第9話 野衾
「あ、あの。殺してしまうんですか………?」
恐る恐る問いかける。
野衾は、ただ生きようとしていただけ。偶然、この学園に迷い込んでしまっただけ。そんな命を奪うことが許されて良いのか。甘い考えだと叱られてしまうかも知れない。でも、なにも言わずに許容することは出来なかった。
「…………まあそう言うことになるわね」
ぎゅっと唇を強く噛み締めた。どうすることも出来ないのだろうか。外に出て行かないというのなら、学園の外に出してあげれば良いのではないか。そんな考えすら頭を過ぎるが、頭を振って振り払う。駄目だ。学園の外に出せば解決だなんて無責任すぎる。外に出して、それで学園の外で誰かが襲われるかも知れないのに。
「………逃がしてあげられたらって考えているんでしょう」
ビクッと思わず肩が跳ねる。図星をつかれて、冷や汗が流れた。嘘を吐くことはしたくない。何も言えずに、俯いた。ふるふると、身体が震える。これは罪の無い物を殺すという恐怖から来る物なのか。それとも殺すしか学園を守る方法がないという事に対する怒りから来る物なのか。
地面を見つめていると、猫が血に塗れて倒れ伏していた光景がフラッシュバックする。あれがもし、人間だったら。私は今と同じように、野衾を殺すことを躊躇っただろうか。
「偉いね」
そう言って、師匠は私の背に手を添えた。
「ちゃんと、向き合って考えられるのは偉いよ。大抵の人は見て見ぬ振りをしてしまう問題なら尚更。自分が納得できるまで考えなくちゃ駄目」
師匠の言葉に恐る恐る顔を上げて、部長を見つめた。
揺らめく炎が野衾を包み込む。
ごうごうと音を立てて燃え上がる炎を、一歩引いて見つめる。せめて、私は目を反らさないようにしよう。踵を返して逃げ出そうとする脚に力を込める。十数秒が数時間にも感じられた。炎は突然、ボンと音を立てた後に跡形もなく消えた。
野衾の焼け焦げた遺体が、そこにあった。
一歩、また一歩と近づいて遺体の前で膝をつく。グッと両手に力を込めて、土を掘る。師匠も、部長もなにも言わずに待っていてくれる。まだ、分からない。この世界に足を踏み入れて、数時間もたたない私では、何が本当に正しいのかすら分からない。
でも、この遺体を放っておくのは間違っていると思った。
小さな遺体が入るくらいの穴を掘り終えて、手についた土を軽く払う。
目を閉じて手を合わせる。
お別れを言うのも、謝罪をするのも、何か違う気がして結局何も言わなかった。
そっと小さな身体を持ち上げようと手を伸ばす。それを、師匠に止められた。
「………火傷する」
「あ………、そうですよね。すみません。うっかりしてました」
私が手を引っ込めたのを確認して、師匠は遺体に手をかざした。ゆっくりと遺体は宙に浮き、私が掘った穴に降ろされる。
「有り難うございます。師匠」
一掬いずつ、土をかぶせる。
今の私に出来るのは、これだけ。
見つけたいと思った。自分が、これが正しいのだと胸を張れる答えを。
その為には先ず、力をつけなければならない。
部長と、師匠。二人の足を引っ張らずに、怪異に立ち向かえるだけの力を。
◆◆◆
3人で部室に戻った。これでもう万事解決。今回の事件の結末が、私にとって正しいことだったのかどうかは未だ分からない。けれど、一先ずはもう学園内に危険は無いのだということに安堵していた。
ほう、と肺の奥深くから息を吐き出す。
いつもより早く脈動していた心臓も少しずつ落ち着きを取り戻していた。
「まだ終わってないわよ。最後の大仕事が残ってるわ」
ちゃんと見ていなさい、と部長に背中を叩かれる。
見れば、師匠が人形に折られた懐紙の入ったビニール袋を持ち、一枚一枚机の上に並べている。部室の左隅にある木製の引き出しが開いている所を見ると、そこから取り出したものらしい。テーブルにびっしり並べられた人形がゆるり、ゆるりと身体を起こす。揃った動きで浮遊していた人形はきっちりと列を成してダンスを踊るようにしながら窓の隙間にぺらぺらの身体を滑り込ませる。そして、それぞれバラバラに目的地へと散っていった。
「師匠、それは一体………」
「お呪い」
「おまじない、ですか?」
「そう。恐怖が消えるようにお呪い」
ガサガサとビニール袋を終いながら、師匠は言った。恐怖が消えるようにと言うのは、どういう効果のあるお呪いなのだろうかと首を傾げていれば師匠は、私の目の前に一つ人形を持ち上げて見せた。
師匠曰く、人形は災いや悪い物から私達を守ってくれるものなのだそうだ。
今回、学園内外の事件の目撃者の元へと飛んでいった人形達は相手の悪い物を引き寄せ肩代わりする。こういった、怪異に関する事件でこの人形を使えば現れる効果はほとんど同じらしい。目撃者の記憶をあやふやにして夢でも見ていたかのように思わせる。それは、大凡の人間が怪異をあるべきでは無いものと思っているから。
解決した事件の記憶は、泡沫へと消える。
「…………だから、神秘探索部は変人の集まりって思われているんですね」
ぽつりと呟いた私の言葉に部長はさっと目を反らした。