの罠に嵌らなかったのかといえば、“コールドリーディング”という技術の知識があったからです。これは交渉術としても使われますが、詐欺にも用いられます。その時彼らが用いている技術が、コールドリーディングであると僕は気が付いていたのですね。だから、“この人達は僕を騙すつもりだ”と警戒する事ができたのです。

 もし知識がなかったら、危うかったかもしれません。知識は人を助けますね。

 ――さて。

 この勧誘方法は、果たして“信教の自由”に適うようなものでしょうか? 僕にはむしろその反対のように思えます。

 また、彼らの教義では、日本は旧統一教会の為の資金調達の役割を担った国なのだそうです(もし誤りだったら、すいません)。“国”です。個人ではありません。もし、この教義通りにしようと思ったのなら、どう足掻いても他人の権利を侵害してしまいませんか?

 だって、彼らのターゲットは日本なのですから。その信念を実現したら、日本という社会全体が貧乏になってしまい、旧統一教会の信者以外も犠牲になってしまいます。

 日本には旧統一教会の他にも悪徳宗教が存在しますが、稼いだ金の大半を外国に持ち出すような真似はそんなにはしないでしょう。日本国内で使うのではないでしょうか? なら少なくとも、それは日本国内の経済を回してはくれます。旧統一教会にはその効果すらもないのです。

 これらの点を踏まえると、そもそも成り立ちの根本からして、旧統一教会には問題があるように思えます。

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[良い点] 旧統一教会は韓国へ、日本人から巻き上げた金を送るための装置であるにも関わらず、朝鮮系の政府勢力と結びついてますからね。 太田さんに関しては 「騙されて悪事に荷担しているだけの本来は被害…
[良い点] ほんそれ 『法律上は問題は無い』って意見自体が問題しかない 今まで旧統一教会がのさばって来たのは、政治屋と癒着がある証拠です
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