1-1 陰湿悪役令嬢の転生
「コレットお嬢様ぁぁぁ?!」
二階にある自室の窓から上半身を外へ乗り出した私を発見したのは、私付きの侍女であるリリアナ。
私はコレット・スノウスタン、十五歳。
……といっても、約二ヵ月後の四月には十六歳になる。貴族令嬢らしく鮮やかなピンクのドレスを身に纏い、華やかに結い上げられた頭には大きなリボンとレースが揺れる。
自室の窓の向こうの大きな木の枝の上から聞こえる猫の鳴き声に気付いたのは、つい先刻。
思わず窓を開けて、そこで震える真っ黒な子猫に手を伸ばすべく、精一杯上半身を乗り出したのだけれど……たまたま部屋の前を通ったリリアナが開け放たれたままのドアから部屋の中を見て、侯爵令嬢らしからぬ恰好の私を発見して思わず叫んだのが今。
「ニ゛ャッ!」
あと少しで届きそうだった子猫は、リリアナの声に驚いて尻尾を逆立てて、後ろへ飛び退いた。
「だめよッ」
不安定な木の枝の上で後ろへ飛び退いたその子猫に、もうギリギリまで上半身を伸ばしていたにも関わらず、私はさらに腕を伸ばしてしまった。
そして……
私の身体はグラリと窓の向こう側へ傾いた。
「キャ――――――!!」
リリアナの叫び声が部屋に響いた、その瞬間。
『パッパ――――――ッ!!』
その声と、重なるようにして私の頭の中に聞こえてきたのは車のクラクション。
車……?
クラクション……?
頭に響くその音があまりにも煩くて、ぎゅっと目を閉じた。
◇◇◇◇◇◇
仕事の帰り。辺りにはもう誰も歩いていないような時間帯。
あまりの疲労感に、通いなれた通勤路の歩道をとぼとぼと歩く。
そろそろ本格的に寒くなってきたしマフラーと手袋を出さないと。どこに仕舞い込んだかな……なんて考えながら。
この時期、街がイルミネーションで輝き始めると、独り身が虚しくなる……気がする。
いや、恋愛どころか二次元の男性にときめかなくなって久しかったんだった。
乙女ゲームさえあれば幸せに生きていられるから、本当にそんな気がしただけなのだろう。
実家からお母さんがかけてくる電話の一言目に「彼氏できた?」って言わなくなって何年だろう?
“花嫁修業よ!” と意気込んで一緒に料理教室へ通っていた同僚は、すでに二児の母である。
そういえば、早々にお嫁さんをもらい、すでに甥っ子を抱っこさせてくれた弟一家と、両親と祖父母が一緒に暮らす田舎の実家へも、ここ数年帰ってない。
一瞬だけ実家が恋しくなったが、ピュウ、と吹いてきた冷たい風に
「ひゃぁっ」
と声を上げると、浮かんできた白い息が流れて寒さを思い出す。
「早く帰ろ」
そう口にして、少しだけ歩調を速めた。
街灯に照らされて歩きながら、最近プレイし始めたばかりのゲームのことを考えてニヤリ、と口角が上がる。
自他ともに認めるほどに地味な女がニヤニヤしながら夜道を歩く。
いまここで向こうから誰か来たら完全に不審者である。
最近プレイし始めたばかりのタイトル、『 Love and Melt solitude. 』
略して『ラブメル』は、~愛で孤独を溶かして~ がテーマ。
昨日やっと、メインヒーローのルートに四種類ある、全てのエンディングを迎え、次は誰ルートを楽しむか、という一番楽しい時。
各攻略キャラの顔と名前はサイトでチェック済み、予約特典と初回限定盤特典のドラマCDはプレイ後のお楽しみ。ルート分岐の分かりやすいメインヒーローからプレイして、推しは最後のお楽しみ。美味しいものは最後に食べる派。
あぁ、そうだ今夜は何を食べようか……
しまった……!
冷蔵庫の中が空っぽなんだったことを思い出した。この時間でもまだ営業しているスーパーに寄るべく、進路を変えようと足を止めた瞬間。
目の前を黒猫が横切って、縁石の隙間から車道へ飛び出して行った。
「あッ」
思わず目を向けた先には、迫ってくるトラックのライトと大きなクラクションの音を前に、動けなくなっている黒猫。
その瞳がライトを反射して金色に揺らいだ。
気付いたらあたしは車道に飛び出して黒猫を掴み、さっきまで自分が歩いていた歩道へ放っていた。
そのまま体勢を崩したあたしは目の前に迫ったライトの眩しさに――――
"黒猫が目の前を横切ると不吉" って本当だったんだなぁ、なんてことを考えながら。
"ラブメル最後までプレイしたかったなぁ" なんてことを考えながら。
…………ぎゅっと目を閉じた。
暗闇なのに、真っ黒な筈なのに……
視界いっぱいの黒がぐにゃりと歪むのが分かった。
耳の奥ではトラックのクラクションが響いていた。
◇◇◇◇◇◇
「どうした?!」
ひどく焦ったお兄様の声に反射的に目を開くと、先ほどまでのシーンは消え、リリアナの後ろからお兄様が部屋に入ってきたのが見えた。そのまま私の視界は上へと向かい、スローモーションの様に天井から窓枠を捉え、自分の手が宙を掻くのを見た。
浮遊感に身を任せ、自分が落下しているのを感じながら、なぜか耳だけはしっかりともう一つの誰かの足音を捉えていた。
でもこの足音は、家族や使用人の誰のものでもないわ……
それどころではない状況なのに、脳内ではそんなことを考えていた。
「コレット嬢!!」
その声が聞こえた瞬間、すでに窓の外に投げ出されていた私の身体は、ワンピースのボリュームある裾をヒラヒラとさせながら、仰向けのまま空中でピタリと静止した……かと思うと、頭の大きなリボンとレースをゆらゆらと揺らしながらふわりと浮上して、先ほど後ろに傾きながら乗り越えた窓枠を、今度は仰向けのままくぐって見慣れた天井を見ながら自室へ戻った。
少し足が見えてしまっているけれど、丈の割にボリュームのある裾のお蔭でお兄様たちに大胆に晒す羽目にはならなかったことに安堵しつつ、部屋に戻れたのなら早く縦向きに戻して欲しい、と思う。現在のこの姿勢は、嫁入り前の娘……どころか、誰であってもあまり人に見せられた姿勢ではない。
ワンピースのスカート部分をぎゅっと握りながらそんなことを考えていると
《なにこの服! なんてヒラヒラなの?! いたたまれない! 無理! 無理! それにふくらはぎが丸見えじゃない! 長時間のデスクワークで浮腫んだ、みっともないふくらはぎがぁぁぁ》
突然、頭の中に自分のものではない声が響いた。
聞こえてくる、とはまた違う。言葉として発してはいないけれど、それでもその声の発信源が自分だというのは、はっきりと分かる。
「ザック! 助かった……! コレット、もう大丈夫だよ」
ふわふわと仰向けに漂っているままの私の耳に、お兄様の安堵した声が聞こえた。
《ザック……? コレット……? それにこの声はオルカナイト・スノウスタン……?》
「お兄様、これは……? それにさっきから、何か変な声が……!」
まだお兄様の顔は見えない。視界に広がるのは自室の天井。
「もう、大丈夫、だ……すぐに身体の向きを……」
次に聞こえたのは、先ほどの、おそらく自分を救ってくれたのであろうこの風魔法をかけてくれた声。その声には少し焦りが滲んで見えた。もちろん声の主に覚えはない。
でもお兄様の風魔法よりも、もっと繊細な魔力の流れを感じる。
《今の声って、もしかしてザック・ハスレイ?!》
頭の中に浮かぶ、二つ目の声。
「何? 何なの、さっきから……!」
そう口にしたと同時に、身体中をそっと撫でるような魔力を感じた。魔力の流れから、身体を起こしてくれようとしているのが分かって、ホッとする。
このまま待っていれば、私の身体は、ゆっくりと縦向きに戻されるだろう。
《わわッ、このまま立つの? 待って待って~!!》
大人しく待っていようとするのだが、頭の中に慌てた声が響いた。
そしてその声につられるように、焦燥感に襲われてしまった私の身体は、顔を上げようとして上半身を起こそうともがき、そのせいでグラついたバランスを保とうと、さらにもがいた。
自分のものではない感情につられて動く身体。
まるで二重人格者にでもなったかのような違和感に恐怖と不安が押し寄せる。
「……う、動かないでくれ……」
「ザック?! お前、それ! もしかして……」
突然、身体に流れを感じていた魔力が途切れる。
「しま……ッ!」
ゴツン、と後頭部の辺りから鈍い音がして、私の視界は再び暗闇に包まれた。
はじめまして!
ついにこちらで書き始めました…!
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