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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

優しさと浮遊するセルフフィッシュ。

作者: 羊一葉

最初からなにもないだけ。ただそれだけの話だった、

-序章-

青年は絶望していた。

刺激がなく、ただ同じように回転する日常に

嫌気がさしていた。

何もない日々を日常と言うのであればそれまでだが。


-俺の悲しみ-

俺はぼんやりした大学生である。

大学生という生き物には以前から妙に違和感を感じていた。

が、その違和感は今現実味を帯びた「絶望」として

俺にのしかかってきている。

上京してからは彼女や恋人は勿論、友達すらまともにいない。

思えば地元でも、話す友達や恋人はそれなりいはしたが、自分のありのままを曝け出せずに無理に頬をあげていた。

そんな空気の様な自分が嫌いでたまらなかった。

それを神様は悟って、俺から人脈を奪ったのだろう。

近所のコンビニのレジでさえ

「あー、」とか「えーっと、」とか

意味をなさない言葉を発し、なんとなくその場を凌いでいる。

大学も少しずつ横着するようになった。

二年前の春は、希望と輝きを持ってこの夢の街

東京に引っ越したきたはずなのに

今見えるのは人の醜さや街の汚ればかりで

楽しさや美しさはどこにも感じられなくなった。


しかしそんな俺にも一匹、いや一人友達がいる。

それがワキンと言う金魚である。

動物に名をつけて勝手に可愛がるのは

どうも好きになれなかった。

だから、名前はつけずにどっかで見た種類名で呼んでいる。

なぜ飼い始めたか鮮明には覚えていないが、

確か夏祭りの金魚掬いで弟が取ってきたものだったと思う。

人はいつだって身勝手だ。

お祭りの雰囲気でなんとなく命を一つ拾ってくるが

その雰囲気が終わった途端、飽きてその命をまた他人に預ける。

そして、忘れる。まるでなかったことかのように。

そんな些細なことで飼う事になった金魚だ。


毎朝七時に必ず水槽の前に行き、挨拶をする。

「ワキン、おはよう。」

するなぜか聞こえないはずの挨拶が返ってくる。

「おはよう、今日も頑張ろうね。」

この瞬間が幸せで、この瞬間の為に今は生きているようなものだ。

餌をあげると水槽の上の方に寄ってきて

頬をプクプクさせ口を開ける。

俺の悲しみはワキンのおかげで

なんとか小さくなっていく。

ワキンがいなければこの日々の悲しみを抱えきれずに

逃げ出すだろう。

だから俺にとって欽ちゃんは一匹ではない。

一人なのだ。


今日は大学に行こうと思う。

流石に自分でもこの怠惰に恐れを成した。

ワキンに挨拶をする。

「今日は大学に行ってくるよ。」

欽ちゃんはこっちを見て

「おはよう、今日も頑張ろう。」

と言う。

心が落ち着いた。

確か十時からだったから家は九時くらいに

出れば間に合うはずだ。

心臓の鼓動が速くなるのを感じた。

こんなことで気持ちを動かされる自分が情けなくなった。

他の大学生にとってはいつも決まった時間に起きて、

決まった交通手段で大学に行くのは「日常」

なのである。

ねえ、なんで貴方の日常は私にとっての日常ではないの?

そう心で問いかけても虚しさが加速するだけだった。

家を出る。


久々にみる同年代の人は皆輝いて見えた。

俺を置いて生き急ぐ様にも見えた。


「置いていかないでよ。」


小学二年生の夏、公園でやった鬼ごっこをおもいだしていたら駅に着いた。

拙い記憶を頼りに自分が乗るべき車両を探した。

脳はともかく、足を動かさないとこの街にはついていけない。

感覚を頼りにして、行くべき道のりを進んだ。

しかし、約四ヶ月のブランクがあった。

東京の街は恐ろしく変化を繰り返す。

実際には変化していないがそう感じる。

自分が進んでいる道が正しいかどうかわからなくなる。

看板の表示を見てもそもそも地名を、意識的に詰め込んだので忘れてしまっていた。

「あれ、おかしいな」

そう呟いて狼狽してしまった。

どこに行けば良いのかわからない。

心の高まりを抑えることに精一杯で事前の準備など何一つとしてしていなかった。

まさか、自分が行くべき場所を高まりを抑えられずに見失うとは思いもしなかった。

かと言って駅員さんに問いかける勇気もなく

携帯電話でようやく突き止めた乗るべき電車は

もう俺を置いて、発車していた。


何故だ。

何故だ。


何故乗る電車すらわからなくなったのだ。

自分への苛立ちが抑えられず

人混みの端の方で

涙を流した。


「どうかされましたか?」

今更、駅員が話しかけてくる。

「あ、大丈夫です…。あの、なんともないです。」

遅ーよ、と言う苛立ち隠して言った。

「何かありました気軽にお声がけください。」

優しそうな人だった。


俺はいつもそうだ。

自分の失敗や恥を勝手に他人に押し付けて

人を嫌っては恨んできた。

しかし心のどこかで人の優しさを感じ、他人を嫌いになれない自分を

本気で嫌っていた。

敵を作らない生き方を選んでそうしてきたが

敵を作らない代わりに味方もできないのだということに最近気がついた。

「小林君って優しいよね。なんか不気味だけど。」

昔、女子から言われこの言葉を頭の中で反芻していた。


今から代わりの電車に乗って大学に行くこともできたが

行けるわけがない。

今日のところは帰ることにした。


さっきと同じ風景を反対の視点から見る。

情けなさで消えたくなった。


「ただいまー。」

誰もいない部屋に言って上着を脱ぐ。

欽ちゃんを見ないと気がおかしくなりそうだったので

手を洗うよりも先に水槽の前に行った。

しかし、そこには想定外の景色があった。


ワキンが沈んでいる。

体を横にして水槽の底に沈んでいる。

こんなことは今までなかった。

血の気が引くのを感じた

ヒステリックに叫んで水槽を揺らす。

変化はない。

思わずしゃがみ込んでしまった。

すぐに携帯を手に取って金魚の死に関する情報を調べる。

そういえば前から鰓が開いていた。

知識など何もないので、そういうものだと思って気にしていなかった。

調べるとエラ病と言うものがあるらしい。

ワキンは病に犯されていたのだ。

しかし、俺はそんなことも知らずにただ可愛がっていた。

やはり弟といい血は争えないのだと知った。

震えを抑えつつ、水槽を覗くと、

ワキンはプカプカと水面に浮いていた。

「死んだ…嘘だろ!」

激しく動揺していたせいか、その瞬間のことはあまり覚えていない。

気づくと金魚を手のひらに乗せていた。


レイアウトとして置いた草や土が舞い、

濁る水槽がただそこにあった。


「あぁ…あぁ…」

呻き声に似た泣き声が出た。

自責の念に苛まれつつも同時にこんな思考が頭をよぎった。 

「せめてこの金魚を食べてやりたい。」

どうかしていると思った。

でもそう思ってしまった。

手のひらにのせると愛でる気持ちはなくなっていった。

なんで今まであんなに心の拠り所にしていたのだろうとさえ思えた。

そう思うしかなかった。

鱗の感触。

手のひらにのるワキンは案外普通の魚だった。


無造作に口に放り込んだ。

思ったより血は出ない。

味はしなかった。

感じる訳がなかった。

「ワキン…」

また涙を流した。

でも不思議と既に悲しくはなかった。

これが悦びの涙なのだと初めて解った。

 

部屋にはただ濁る水槽、生命の影はない。

その場にただしゃがみ込んだ。

二十分が経ってから心がなんとか落ち着いた。

溢れた水やらなんなやらを片付けて

水槽を空にした。

そして乾かすためにベランダに置いてから、部屋の定位置に座った。

その後三日間は涙を流し続け、生活した。

しかし、ワキンは涙を流す俺を見たくないんじゃないかと思うようになった。 

ワキンは頑張ろうとする俺をいつも応援してくれていた。

泣くのは逆に欽ちゃんに対して失礼だ。


いつまでも涙を流していても何変わらない。


愛してしたはずの金魚がいなくなった。

この事実は悲しいものではあったが

今までの金魚を心の拠り所にする、情け無い自分を変えるチャンスだと思った。

昔、大好きだったおばあちゃんからこんなことを教えられた。

「後悔は後悔で終わらせてはいけないよ。ピンチはチャンスだ。諦めることだけはするなよ。」

まさに今、この状況のことを言っているのだと思った。

あの時、病気に気づければ欽ちゃんは死んでなかったかもしれない。

最後まで名前はつけてやれなかった。

自分の変な意地のせいだ。

あの時、病気を治せていたらワキンともっと長く幸せな時間を過ごせていたのかもしれない。

ワキンとの日々が走馬灯のように頭を駆け巡った。

その時、不思議と笑みが溢れた。

笑みの理由は希望と決意だった。

「よし、俺は今は亡きワキンのためにも獣医師になってたくさんの動物を救うぞ。天国できっと応援してくれてるワキンのためにも、前向きに生きていこう!」





思える訳がなかった。

俺は、

社会と言う水槽

東京湾と言う水槽

に溺れて消えた。


プカプカ、水面に浮かぶ金魚掬いの様に。




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