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辺りに人は多いし、近付く人がいても全然気に留めることなどなかった。
「わっ!」
花火に集中するフローラたちは、突如かけられた声にびくっと身体を震わせ、辺りを見回した。
背後に立っていたのは、青いドレスに仮面をつけた女性だった。
髪は金色で、縦にくるくると巻かれている。
誰だろう?
ドレスだから女性だと思ったけれど、仮面は性別も年齢も不明にしてしまうから自信はない。
仮面の人は笑いながら、
「びっくりした?」
と言い、仮面を外した。
「お、お母様」
仮面の下からでてきたのは、フローラの母親だった。
彼女は腰に手を当てて、口許に笑みを浮かべて言った。
「モニカが、貴方たちがここにいるとか言うから。
どうして貴方たち、ここにいるのかしら?」
顔は笑っているけれど、声は怖い。
フローラは思わずひきつった顔になる。
「そ、それは、その……」
「すみません。
俺が、フローラを連れ出しました」
そう答えたエーリオの顔を見るけれど、仮面をして、口もとしか見えないのでどんな顔をしているのかよくわからない。
「どうやって屋敷から来たの?」
「お母様の部屋から、転移の魔法の石を持ち出しました」
エーリオがあっさりと白状したのは、正直驚きだった。
いくらでも誤魔化しようがあるだろうに。
母はやはり笑顔のまま、
「エーリオ様、大胆なことをなさるのね」
と言った。
声からすると怒ってはいないようだ。
そして、母がエーリオに様をつけているのが不思議だった。
いつもは呼び捨てなのに。
なぜ様をつけるのだろう?
まるで、他人みたいだ。
母は、フローラの手を握り、
「行きましょう」
と言った。
「どこに?」
「バルディ様の所」
怒られるのかな。
そう思い、エーリオを見る。
仮面は全てを覆い隠してしまい、彼が今どんな顔をしているのか、全くわからなかった。
母に連れられる途中、露店の店主が声をかけてきた。
「お嬢ちゃん、お母さんと一緒かい?
どうだいひとつ」
そう言って、紫色の石を示す。
「あら、紫水晶じゃない」
「お母様、わかるの?」
「当たり前じゃないの。うちでも宝石は扱っているのよ」
フローラの家は貿易商だ。
何を扱っているかはよく知らないが、家には不思議な形の飾り物や変わった食器などがある。
「濃ければ濃いほど、石のもつ魔力は強いって言われているのよ」
「そうなの?
さっき友達はすごく嫌がってたけど」
「友達?」
店主と母が不思議そうな声を出す。
「えぇ。祭りで知り合った女の子」
すると、店主は首を傾げた。
「女の子なんていなかったぞ?」
「え?」
そんなわけはない。
たしかにアリスはいたし、一緒にこの石を見た。
「いや、女の子なんていなかったけどなあ」
と、首を傾げて店主は言った。
そんなはずはない。
彼女は確かにいたし、手を握られた。
その時の感触はちゃんと覚えている。
異様に冷たかった、彼女の手。
確かに一緒にいたのに、なぜ店主はいなかったなんて言うのだろうか。
「連れていかれなくて、良かったわね」
母はそう言い、店主から紫色の石を購入した。
そして、フローラに握らせる。
「子供は、簡単に向こう側に連れていかれてしまうのよ。
この世界との結び付きが弱いから」
「向こう……側?」
その意図に気がつき、背筋を冷たいものが伝う。
「ええ。
死者の国よ。
貴方たちも見たでしょう?
町中の灯火を。
あのなかには、亡くなった人の魂も含まれているのよ」
「う、うそでしょ?」
心なしか、声が震える。
母は、肩をすくめて、
「どうかしらね」
と言った。
「貴方は、それを持ってなさい。
どこかに連れていかれないように」
「え、エーリオは」
「彼は大丈夫よ」
見ると、エーリオの肩に鳥がとまっていた。
夜の闇夜でも飛べる鳥だろう。
その鳥は喉を鳴らしたあと、すりすりとエーリオに頬擦りをする。
すると、エーリオはあからさまに嫌そうな顔をした。
「鳥……」
「モニカの使い魔よ。何かあれば護ってくれるから」
「いつの間に……」
「たぶん、けっこう前から見張られていた」
ということは、とっくにフローラたちがここにいることはばれていた、ということか。
いくら親に内緒にしてもばれてしまうものなのか。
「なんでわかったのか不思議なんでしょう」
いたずらっぽく言う母に、フローラは頷いた。
「私があなたにあげた首飾り、常に身に着けていなさいって言ったでしょう?
それのおかげよ」
「え……でもなんで……」
たしかに首飾りはしている。
けれどなぜ首飾りで居場所がわかってしまうのだろうか。
「魔法……」
エーリオが呟く。
「魔法?」
「貴方のしている首飾りにかけられている魔法の種類がわかれば、ありかがわかるのよ」
知らなかった。
魔法のかかっている品、というのは一般的に流通しているものだ。
特に身に着けるものにかかっている場合、所有者を守ってくれると言われている。
危険が近づけば教えてくれたりするものが多いらしい。
「まあでも、危険はなかったみたいだし。
よかったわね。ほんとうに、連れて行かれなくて」
それを聞き、背筋をすうっと冷たいものが走った。
そのあと、エーリオの両親と顔を合わせた。
彼の母は苦笑し、彼の父は呆れた顔をした。
さすがに人前で叱るようなことはしなかったけれど、屋敷に帰った後、居間でくどくどとエーリオの父は彼を叱った。
「お前は自分の立場をわかっているのか。
お前が勝手な行動をすることで、どれだけの人間に影響を及ぼすと思っている」
「申し訳ございません」
淡々と、エーリオが答える。
正直フローラは止めるべきだったのだろうが、乗っかったのは事実だ。
自分も叱られるべきだろうに、誰も何も言ってこない。
それがなんだかいたたまれなかった。
叱るなら叱られた方がいい。
なぜ黙って彼が叱られるのを見ていなくてはいけないのだろう?
「私だって勝手に外に出たんだから。
なんでエーリオばかりが怒られるの?」
ひっそりと母に尋ねると、母はそうねえ、と呟いた後小声で言った。
「彼は貴族の跡取りだもの。
人の上に立つことが定められているから。
でもあなたは違う。そういうことよ」
そう母は言うが、意味が分からなかった。
確かに彼は貴族だ。
この国に貴族は七つしかおらず、長男のみが後を継ぐことができ、弟や姉妹は結婚すると貴族の地位を失うという厳しい決まりがある。
エーリオは王位継承権があるし、この広い領地の領主になることが決められている。
人の上に立つ人。確かにそうだけれど、だからと言ってなんで彼だけが怒られるのだろうか。
「人の上に立つってことは、責任を負うってことなのよ。
まだ、貴方には難しいわね」
「よくわからないわ。
責任て言われても」
くどくど叱られても、エーリオの表情は変わらない。
しゅん、としている様子もないし、怒られていることが不満、と言う風でもない。
最後に、彼の父親はエーリオの頭を撫で、おやすみ、と言い、その場を離れた。
フローラとエーリオ、それに母親たちの四人だけになった室内。
エーリオは母親であるモニカのもとに行くと、頭を下げた。
「勝手にものを持ち出して、申し訳ございませんでした」
「気にしてないわよ。
でもね、気をつけなさい。
貴族である以上、貴方には危険も付きまとうのよ。誘拐だとか、暗殺だってりえるのよ。
それに祭りの夜、外に出てはいけないという掟にはちゃんと意味があるの。
連れて行かれなくて、本当によかったわね」
連れて行かれなくてよかった。それは心底思う。
アリスは本当に、亡くなった人の魂だったのだろうか?
あの、異様に冷たかった手。
フローラは彼女に握られた手を見つめる。
「どうせ、エーリオがフローラを誘ったんでしょう?」
「その通りです」
「でも、私も行きたいって言ったし、エーリオが悪いんじゃないです」
モニカに精一杯そう主張すると、彼女は頷いて笑う。
「でしょうね。
でもそれはとても危険なことよ。
フローラを危ない目に合わせることになっていたかもしれないのよ」
「でも、エーリオは友達だし……」
「フローラ」
強い口調でエーリオが言う。
彼は無表情にこちらを見つめ、
「誘って悪かった」
と言い、頭を下げた。
なんで謝るんだろう。
確かに言い出したのはエーリオだけれど、止めもせず一緒に行きたいと言ったのは自分なのに。
おかしい。こんなの。
「誰にでも平等に。
喜怒を表に出さず、冷静に判断しなさい。
好き嫌いで物事を判断してはならない。
貴族には、そういう教えがあるのよ、フローラ」
「え?」
誰にでも平等に。
と言う言葉がとても引っかかった。
昔は、エーリオと贈り物のやり取りをしていたし、一緒に遊ぶ機会も多かった。
けれど最近は違う。
そっけないし、他人行儀だ。
だから今日誘ってくれたのは正直嬉しかった。
「最近、エーリオってば故意に友達を遠ざけているみたいなのよね。
そこまでしなくていいのに、この子ってば」
言いながら、モニカはエーリオの頭を撫でる。
するとエーリオはすっと一歩後ずさり、その手から逃げてしまった。
それを見てモニカは苦笑する。
「子供はだめって言ってもやる生き物だし。
とりあえず連れ去られなかったし」
そう言い、母はフローラの頭を撫でた。
フローラはエーリオから視線を外せなかった。
彼は相変わらず表情がない。
昔は愛嬌があって、感情豊かだったのに。
祭りではあんなに楽しそうにしていたのに、今は見る影もない。
貴族だから? だからエーリオはあんな風に変わってしまったのだろうか。
「極端から極端に走るんだから」
「そんなんじゃないです」
「はいはい。
もうおそいし、お風呂入って寝なさい、ふたりとも」
モニカに言われ、エーリオはまた頭を下げて部屋を出て行こうとする。
フローラはそんな彼を追いかけて、その腕を掴んだ。
「ねえ」
「何」
エーリオは無表情にこちらを振り返る。
フローラは彼の青い瞳を見つめて言った。
「楽しかった。
ありがとう、エーリオ」
すると、すこし驚いた顔をして、そして彼は視線をそむけてしまった。
「おやすみ、フローラ」
「うん。
おやすみ、エーリオ」
フローラの手から、エーリオの腕が離れ、そして彼は部屋を出て行った。
きっと、もう、彼とあんなふうにふたりで出かけることなんてないのだろうな。
そう思い、フローラは彼の腕を握った手を見つめた。
ありがとうございました。