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MS06 「足が出る話」


 夢を見た。


 夜道。


 僕は車を走らせていた。

 道の両側は枯れ草の海。ライトの光の輪の外、雨混じりの風に蠢いている。


「捨てないと……」


 呟く。

 車内に生きた人間は僕しかいないのだから、呟く意味はない。

 捨てないと……捨てないと。

 芝居掛かったセリフだと自覚する。でも、呟いていないと落ち着かない。

 森で迷子になった時にパン屑を落としていくような気分。

 舗装の状態は悪く、車体はガタガタと揺れた。オンボロの軽自動車には負担が大きい道だ。トランクの中で音がした。そちらに気を取られた瞬間、タイヤが何かにはまり、車が動かなくなった。下りて見ると、側溝にタイヤが完全に挟まっていた。コンクリートの蓋が割れて欠損している。側溝の存在自体、茂った草で全く気づいていなかった。なんとか抜け出せないかとペダルを踏んだが、タイヤは空回りするだけだった。

 冷たい雨の中、立ち尽くす。

 そこに近づいてくる車のライトが見えた。


 近づいてきたのは軽トラックだった。地方の農家なら一家に一台はありそうなありふれたものだ。

 荷台には荷物が山積みになっているようで、ビニールの覆いがかけられていた。

「お困りかね」

 トラックから降りて来た男は薄茶色の作業服を着ていた。白髪混じりの長めの髪を後ろでくくり、日に焼けた肌の上にかかっている。降り注ぐ雨を気にした様子もなく、僕に近づいてきた。助手席にもう一人乗っているが、こちらは降りては来なかった。

「タイヤが溝に」

「ああ、それは困ったね」

 服装の割にインテリっぽい口調だったが、まくりあげた袖から覗く腕は筋肉質だった。運転席の下からジャッキを取り出すと、慣れた手つきで車の下にセットした。

「ちょっと手伝えよ」

 助手席の男が降りてきた。こちらは見上げるような大男で、彼が押すと簡単に僕の自動車が傾いた。その隙間にジャッキを挟み、タイヤの下に割れたブロック(元々、側溝の蓋だったと思われるもの)を挟んだ。

 男の指示でアクセルを踏むと、すんなりと車は溝から抜け出すことができた。

「ありがとうございます」

「いやいや、大したことじゃないよ」

 白毛の男は大きく手を振った。近くでみると、かなりの藪睨みだとわかった。声は陽気だし、知的だったが、頭をカクカクと左右に傾けるくせがあった。

「こんな夜道にどこに行くんだね」

「いや、ちょっと道に迷ってしまって……」

 男が車に近づこうとしたので、慌てて間に入った。

 鍵がかけてあるとはいえ、トランクの中身を見られるわけにはいかない。

「トランクから何かはみ出してるぞ」

 助手席の男が車の後に立っていた。見れば確かにトランクから花柄の布地がはみ出ている。どうして、閉めた時に気がつかなかったのだろう。

 これじゃあ、途中で開くぞ、と男が手を触れた瞬間、トランクが開いた。

 中に入っていたのは女の体。

 バラバラに切断されてビニール袋に入れられた死体。

 太ももで切り取られた自分の足を抱え、恨めしげに虚空を見つめている。


「おやおや」

 白毛の男はトランクを覗き込んだ。

 もう終わりだ。

 僕は頭を抱えた。

 だが、聞こえてきたのは呑気な会話だった。


「血抜きがうまくいってない。これじゃあ、すぐに痛んじまう」


 二、三本、持たせてやれよ、と男が言うのが聞こえた。

 二、三本?

 助手席の男が頷き、荷台のロープを外した。覆いを勢いよく外すと荷台の半分ほどが露わになる。

 そこに積み上げられていたのは、無数の足だった。おそらく女の足だろう。

 雨に濡れた白い肌は血の気がなく、濡れた饅頭の皮を思わせた。

「これなんか、いいだろう」

 白毛の男はひょいと足を荷台から降ろすと、僕に渡した。

 氷のような冷たい感触が腕にずしりと響く。

「いや、でも……」

「遠慮するなよ。今年は余っているくらいなんだ」

 いや……でも。

 その時、夜道の向こうから車が数台近づいてきた。両方とも軽トラックだ。

 その荷台に積まれているのは、やはり女性の足だった。こちらは覆いもかけず、山積みになっている。車が揺れるたびに、簡単に虎ロープで留められただけの足は落ちそうになった。

「な、たくさんあるんだよ」

 男はさらに数本の足を僕に押し付けた。白毛の男はニコニコと笑い、助手席の男もニコニコと笑いながら頷き、僕の車の中に足を入れ始めた。車の中が足で満たされていく。

「いや、結構です」

「いいから、いいから」

「いや、本当に」

 足なら十分ですから!


 ……そう叫んで目が覚めた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 朝


「なんだか、随分とうなされていたわね」

 僕が焼きたてのトーストを皿に移している時、彼女が尋ねた。

 彼女の住む家のキッチンは窓が大きく、朝日が白々しく注いでいた。

 この家で彼女は一人で暮らしている。週に二度、家政婦がくるが、基本的には一人で身の回りのことをこなしている。僕と交際するようになってからも、そのスタンスは変わっていない。

「悪い夢でも見たの?」

「ああ、そうなんだ」

「どんな夢?」

「……忘れた」

 コーヒーを注ぎながら、僕は答えた。

 夢の内容は嫌になるほどリアルに覚えている。頭痛の原因はきっとそれだ。

 彼女はコーヒーを受け取った。前髪が眉の少し上で切りそろえられた長い髪は朝からきちんと整えられている。昨夜は遅くまで学会発表用の論文を書いていたはずだが、疲れた様子は見せない。そんな女性だ。

「足がなんとかって叫んでたわよ」

 彼女の言葉に手が止まり、コーヒーが指にかかった。

「いや、その……なんか……足に関する内容だった気がする」

「足ねえ」

 怖かった? と彼女が尋ねる。

「た、たぶんね。怖い人に追いかけられて、足がすくんじゃう感じ……よくあるだろ」

「ま、あるんじゃない? 私はないけど」

 コーヒーを飲みながら、彼女がうなづいた。

 じっと黒い水面を見つめている。

 まずいこと言ったかな、と不安になっていると彼女が喋り出した。

「実は、私も怖い夢を見たの」

 暗い学校の校舎みたいな建物で、私が誰かに追いかけられているのね。

「廊下を足音だけが響いてくるの。逃げなきゃ、って思うんだけど、廊下に色々と物が落ちてて進みにくいのね。まるで台風がきた後みたいだった。それでも進んで行くんだけど、ある角を曲がったところで行き止まりになっていたの」

「……それで、どうなったの?」

「足音だけが近づいてくるの。角の近くまで来て、いよいよってところで姿が見えるの。……それがね。足だけなのよ」

「足だけ?」

「そう。太もものところで切られた足が二本、歩いてくるの。まるで透明な胴体があるみたいに。私はヒエーって悲鳴をあげて後退したのね。ヒエーって。そしたら、誰かが後ろから私の肩を掴んで、耳元でこう言ったの」

 彼女は顔を近づけた。


「あれ、アッシの足です」


 僕が無言でいると、彼女は真剣な表情を懸命に続けた。

「わかる? 昔の一人称の『アッシ』と、『足』がかかってるのね。ちなみに、謎の声は江戸ッ子っぽい口調で……」

「わかるよ!」

 僕は吹き出した。ただのダジャレじゃないか、と。

「怖かったのよ」

 真面目くさった表情で彼女はコーヒーを飲み、そこでクスクスと笑いだした。

「ま、嘘だけどね」

「そうだと思った」

「よかったら、貴方の夢も聞かせてよ」

 悪い夢は抱え込むと良くないわよ、と付け加えた。

「そうだね。……でも、忘れちゃったんだよ。大したことない内容だったんだ」

 沈黙が僕らを包んだ。でも、何かを急かすような沈黙ではなかった。

「……夢の中でね」

「うん」

「君が危ない目にあってたんだ」

 夢でよかったよ、と僕は付け加えた。

「意外と無意識の願望が現れていたりして……」


「そんなことない!」


 僕の剣幕に彼女は目を丸くした。

「冗談よ」

 貴方がそんな人のわけがないもの、と彼女は言った。

「ごめんなさいね。冗談でも言っていいことじゃなかったわ」

「……気にしないよ」

「そう……なら良かった」

 彼女は微笑み、僕も微笑んだ。胸の奥が一瞬、痛んだ。


 朝食を食べ終わり、買い物がてら近くの公園に出かけることにした。

 僕が車椅子を押そうとしたが、一人で大丈夫だよ、と彼女は言った。





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