08.海野海那 その3
「幸人……! え、美野原さんとのデートはどうしたの……!?」
朝っぱらから本命彼女さんと学校を抜け出してしまった幸人が、放課後になって教室に――わたしの元に戻ってきてくれたのだ。うれぴぃ……! うれぴぃけど、何で……?
「ん? 終わったよ、デートなら。美琴さんのお家でたっぷり五時間もイチャイチャしてきた。彼女はずっと真っ赤な顔で白目剥いてうなされてただけだけど。でも、これからは海那のための時間だろ? 毎日一緒に帰ろうって、小学生のときに約束したじゃないか。まさか幼なじみのときにした約束は、恋人同士になったら無効になってしまうのかい?」
「…………! 無効になんて、なるわけないじゃない! 恋人になっても夫婦になっても、幼なじみであることは変わらないわ!」
そうだ、これだ。わたしと幸人は生まれた時からの幼なじみ。それだけは偽装でも何でもない、本物の関係! 本物彼女・美野原美琴に対する、たった一つのアドバンテージになるかもしれない!
「じゃあ、いっしょにイチャイチャ帰ろうか、海那」
教室中が注目する中、幸人は甘い言葉と共に、わたしの手を取る。もはや周囲も、完全にわたし達のことを本物の恋人同士として認めていることだろう。例外的に白ギャルと筋肉ゴリラだけ何か見舞いがどうとかシリアスな世界に入ってやがるけれど。何だこいつら。
まぁどうでもいいけれどね! これからわたしは大ちゅぴな幸人と恋人になって初めての、二人きりの帰り道なのだから!
「うんっ! イチャイチャしゅりゅぅーっ」
「というわけで僕との偽装カップル初日を終えたわけだけど、こんな感じで大丈夫だったかな、海那」
「あ、うん……おーけーおーけー」
何か一人で舞い上がってしまったけれど、そうだった。そもそもわたしと幸人は偽装カップルなんだった。二人きりになった瞬間、恋人を演じる必要性が消え去ってしまうのだった。ぐぬぅ……!
二人で並んで歩く帰り道。教室での王子様っぷりとは打って変わって、幸人はサバサバと続ける。
「それでさ、海那。実は美野原さんとのお家デートを切り上げた後、調査をしてみたんだよね。君を守るための」
「え……調査……? って何? わたしを守るためって?」
「あはははっ! ボケないでくれよ。決まってるじゃないか、君を迷惑な告白から守るために、僕らはこんなことをしているんだろう?」
「あっ。そ、そうね、そうなのよ大変なのよまったく」
完全に忘れてた。そういう設定だった。
「だから未だに君を狙ってる奴がどれほどいるのか学校で聞き込みしてみたんだよ。もう君に僕という彼氏が出来たということも広まってるみたいだし。偽装カップルの効果が出ているのかも調べてみたくてね」
「あ、そうなんだ、ふーん」
あれ? この流れもしかして……やばい……?
「とりあえず今日わかった範囲で言うと、現状、君に告白をしようとしている人間はいなかった。まぁ、そう簡単に人の恋心まで調べ尽くすことなんてできないけどね」
「そうそうそうそうそう、そうなのよね。分からないのよ。一見わたしになんて興味のなさそうな男がいきなり告ってきたりして大変なのよ」
「うんうん、そうだよね、大変だよね。ただ、一つ判明したことがあるんだけど、どうやら偽装彼氏なんて作る以前から、君が僕のことを好きだという噂が流れていたみたいで。その噂だけで充分、男除けの効果はあったみたいなんだよね。どうせ海那は僕のことが好きだからと、端から諦めてたって人も実際何人か見つけたし」
「へ、へー……そういえば幸人、今日の晩ご飯だけれど、良かったらうちで食べていかない?」
「うん、ぜひ。話し戻すけど、つまりさ、偽装カップルなんて必要あるのかなーって。そこまでしなくても現状、困っていないなら――」
「ひどいっ!! ひどいわ、幸人っ!!」
「え……海那……?」
両手で顔を覆って泣き崩れる。話がまずい方向に向かっていきそうだったので強引に流れを断ち切ってやった。うん、ホントまずい。このままだと偽装カップル解消ってことになりかねない。幸人が本当の本命彼女である美野原さんに独占されてしまう。奪い返すチャンスが立ち消える。
させない……そんなことさせるわけにはいかない……!
「わたし、すっごく困っているのに!! 幸人はそうやってわたしの悩みを矮小化するのね! これまでずっとあなたに心配かけないよう隠してきたけれど本当に困っているのに!」
「ご、ごめん、海那……っ、僕、君の気持ちも知らないで……」
「そうよ! とっても辛かったんだから……っ! 男の子を振る時だって、必要以上に傷つけたくないし逆上されたりしたら怖いし……それでもしっかり振らないと後々面倒なことになるから、毎回厳しく振っているのよ……? その甲斐あって、幸人の調査でも、告白しようとする男子を見つけられなかったのでしょうね……うっ、うぅっ……わたしが精神を擦り減らして頑張ってきた結果なのに、幸人はまるで自分の手柄みたいに……っ」
「…………っ、そんな状況に気付いてやれていなかったなんて……僕はなんて愚鈍な幼なじみなんだ……っ! 本当にすまなかった……」
地面に膝をつき、ぎゅぅっと抱きしめてくれる幸人。きゃっ……あったかい……意外と腕太い……ちゃんと大胸筋ある……幸せ……。
小学生グループがわたし達を指さしてヒューヒュー言っているが頼むからもっとやってくれ。全人類わたしと幸人にヒューヒュー言ってくれ。
「ごめんな、海那。これからは僕が君を守るから。手始めに今まで告って来た奴ら全員に念押ししてくるよ。二度と僕の彼女に近づくな、ってね。これは偽装彼氏という立場を得たからこそ出来ることだ。君の作戦が僕にその資格を与えてくれたんだ」
「うっ、うぅっ……そこまでは、しなくていいわ……ほら、その、それだとわたしが頑張って振ってきた意味がなくなっちゃう気がして……それに、ほら、すごく多いから、人数……すっごく大変よ……? 幸人との偽装イチャラブを周囲に見せつける時間がなくなって、却って偽装カップルの効果が薄れてしまいかねないわ」
「そ、そんなになのか……? 一体、今まで何人に告白されてきたんだ……?」
「……じゅ、あ、いや、に…………ひゃく?」
「二百人!? 全校生徒が八百人なのに!?」
やべぇ、盛り過ぎた。
「ほら、わたし、女子とか教師とか用務員にも告られるから……」
「犯罪じゃないか! くそぉ、用務員めぇ……! 花を愛する優しいおじさんかと思っていたら……! とりあえず教師と用務員だけでも何とかするべきだな!」
「いや大丈夫なのよ、本当に。しつこそうな男には、金蹴りしてトラウマ植え付けてあるから」
「強い……さすが僕の幼なじみだ……え、でもじゃあやっぱり僕いらないのでは……?」
「だっ、ダメ……! そ、その実はっ、金蹴りが効かないめちゃくちゃ強くてしつこいストーカーが一人いて……そう! そうなのよ! 元々、偽装彼氏の一番の目的はそのストーカーから守ってもらうことだったの!」
よし、これだ! かなり危ないところまで追い込まれてしまったけれど、何とか逃げ口を見つけ出した! 大勢に現在進行形でアプローチされてるってのよりは、一人に粘着されてるって嘘の方がまだ矛盾なくアリバイ作りしやすそうだもん!
「何だって……!? そんなイカれた奴が……警察には!?」
「ダメなの、そいつ体が強いだけじゃなく知能も高くて、警察が介入できないギリギリのラインをついたストーキングをしてくるの!」
「くそぉ、何て卑劣な……! よし、僕に任せろ! 君の彼氏としてビシッと言ってやる! で、そいつはどこの誰なんだい!?」
まぁ、そうなるわよね。
どうしよ。マジでどうしよう……。