前のルールは通用しない
目をさますとマーニャがこちらを覗き込んでいた。
その横には俺が釣り上げた、バカでかいカジキのようなものがいる。やつは既に息絶えたようだ。このバカでカジキ一体どうしようか?
とりあえず、マーニャの頭をポンポンと撫でて立ち上がる。
釣り竿はどうやら壊れずに済んだようだ。
「何で湖なのにカジキなんているんだよ」
つい、思った疑問を声に出してしまう。勿論、この疑問に応えるものなど誰もいない。
まあ、ファンタジーの世界だしこんな事があってもいいのかもしれない。魔物なんかも居るくらいだし。
「さてと、この巨大生物カジキをどうにか処理しないとな」
これをそのまま放置するわけにもいかないし、どうにかして家にまで持っていかないといけない。
しかし、こんなでかいカジキをどうやって運んだものか…いや、身体強化を使えば運べないこともないが、多分家につく頃には食べれない位になってるぞ。身長差のせいで。
だからと言ってこいつをここで調理すると言うわけにもいかない。
何故なら、俺はこんなにでかいカジキを解体する技術なんか持ち合わせてないからだ。
となるとやはり、このバカでカジキを運ばなきゃいけないわけだが。
俺はカジキにかぶりつこうとしているマーニャを止めながら、うんうん唸りながら考え込む。
「若旦那、このメチルヴァどうしたんすか?」
とその時、ちょうどいい事にフリッツが通りかかった。
紹介しよう。フリッツとは前ポルンブルグの雇われ料理長、うまい飯を作ることで有名な人だ。
フリッツは俺の事を三男だから領地を継がないのに若旦那と呼ぶ、変わったやつである。
「釣った」
「いや、釣ったて……ソフィーから若旦那が釣りに行ったって聞いて、今日の夕飯に若旦那の釣った魚でも使おうと思って来てみりゃこれっすよ。それが何だか若旦那わかってるんすか?」
「知らん」
「知らんって……そりゃ無責任過ぎるっすよ。一応説明しておくと、そいつはメチルヴァつって魔物の一種で海ん中では王者とも言われる、ここの主すっよ。何で湖に済んですかは知らねですけど」
「へえ。そうなんだ。まあ、釣ってしまったものは仕方がない。フリッツ、こいつをどうにかしてくれ。夕飯に使う魚を貰いに来たんだろ?なら、ちょうどいいじゃないか」
「いや、確かにそうっすけどなんか釈然としないっすね」
「フリッツは大人なんだから、こういうのは当たり前だって。わかったらさっさと働く!」
「そりゃやれと言われればやりますけど。それより、若旦那。血抜きはしたんですよね?」
「血抜き?やってないけど?そもそもやり方知らないし」
そう言うとフリッツは明る様に呆れた顔をした。
「いいですか若旦那?血抜きってのは重要なんすよ?これをしないとカジキなんかはすぐ痛んで、生臭くなっちまうんすよ?」
「なるほどね」
「今から俺が血抜きの作業するんで、今度から若旦那でも出来るようにちゃんと見といてくださいね?」
と言ってフリッツは血抜きを始めたが、手際がよすぎて何やってるか全然わかんなかった。
とりあえず、魚は釣ったら血抜きすればいいんね。
「はい!これで血抜き完了!あ、そうだマーニャちゃんこれ食べる?」
そう言ってフリッツはメチルヴァの切り身をマーニャに差し出す。
ってちょっと待ったー!はいそこ、マーニャ。フリッツから切り身を貰って食べようとするんじゃない。
「フリッツ!生で刺し身を渡さない!マーニャが寄生虫にかかったらどうする!」
「はあ。若旦那、寄生虫ってなんすか?ほら、マーニャが悲しそうな顔をしてますよ」
ああ、寄生虫って言っても伝わらんのか。そりゃそうだよな、ここは地球じゃないんだしアニサキスとか分かんねえよな。
「それに、鮮度がいいから生で食べても大丈夫っすよ」
この世界も日が経ったものを食べると腹を壊すと言うのは、経験則で誰でも知ってることだ。だが、鮮度がよければ生でも大丈夫と思ってる。
ばかやろう!そもそも俺達の国家は内陸国だから生食文化とかありゃしねえじゃん!それにフリッツ!お前の料理も全部火通してあるだろ!なのになぜ刺し身をすすめる!
「ダメなもんはダメ!マーニャに食べさせるんならちゃんと火を通せ!」
「若旦那がそう言うんなら別にいっすけど。生だとうまいのに」
フリッツはそう言うと手に持ってた刺し身を自分で食べる。
マーニャ、そう残念そうな顔をするな。アニサキスは本当に恐ろしいんだからな。別にフリッツがかかっても気にはしないが。野郎だし。
「ほら!マーニャが悲しそうな顔してるじゃないっすかあ、若旦那。しょうがないっすね。ちょっと待っててねマーニャちゃん」
フリッツはそう言って鞄からクッキーを取り出した。
「はい、マーニャちゃん。今はこんなもんしかないけど我慢してね」
マーニャはクッキーを受け取って食べ始めた。
実はこのクッキーはフリッツ製である。見かけによらず菓子作が大好きなのがフリッツである。
そんなフリッツはマーニャを撫でようとしている。なんてことを!俺のマーニャに触れるんじゃねえ!
フリッツが自分に触れようとしてることに気づいたマーニャは、俺の後ろに隠れる。
「くっ!あと少しで撫でれたのに!」
「残念だったな。さあ、家に戻ろう。フリッツはそのメチルヴァを担いで調理場にまで持ってくんだな。今日の夕飯は期待してるぞ」
俺はマーニャの手を引いて、自宅への帰路を歩み始める。
フリッツが何やら文句を言ってるが無視だ。俺のマーニャ触れようとした罰である。俺は意外と独占欲の強いことで有名である。
それにまだ、この世界の人々が獣人をどう思ってるかわかんないしな。まあ、フリッツは獣人に対して好意を抱いてる感はあるが。
そんな事を考えながら、マーニャと手を繋いで帰路を歩いて家についた。
「おかえりなさい、お坊ちゃま。って泥だらけじゃないですか!」
ドアを開けて玄関に着くと、ソフィーにそう言われた。
「はあ。あとで服を洗っときますから、先にお風呂でも入って来てください。勿論、マーニャも連れてってくださいね」
「はいはい、わかったよ」
そうソフィーに言って、マーニャの手を引き浴室へと向かう。何故か古代帝国のおかげで風呂文化のある異世界である。しかし、浴室を備え付けられるのは貴族だからなせる技である。
ってそうじゃねえ!何さらっとマーニャと一緒に入る事になってんだよ!
いや、子供同士だしそこまで気にする必要もないのか?いや、しかしな…
結局、一緒に入る事にした。
この世界にはまだシャンプーと言う画期的なものは存在していない。そもそも、シャンプーがあったところで、もっふもふのマーニャにそのシャンプーを使っていいのかという問題がある。
という事で、お湯で汚れを落とすだけにとどめておく。
ちなみにこのお湯だが、魔石という謎エネルギーで賄われている。古代帝国時代みたいに奴隷を使って沸かすと言う、非効率的なものでは断じてない。
体を洗って浴室を出ると、見計らった様にソフィーが居る。そして、二人そろってソフィーに体を拭かれ服を着せられる。マーニャは念入りに拭かれていた。
さて、風呂に入っていたら、夕食に近い時間だ。
「ソフィー、今日は自室で食事を取るよ。フリッツにもそう言っておいて」
「それですと、ヨーゼフ様が悲しまれますよ?」
うっ。確かに自室で食べる事になったら、お祖父様一人で食べる事になるから悲しむだろうな。でも…
「でも、マーニャと一緒に食べたいし……」
「なら、ヨーゼフ様にそうご相談なさればよろしいではありませんか。さあ、食堂に行きますよ」
そう言ってマーニャと一緒に食堂に連れて行かれた。
廊下の窓から見える夜空には月が2つ並んでいた。とことん地球の常識が通用しない世界である。