4-3 陰湿悪役令嬢と厨房
「ニャー! ニャァーン!」
ジョハンに『素敵』と言われて戸惑って……いる暇もなく、足元から催促するようにノワールの鳴き声が聞こえてきた。
「あ、そうそう。ここへ来た目的を忘れるところだったわ」
「コレット、ひどい!」
器用に鳴き声と言葉を使い分ける猫だ。
「何をご用意しましょうか?」
ゴティアスがニコニコしながら聞いてくれた。
「そうね……」
前世で実家が飼っていた猫はカリカリを食べていたが、そんなものはここにはない。
時々、母がご褒美にあげていたものを思い出す。
「鶏肉はあるかしら? ささみとか胸肉あたりの脂肪の少ない部位が良いのだけれど」
「やっぱり!」
横で見ていたマルクが突然声を上げた。
「もう! 急に大声出さないでよ、吃驚するでしょ! で? なにがやっぱりなの?」
ジョハンが怒りつつ聞くと、マルクは得意げに言った。
「貴族のお嬢様がそんなに鶏肉の部位に詳しいなんて、食に貪欲な証拠じゃないか」
しまった。言われてみれば確かにそうだが、なんとか言い訳を考える。
「言ったでしょう? 少し大人になるって。淑女たるもの、食にも気を遣わないとすぐに体型が変わってしまうもの。栄養学だって勉強したのよ」
「まぁぁぁー! 素晴らしい心がけだわ、コレット嬢様! マルク! 女心ってそういうものよ! アンタ、見た目だけは割といい感じなのにモテないの、そういうところよ!」
苦し紛れの言い訳だったが、マルクの意外な一面を知ってしまった。
そんなことをやっていると、ゴティアスが鳥のささみを数切れ持って来てくれた。
「ちょうどこちらがありましたよ」
「あぁ、それか。ちょうどいい、自分が文句を言って残っていた食材じゃないか」
「これ! マルク、やめんか!」
どうして彼はこんなにも私に対して敵対心を剥き出しにしているんだろう?
疑問には思うが聞けそうな雰囲気でもないので、ノワールのための食事を作るために調理台へ向かう。しかしもう、自ら火魔法を放とうとはしない。
「ゴティアス、これは?」
素直に使い方を聞くと、ゴティアスは丁寧に教えてくれた。火魔法さえ充填してあれば火力調節つまみで火の強さが変えられるらしい。
小鍋を借りると塩を一つまみ入れてお湯を沸かし、そこへ筋を取ったささみを入れ、すぐに火を消す。
「これでよし、と。あとはこのまま五分待つだけね」
「え?」
「は?」
ゴティアスとマルクがそれぞれ異を唱えた気がするが放置しておく。
その間にジョハンがこっそりと耳打ちして教えてくれた。
「マルクはね、腕に自信があるだけに嬢様が美味しく料理を食べてくれないことが不満なの。あの若さだし、天狗になってたのよ」
「そうだったの」
なるほど、とあの態度に納得してしまった。
「鳴物入りで我が家にやってきたマルクは最初、すっごく偉そうにゴティアスに接していたの。だから……実は他の使用人の皆はちょっとスッキリしたのよ!」
最後は少し声を潜めて、楽しそうに笑ってそう言った。
火を止めてからちょうど五分後。
「ニャァー!」
ノワールが知らせるように鳴いた。
「はいはい、もう五分経ったのね。エラいわ黒猫ちゃん!」
そういえばノワールの名前を教えてあげていなかったことを思い出した。
「この子はノワールっていうのよ」
「そうなのね~、とっても可愛いしおりこうさんね」
撫でられて褒められて、上機嫌でゴロゴロと喉を鳴らすノワールを見ながら、手でささみを裂こうとすると、真っ青になったゴティアスが止めに入る。
「お、お嬢様! そのような作業は包丁で私が!」
「これくらい自分でやるわ。柔らかいし、簡単ですもの」
「し、しかし! …………おや? このささみ、とても……柔らかい?!」
私から取り上げようとしたささみに触れたゴティアスが、驚いて絶叫する。
「なんだって?」
訝しげにマルクが近づいてくると、ゴティアスの手からささみを一切れ奪い取る。なるほどこういうところか、とこっそり納得する。
「……本当だ。ふんわりとしていて柔らかい……」
二人の驚きぶりを見て思い出した。
私がこの世界の料理が苦手な理由の一つが、お肉や魚の硬さなのだ。見た目はこんがりと焼き色が付いていて美しいのだが、何もかも、ただひたすらに見目だけを追求してこんがりと焼いてあり、パサパサとしていて、ただひたすらに硬いのだ。
「良かったら、食べてみて?」
手にしたまま角度を変えてはじろじろと眺めている二人が可笑しくて、そう提案する。
「良いのですか?」
「もちろん」
「ボクの! ボクのささみー!」
下からの非難の声を無視して、二人にささみを勧めた。
◇◇◇◇◇◇
そこからが大変だった。
二人があまりの柔らかさに感動し、それを見た他の使用人たちまでもがささみを食べたがり、足元ではノワールがひたすらに抗議し続け。
結果的に、手順を教えるのを兼ねて、もう一度ささみを茹でた。
「しかしお嬢様、よくこのような調理法をご存知でしたね」
「そ、それは……」
前世の記憶です、とは言えない。どうしようかと思っていると横からジョハンが助けてくれた。
「ゴティアスったら、なーに野暮なこと聞いてんのよ! 女性が美しくなろうとするのに理由も手段も選んでなんていられないのよ! それよりマルク!」
「なんだよ」
「ささみを一日数切れ、アタシ専用に仕入れるようにしてちょうだい!」
「そりゃいいけど、何すんだ?」
「アタシが食べるの! ねぇ、嬢様。このささみ、美容だけじゃなくって筋肉にも良さそうな雰囲気がするのだけれど? アタリかしら?」
そういえば、そんなことを料理教室の先生が言っていた。
低カロリーで高たんぱく、それから……。
「そうね。ジョハンの様に美しい筋肉を付けたいなら向いている食材だわ。それから、食べるならトレーニングの後に食べた方が効率が良いわ。あ、でも鶏肉だけでは駄目よ。他のお肉、魚や卵なんかも満遍なく食べてね」
「分かったわ」
気付いたら目の前に来ていたジョハンに、両手をがっしりと握られていた。
足元では、二度目のささみをたいらげたノワールが満足そうにゴロゴロと喉を鳴らしていた。
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