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洗い息を吐きながらひたすら足を動かし、笛を吹く。疲労からか、足を取られることが増えてきている。
目線を上げると、少し先で斜面が途切れていた。この先は角度が急になっているのだろう。
尻滑り…。
ふと脳裏に浮かぶのは、幼い頃に米袋を橇にして近所の雪捨て場の大きな雪山を滑り降りた記憶。近所の子供達の格好の遊び場だった。
斜面の向こうが崖なんて可能性は考えないことにして、麓まで一直線に滑り降りることを想像する。スピードが出過ぎて恐怖から涙が出るところまで思い浮かんだ。
フラフラと進み、斜面の向こうが見えてくるとーーーーーーー!!
現れたのは沢山の揺らめく灯りだった。
すぐそこから遠く左手の方へずっと連なる灯火。ゆらりゆらりと動く様は、まるで蛍のようだ。
人!!!
灯火を持つのは沢山の男達である。背が高く、屈強そうな体が月明かりに浮かび上がる。
何かの毛皮の帽子は耳当てまであり暖かそうだ。色ははっきりとは分からないが、濃い色の重たそうなマントもきっと防寒のためなのだろう。翻ると内側に淡い色のモフモフが見える。革鎧、だろうか。頑丈そうな革で胸と胴、腰回りが覆われている。
すごい。ラッセルして来たんだ。
膝くらいまで雪に埋れながら進んで来ている。あんなに重たそうな男達だ、雪面の氷も割れてしまうのだろう。
先頭の一団の男がこちらを見上げた。
距離はまだ50メートル程はあるだろう。顔立ちまではっきりと見えるわけではない。それでも、月の光を受けて一瞬瞳が金色に輝いたような気がした。
男は大きく目を見開き、何事かを叫ぶと走り出した。こちらに向かって、雪をかき分け飛び跳ねるように進んでくる。つられるように、他の男達もこちらへ向かって一斉に駆け出した。
助かった………?尻滑りは延期だ。
これって召喚パターンってことで良いのかな。とにかく、お迎えで間違いなさそうだ。
例え迷い込みパターンでも、害にならないと分かれば優しくしてもらえるだろう。多分。
安堵感から滲んできた涙が溢れてしまわないよう注意して、男が辿り着くのを待った。
目の前にたどり着いた男は、雪の中に跪いた。力強い瞳と見つめ合う。先程金色に見えた瞳は、眩しいほどの月明かりの中、今は深い緑色に見える。その中には朱金色の虹彩が散っていた。
細マッチョを超えてゴリマッチョ寄りの体格、太い首の上に意外と地味な顔が乗っている。眉間には皺がきざまれ、働き盛りの自信と貫禄が感じられた。
「我らが星、恵の巫女殿。アルトランス王の命によりお迎えにあがりました。我が名はグリフィン。北方騎士団特務隊を預かる者です。」
静かに告げる声は、胸郭で響く心地よい低音だ。そして、その落ち着きとは裏腹に、体からはゆらゆらと湯気が立ち上っている。
あったかそ〜!!きっと体温が高いのだ。それがここまでラッセルして来たのだから、益々筋肉が燃えているのだろう。あのがっしりとした胸に飛び込みたい。そしてマントの内側に入れてもらいたい!!!
跪いて名乗った騎士から立ち上る湯気は、雪景色の中の露天風呂を思わせるものだった。
あ。言葉がわかる。日本語じゃないけど理解できた。神様?言語チートありがとうございます!
名、姓の順番で名乗るべきか。それとも下の名前だけ名乗ってしまおうか。その前に私を迎えに来た、という点を確認しようか。一瞬で考えが頭を巡るが、口からこぼれたのは残念なことに一言だけだった。
「さむっ、さむいよ〜。」
口周りの筋肉が寒さで強張ってしまって、話しにくい。もどかしく思い一歩前に足を出したところ、雪に埋もれてつんのめってしまった。
ドサッと騎士に向かって倒れる。頭突きしてしまうかとヒヤッとしたが、素早く抱きとめてくれたため、顔は騎士の首元に、右半身を胴当てに密着させる形になった。
あ!あったか〜ぃ!!!
頭の中は暖を取ることで埋め尽くされ、暖かな首元に冷え切った鼻先を擦り付ける。右脇を抱き止められた格好から、左手も騎士の体に伸ばし、より暖かそうなマントの下に潜り込んだ。完全なる痴女の行為である。
痴女でも良い!暖かいこと以上に大切なことなんてない!!
先ほど堪えた涙も、暖かさを実感すると止めどなく溢れてくる。もちろん鼻水だって垂れ放題だ。
「ヒッく。もぉ無理で…。歩けな。足冷た…です。お願、しま…。…すけて。」
必死に歩いている間は何ともなかったのに、暖かな温もりに触れた途端、体がガタガタと震えだし、歯も噛み合わない。この温もりを逃すまいと必死に縋り付いた。
認定だ。この騎士様は巨大カイロだ。あのちょ〜あったかい溶岩の名前のやつだ。
「失礼!」
ガバッと騎士に抱え上げられる。
お姫様抱っこきた〜〜〜〜!!!!
「お迎えが遅くなり申し訳ありません。直ちに我々の陣へ向かいます。天幕の中で暖かな食事を取って、今日はゆっくりとお休みください。」
コクコクと頷き、より居心地の良いポジションを探して左手をマグマ騎士様の首に巻き付かせていただき、後は考えることを放棄しようと目を閉じた。何せ寒いし疲れているから。
ところが、それを邪魔する者が現れた。現れたというか、マグマ騎士様と一緒にやって来てずっといたのだが、今存在を主張しだした。
「隊長、お待ち下さい!救護は我々の仕事です!隊長はどうぞ連絡等の指示を。巫女様のことはお任せください。…巫女様、私は治癒師のウェインと申します。ささ、どうぞこちらへ。」
チラリと治癒師を名乗る者を見やると、せっかくの暖かな帽子を取り、ファサリと頭を振り金の髪を煌めかせて、こちらをじっと見つめてくる。その目は鮮やかなオレンジ色で、顔立ちは鼻筋が通った驚くほどの美形である。若さがそうさせるのか、やや傲慢な雰囲気がある。
おぉ。キラッキラお坊っちゃま、眩しい!!目が絡むよ!
細マッチョのキラキラ治癒師からは湯気が出ていないのを確認すると、途端に億劫に感じた。目を閉じて答える。
「どーゾ…お構、い、な…。」
歯がガチガチなって、上手く話せない。もうちょっと角が立たないようお返事したい気持ちはあるが、医療従事者なら状況をわかって欲しい。閉じた目蓋をスリっとマグマ騎士の首元に戻し、体の力を抜いた。