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エンドリア物語

「愛を込めて」<エンドリア物語外伝70>

作者: amamitsuboshi

 いつもより30分ほど早く目が覚めた。

 二度寝しようか迷ったが、起きて階段を下りた。

 食堂からは、包丁の音。

 まだ、朝食の支度の最中らしい。

「シュデル、おは………」

 食堂の扉を開けたオレは、そのまま停止した。

 人参を切っていた手をとめて、オレの方を見た。長い髪を飾り紐で結び、可愛いフリルのエプロンを掛けている。見慣れた美しい容姿だったが、桃海亭の食事係シュデルではなかった。

「なんで、ここにいるんだ?」

「すみません!」

 シュデルが店の方から慌ててやってきた。

「料理を覚えたいというので、朝食の準備を手伝って貰っていたんです」

「倉庫から出したら、まずいだろ」

「わかっています。朝食の時だけです」

「朝食。もしかして、昨日の朝食を作ったのはこいつか?」

「昨日も、一昨日も、その前もそうです」

「いつから作っていたんだ?」

「ええと、いつからだったでしょう。ブレッドさんがいらして、その後、恋愛小説にはまって………」

「恋愛小説?」

「読みたいというので貸本屋から借りてきました」

「字が読めるのか?」

「読めます」

「誰が恋愛小説を借りたんだ?」

「僕です」

 シュデルが貸本屋で恋愛小説を借りたら、ニダウ中の噂になっているはずだが、その噂は桃海亭に届いていない。

 それというのも、現在、桃海亭が【噂話の離島】になってしまったからだ。桃海亭にニダウ中の噂話を供給していてくれた魔法協会の経理係ブレッドが、オレの不幸を呼ぶ体質に巻き込まれたくないとオレを見ると逃げるようになってしまったからだ。

 そのブレッドが桃海亭に近づかないもう1つの理由。

「恋愛小説にはまったビクトリアが、なんで料理を作っているんだ?」

 ビクトリア。

 魂を食らう対人戦闘用、魔道人形。

 身長150センチ、年齢15、6歳、プラチナブロンドの長い髪にバイオレットの瞳。

 非常に美しい容姿で、桃海亭のショーウィンドウに十分間飾っただけでニダウ中の噂になったほどだ。

「料理上手の女性が、恋人に大切にされる話だったそうです」

「それで料理を覚えようとしているのか?」

「はい」

 ビクトリア曰く『心からブレッドを愛している』らしい。だが、ビクトリアが欲しているのは、食材としてのブレッドの魂だ。”食材に対する愛”も愛と言えるもしれないが、ビクトリアの愛情を遠慮したいブレッドは、桃海亭に来ないだけでなく、桃海亭のあるキケール商店街も通らなくなった。

「ビクトリアは、ブレッドさんに美味しい食事を作ってあげたいそうです」

 包丁を片手に持ったビクトリアが、うなずいた。

 どこか夢を見ているような眼差しだ。

 オレは小声でシュデルに言った。

「現実を教えてやれよ」

「ビクトリアの夢を壊すようなことは言えません」

 シュデルが小声で言った。

 ビクトリアが再び人参を切り始めた。幸せそうに微笑んでいる。

「読んだのは、どんな小説だ?」

「知りません」

「読んでないのか?」

「僕が恋愛小説を読むと思いますか?」

「いや」

 シュデルが読む小説は歴史物がほとんどで、あとは戦記物や英雄譚だ。

「借りた本は適当に選んだのか?」

「お店の人に『女の子が好きそうな恋愛小説を貸してください』と頼みました」

 シュデルが何でもないことのように言った。

 オレは椅子に腰をおろした。

 ほんの少し前までは、魔法協会の裏情報まで手に入ったのが、ニダウの噂話もほとんど手に入らない。オレが知ることが出来る噂話は、今ではキケール商店街の住人からだけだ。

 ビクトリアが手慣れた様子で人参を刻む横で、オレは深いため息をついた。




「ブレッドが来ていないか!」

 オレとシュデルが朝食を取っている食堂に飛び込んできたのは、魔法協会エンドリア支部の支部長ガガさんだ。

「来ていませんが」

 ガガさんは青ざめた顔を、オレの顔に近づけた。

「頼む、ブレッドを探してくれ!」

 間近で怒鳴られた。

 シュデルが静かな口調で聞いた。

「何かあったのですか?」

「ブレッドが危険なんだ!」

 焦っているガガさんの後ろから、別の人物が姿を現した。

「その先は私から説明しよう」

 魔法協会本部の災害対策室室長のガレス・スモールウッドさんが疲れた顔で現れた。

「ガガ支部長はロイド前支部長のところに行き、今回の件を説明してくれ。魔法協会エンドリア支部はニダウの防衛に回ってもらう」

「ブレッドの居場所がわかっていません!」

「本部から災害対策室の魔術師を10人連れてきた。彼らに探させている。桃海亭にも協力を仰ぐ。ブレッドは見つかり次第、桃海亭で保護する」

 ガガさんがうなずいた。

 せっぱ詰まった感じの二人に言いたくなかったが、オレは恐る恐る口を挟んだ。

「あの、ブレッドはここには来たくないと思うのですが」

「説明は後だ。今回の件、ニダウの対策本部はここ桃海亭に置く。いいな」

「へっ?」

「わかりました。ウィル、後を頼む」

 オレが了承の返事をしていないのに、ガガさんが食堂を飛び出して行った。

「シュデル。ブレッドの居場所を調べる魔法道具はないか?」

「特殊な魔法道具を身につけていれば可能ですが、ご存じのように僕の魔法道具の使用は店内のみに限られています」

「使用を許可する。責任は私が取る」

「目印になるようなものを身につけていますか?」

「魔法協会から貸し出している悪魔除けのサークレットをつけているはずだ。魔法協会の識別コード379だ。それでわからなければ、ニダウで使用されている魔法をサーチしてくれ。レベルDのホーリーウェーブを常に出している。」

「わかりました。少しお待ちください」

 シュデルが食堂を出て行った。

 食堂に残ったのは、オレとスモールウッドさんの2人。

「ウィル。悪魔が来る」

「悪魔ですか」

「ここで迎え撃つ」

「スモールウッドさん。悪魔は教会の管轄です。ニダウにも小さいですが教会があります。悪魔退治でしたら、そちらでお願いいたします」

「来るのは72柱のひとりだ」

「それが何か?」

 スモールウッドさんが息を吸った。怒鳴ろうとしたが、吐いた息はため息だった。

「………ムーを呼べ」

「まだ、寝ていますが」

「引きずり起こしてこい」

 静かだったが、引く意志の言い方だった。

 ゴミ溜めに寝ていたムーを小脇に抱えて、店に降りると魔術師が数人いた。スモールウッドさんの話からすると災害対策室の魔術師だろう。シュデルが地図で印を付けている。

「識別コード379は現在ここにいます。南に向かって移動していますので、エンドリア支部に向かっていると予想されます」

「わかった」

 地図を持って魔術師達が出て行った。

「連れてきました」

 まだ、熟睡中だ。

 スモールウッドさんがツカツカとムーに近づくと、耳元で怒鳴った。

「強力な悪魔がやってくる。至急、対悪魔結界を張ってくれ!」

 オレでも耳をふさぎたくなる大音響だった。

 ムーが目をこすった。

「それは本当ですか?」

 シュデルが聞いた。

「残念だが本当だ。出現してから直線でニダウを目指している。我々は悪魔の目的はブレッドだと考えている」

「ブレッドを食べにわざわざ魔界からやってきたのですか?」

「詳しい説明はあとだ。ムー・ペトリ、ニダウを覆う対悪魔結界を張れるか?」

 ムーがあくびをした。

「…………無理しゅ」

「理由は?」

「ボクしゃんの記憶が正しければ、ニダウの南の要石は【アモンの涙】が埋め込まれているはずしゅ」

「忘れていた。対悪魔結界だと干渉がおきるな」

「あれを外すとニダウ全体の防御レベルが下がるしゅ。ニダウに張るとしたらと一カ所しかないしゅ」

「王宮の南にある離宮だな」

 ムーがうなずいた。

「シュデル。桃海亭で将軍クラスの悪魔に対抗できる魔法道具はあるか?」

「セラの槍がホーリー系の魔法を使えます。しかし、元々儀式用で武器として使用されたことがないため、戦闘能力に疑問が残ります。他に将軍クラスの悪魔に有効な道具はありません」

「わかった。シュデル・ルシェ・ロラムには、この件が終わるまでニダウ全域でのセラの槍の使用を認める」

 シュデルがうなずいた。

「これより拠点を桃海亭から南の離宮に移す。ガガ支部長や災害対策室の魔術師達が戻ったら、シュデルはそのことを伝えてくれ」

「わかりました」

「ウィル、来い!」

「ええと、オレ、悪魔は…………」

「来るんだ!」

 スモールウッドさんが桃海亭を飛び出していく。ムーが続き、オレも渋々あとに続いた。




「アレン皇太子は城にお戻りください」

 スモールウッドさんを先頭にオレとムーは王宮に駆け込んだ。エンドリア国王に事情を話すと、すぐに南の離宮を貸してもらえることになった。

 王宮の離宮と言うと聞こえがいいが、王宮を取り囲む城壁の裏口を歩いて10分ほど入った林の中にある平屋の荒ら屋だ。猟師が使う狩り小屋より貧相な作りだが、昔々、エンドリアの王族が建てたことから離宮と呼ばれている。

「しかし」

「先ほど大聖堂に協力を求めましたが断られました。魔法協会はホーリー系を使える戦闘魔術師を集結させていますが、勝てる自信はありません。魔界に追い返せるかどうかはムー・ペトリ、ひとりの肩にかかっていると言っても過言ありません。エンドリアを継がれる大切なお体。どうぞ、城で吉報をお待ちください」

 アレン皇太子はスモールウッドさんに深々と頭を下げた。

「どうか、エンドリア国の民の命を守ってくれ」

「全力をつくします」

 アレン皇太子が扉を出て行くとき、オレもついて出て行こうとした。

「ウィル、どこに行く」

「オレ、一般人でここにいても出来ることなんて………」

「ここにいろ!」

 迫力に押されて、オレは足を止めた。

「私もウィルが悪魔と戦えると思っていない。だが、ウィルがニダウに戻ったことで、悪魔がニダウに向かったらどうするのだ!」

「オレ、悪魔に狙われるようなことはしていないと思います」

 悪魔には何度か会ったが、恨みはかっていないはずだ。

「不幸誘引剤が何を言う!」

 スモールウッドさんに怒鳴られ、オレは数歩後ずさった。

 不幸誘引剤。

『悪魔は昆虫か!』と、突っ込みそうになった。

「山のように災害を引き起こしているのだ。こんな時こそ役に立たなくてどうする!」

 オレは不幸を呼んでいるつもりないが、スモールウッドさんにとって、オレの『不幸を呼ぶ体質』は決定事項らしい。

 扉が開き、ムーが長い棒を引きずりながら入ってきた。棒の先端に土が付いている。呼び名、離宮。実態、掘っ建て小屋の周囲に結界を張っていたようだ。

「終わったしゅ~」

「悪魔は入れないか?」

「無理だしゅ~」

「では、何をしていたのだ」

 青ざめたスモールウッドさんに、ムーが笑顔をみせた。

「てへっ、だしゅ」

 オレの拳がムーの頭に落ちた。

「痛いしゅ!」

「この非常時に遊ぶな!」

「遊んでないしゅ!」

「どうせ、実験だろう」

「将軍クラスの悪魔が地上に来る機会なんて、そうないしゅ!」

「ニダウが吹き飛んだら、どうするんだ!オレ達の帰る家がなくなるんだぞ!」

「そこらへんは考えたしゅ。ニダウは吹き飛ばないしゅ」

「本当だな?」

「吹き飛ぶのは、王宮だしゅ」

 スモールウッドさんが胃を押さえて、うずくまった。

「冗談しゅ」

「おい、そのうち、スモールウッドさんが血を吐くぞ」

「ボクしゃんのせいじゃないしゅ」

「オレのせいでもないぞ」

「ゾンビのせいしゅ」

「そうだな。ブレッドのせいで悪魔がニダウに来るなら、原因はシュデルだな」

 ブレッドが悪魔の食材として極上品だとわかったのは、魔道人形ビクトリアのせいだ。ビクトリアは人形屋敷からやってきた。人形屋敷にブレッドとオレが関係することになったのは、動ける仮面のせいだ。仮面が動けるようになったのは、シュデルの異能によるものだ。

 よって、シュデルが元凶だ。

「ウィル………」

 地獄の底から響いてくるような重低音でスモールウッドさんがオレを呼んだ。

「なんでしょうか?」

 スモールウッドさんが口を開く前に、扉が開いた。

「連れてきたぞ」

 見覚えのある戦闘魔術師に続いて、ブレッドが入ってきた。

「どういうことなんだ?なぜ、ウィルがいるんだ?」

 おびえた顔でブレッドが小屋の中を見回した。

「ブレッド、なのか?」

「ウィル…………」

 頬をひきつらせてブレッドはオレを見た。

 ブレッドは頭に宝石のついた豪華なサークレットをはめていた。首からは悪魔除けと思われる銀の十字架がいくつも下がり、ローブには意味不明の護符がベタベタ張られている。

 だが、オレが驚いたのは、そこじゃない。

「なんで、そんなに太っているんだ!」

 オレと同じ中肉中背だったブレッドが、ふっくら、というより、丸くなっている。

「これか、これはハンナが色々と差し入れてくれるんだ。お弁当とか、お菓子とか。食べないと悪いだろ」

 照れたように頭をかきながら、ボソボソと言った。

「ハンナというのは、エンドリア支部にいる女の子のことか?」

「事務にいるだろ。あの子だ」

 ブレッドの頬がうっすらと赤い。

 恥ずかしそうで、どこか嬉しそうなブレッドを、オレは複雑な心境で見ていた。

 桃海亭を担当していたブレッドが来なくなり、代わりにハンナが桃海亭に書類などを届けてくれるようになった。ハンナは鈍感と呼ばれるオレでもわかるほどシュデルに熱をあげていた。シュデルの為ならなんでもするという気迫が、隣にいるオレにもビシビシ伝わってきた。

 今日の朝食に人参は入っていなかった。

 ビクトリアが刻んでいた人参はどこにいったのか。

「フォアグラって、うまいのかなあ」

 オレのつぶやきに、ブレッドが首を傾げた。

 ブレッドの顔をしたガチョウがオレの脳裏で悲鳴を上げる。

 次のシーンは脂がのったレバーを前に舌なめずりしているビクトリア。

「こりゃ、シュデルを一度締め上げないとダメだな」

 シュデルは道具の為なら手段を選ばない。

「シュデルがどうかしたのか?」

 ブレッドが聞いてきた。

「あれは天使の皮を被った悪魔だ」

「知っている」

「知っているのか!」

「シュデルが、オレがハンナのことを可愛いと思っているのを知って、ビクトリアが作ったお弁当やお菓子をハンナに頼んでいることも、オレが太るのをこっそり見に来て、ビクトリアと喜んでいることも知っている」

「なら、食うなよ!」

「ハンナが渡してくれるんだ」

「作っているのはビクトリアだぞ。魂を食らう魔道人形だぞ」

「オレが受け取らないと、ハンナが悲しそうな顔をするんだ」

「そんな純情、無駄だ、ゴミだ、不要品だ!」

「お前は恋をしたことがないから、そう言えるんだ!」

「オレだって、好きな女くらいいる!」

 室内がシーンとした。

 ムー、スモールウッドさん、戦闘魔術師の男性、3人がオレを凝視している。

「あー、心配しないでください。ウィルに好きな人はいません。ウィルを好きな女性もいません」

「何を………」

「オレの情報網をなめんなよ」

 ブレッドが鼻先でフンと笑った。

 ムーが首を曲げ、スモールウッドさんの方に向き直った。

「ホーリー系の魔術師、誰が来るしゅ?」

「ヘレナ・タワーディンだ」

「緑の婆だしゅか。他は誰しゅ?」

「悪魔の移動時間が早い。昼前にはニダウに着くだろう。手配はしているが、ラルレッツ王国にいるヘレナ以外は間に合わないだろう」

「チッだしゅ」

「あの…………」

 開け放した扉から、室内をのぞき込む女性がいた。

「ヘレナ。待っていた!」

 両手を開いて歓迎するスモールウッドさんと対照的に、ムーは不愉快そうに目を細めた。

 ヘレナはオズオズと室内に入ってきた。若い。まだ、20歳を少しすぎたくらいだ。麦わら色の髪をうしろでひとつに縛っている。化粧っ気のない顔は十人並みだが、澄んだ緑の目だけが目につく。

「私だと力になれるかわかりませんが、よろしくお願いします」

 頭をお腹につけるほど深くお辞儀をした。

 麻の白いローブを、白い紐でとめている。肩には布袋をさげているが、これも麻の安物。オドオドとしており、プライドが高いラルレッツの魔術師とは思えない。

 スモールウッドさんが男の戦闘魔術師の隣に立った。

「彼はロイ・トールボット」

 戦闘魔術師達と関わったとき、何度か見たことがある。

 銀の胸甲と厚手のローブで見えないが、肩の筋肉の盛り上がりから鍛え抜かれた身体であることがわかる。

「ホーリー系を使える戦闘魔術師だ。仕事でダイメンに来ていたので手伝って貰うことになった。他の戦闘魔術師にも応援を頼んでいるが、悪魔が先に到着するだろう」

 ロイがヘレナに会釈した。

 スモールウッドさんが暗い声で言った。

「少ないがこれで悪魔を待つことになる」

「将軍クラス悪魔だというのは聞いております。悪魔の名前を教えていただけますか?」

 ヘレナがスモールウッドさんに聞いた。

「ソロモンの72柱のひとり、ストラスだ」

「ほよしゅ?」

「本当にストラスなのですか?」

 ムーとヘレナが疑問の声を出した。

「確認している姿は冠を被ったフクロウだ。他に当てはまる悪魔はいない」

「なんでだしゅ」

「来る悪魔がストラスだと、何か問題があるのか?」

 ロイがムーに聞いた。

 隣にいたブレッドも身体をのりだした。

「ストラスは悪魔の中でも非常に呼びやすい悪魔だと教科書に書かれていました」

「残念ながら、その教科書は間違っています」

 ヘレナが落ち着いた口調で言った。

「ストラスは召喚しやすいと思われていますが、実際は72将軍の中でも最も召喚しにくい悪魔です。悪魔であるにも関わらず、非常に真面目な性格なので他の悪魔と違い、魔界で行っている自分の仕事を放り出さないのです。在野の研究者に呼び出すことができたとは思えません」

 スモールウッドさんが首を横に振った。

「ストラスは召喚で来たのではない」

「召喚ではないのですか?自力で来たのですか?」

 ヘレナが目を丸くした。

「違う。民間の悪魔信奉者が別の悪魔を召喚した。その穴を通ってストラスがやってきたのだ」

「まさかだしゅ」

 ムーが真剣な顔で考えている。

「召喚はレンド国の南の町で行われた。悪魔召喚が行われるらしいという情報が入り、災害対策本部の部員がレンド国に向かっている途中にストラスらしい悪魔が現れたという報告を受けた。移動方向から目的地はエンドリアのニダウではないかと推測され、エンドリアに近い場所にいた私がこちらに来たのだ」

「目的はブレッド・ドクリルですか?」

 ロイが聞いた。

「わからない。だが、それ以外考えられない」

「食べるのかしら」

 ヘレナのつぶやきは、非常に小さかったが、はっきりと聞こえた。

 ブレッドの顔から血の気が引いた。

「ムー・ペトリということはありませんか?」

 ロイの問いにスモールウッドさんは首を横に振った。

「わからない。だが、悪魔がムーに会う必要性があるとは思えない。ブレッドならば、食材とはっきりしているのだが」

 ブレッドがさらに青ざめた。

 バンと音を立てて、扉が開かれた。

 見た顔のニダウ警備隊の青年が怒鳴った。

「悪魔の目的地はニダウです!」

 室内にいた全員が停止した。

「既にニダウ城門をくぐり抜けました!」

「ニダウは、どうなった!」

 スモールウッドさんが叫んだ。

「ロイドさんを中心にして防衛を、いえ、ニダウの町の人々を守る布陣をしいています。悪魔は我々に目をくれず、真っ直ぐ北西に向かっています。ロイドさんの予想では目的地は、桃海亭ではないかと」

 オレはムーを小脇に抱えると、離宮を飛び出し必死で走った。

 抱えているムーが、不機嫌丸出しで言った。

「実験魔法陣、無駄になったしゅ」




 オレがキケール商店街に着いたとき、通りにいた人間は1人だけ。桃海亭の前に立つセラの槍を手にしたシュデル。その前に、冠を被ったフクロウが浮かんでいた。

「ストラスのようだな」

 小声で言ったのは戦闘魔術師のロイ。握っていたスモールウッドさんとブレッドの手を離した。2人を連れてオレのあとを高速飛翔でついてきた。桃海亭関係者のオレ達を運んでくれればいいのだが、戦闘魔術師はオレとムーは運ばないことにしているらしい。ヘレナは自力で飛んでついてきた。オドオドしているのは変わらないが、高速飛翔もできるらしい。

「どうしますか?」

 ヘレナがスモールウッドさんに聞いた。

「様子を見よう」

 抱えていたムーをおろした。必死に走って息があがっていたので、オレも地面に座る。

 ロイの目が冷たいが、高速飛翔で楽した人間に、2本の足で必死に走ったオレが非難されるいわれはないはずだ。

 フクロウとシュデルが向き合っている。

 動きはなく、静かに時間が過ぎていく。

「イテッ!」

 ロイに頭をはたかれた。

 オレは顔をひねり、ロイをにらんだ。

「何すんだよ!」

「寝るな」

 バレていたらしい。

 5分くらいは頑張って見学していたが、日溜まりにジッと座っていれば眠くなるのが人間だ。

「いいだろ。寝るくらい」

「1時間になる」

「もう少し眠れそうだな」

 瞼を閉じたところで、ロイに耳を引っ張られた。

「起きていろ」

「起きていても、オレにできることなんてほとんどない」

 ロイがオレの耳を離した。

 強く引っ張られた耳は、まだ痛い。

「前も思ったのだが、この緊迫した状況でよく眠れるものだ」

「緊迫?悪魔が見ているのは、シュデルで、オレじゃない」

「悪魔がお前を見ていたら、眠らないのか?」

「そりゃ、まあ、オレだって、寝ている間に殺されたくはない………わぁ!」

 蹴飛ばされた。

 地面に座りこんで油断していたオレは、ロイに力一杯蹴飛ばされた。

 さすが、戦闘魔術師。脚力が半端ない。オレは地面を10メートル近く転がり、悪魔の前でとまった。

 オレは立ち上がると、服に付いた土をはたいた。

「お初にお目にかかります。桃海亭の店主、ウィル・パーカーと申します」

 深々とお辞儀をした。

『魔道人形ビクトリア』

 フクロウ悪魔、ストラスが言った。

「ビクトリアをご所望で?」

『あれは知り合いの悪魔が作った魔道人形、回収を頼まれた』

「はいはい、いますぐ……イテェ!」

 オレの尻にセラの槍が刺さっている。

「なにすんだ!」

「ビクトリアを悪魔に渡すことは出来ません」

 氷点下20度の声でシュデルが言った。

「悪魔制作の魔道人形など、怖くて置いておけるか!」

「店長はビクトリアが悪いことでもすると思うのですか!」

 思う。

 が、言ったら、尻に刺さっているセラの槍がどう動くのか。想像するだけも恐ろしい。

「いいか、シュデル。こちらの偉い悪魔さんにお帰りいただいても、また別の悪魔さんが回収にくるんだぞ。毎回毎回、相手するわけにもいかないだろ。ニダウに住んでいる皆さんも、何度も何度も『悪魔ですけど、回収にきただけです~。すぐにお帰りいただきますから、安心ですよ~』と言われて安心できると思うか?悪魔とは縁のない心穏やかな生活を営みたいと思うだろ?」

 シュデルが唇をひきしめた。

 悔しそうな顔をして、それでも、目に力を失わずオレを見た。

「わかりました。でも、引き渡すには条件があります。ビクトリアをひとりで魔界にいかせるのは可哀想です。ブレッドさんと一緒にいかせてください」

「オレとしては、ブレッドさえよければ………」

 ドンという音が響いた。

 ブレッドが倒れていた。

「気絶しているな」

 膝をついて、ブレッドをのぞきこんだロイが言った。

「ウィル、魔法協会はビクトリアを引き渡すことを希望する」

「だそうだ、シュデル。ここは諦めて………」

 桃海亭の扉が全開になり、白い影が飛び出してきた。

「ビクトリア!」

 シュデルが制止の声をかけたが、無視してブレッドの傍らにひざまずいた。

 うつむくと長い銀の髪がブレッドの顔にかかった。

「戻るんだ!ビクトリア!」

 シュデルが焦っている。

 桃海亭の倉庫からでないことを条件に桃海亭にいることを許されている。勝手に通りに出たとなれば、桃海亭にいることはできなくなる。

「ビクトリア!」

 業を煮やしてシュデルがビクトリアの側に駆け寄った。

 ビクトリアは銀の瞳から涙をポロポロこぼしながら、ブレッドの胸に顔を埋めた。

 絵画の構図のような情景だった。

 コロコロに太ったブレッドが、美しさを損ねてはいたが。

「ビクトリア、ダメだ」

 ビクトリアの腕をつかんで、シュデルが必死に引っ張っている。

 イヤイヤをするビクトリアも美しい。

 美しいが。

「魂、なめているな」

「なめていますね」

「かじっていないことを祈ろう」

 ロイとヘレナとスモールウッドさんが冷ややかに見下ろしている。

 これが最後と思えば、一口くらいカジっていきたいところだろう。

 奇妙な笑い声が響いた。

『面白いものが見られた』

 ストラスがクチバシをあけっぱなしにして笑っている。

『ビクトリアはしばらく人に預けておこう。ただし………』

 ブレッドの胸に顔を埋めているビクトリアに、向かって言った。

『………魂を食べたら魔界に来い』

 言い終わるとほぼ同時に姿が消えた。

「ビクトリア、聞きましたか。良かったですね」

 シュデルの声に、涙で塗れた顔をビクトリアがあげた。

「食べなければいいんです。好きなだけ、なめられますよ」

「ナメるな!」

 怒鳴ったオレにビクトリアは不満そうな顔を向けた。

「ブレッドの魂を心配する必要はない。ビクトリアは魔法協会の地下保管庫に入れる」

 スモールウッドさんが努めて冷静な声を出した。

「待ってください。ビクトリアは努力していました。今回はブレッドが倒れるという非常事態だから飛び出したのです。ここまで努力をして、報われないのは可哀想です」

「シュデル、ビクトリアは桃海亭を出たのだ。回収するしかない」

「………毎日、毎日、高カロリーのお弁当を作り、お菓子も差し入れて、ようやく、ここまで太らせたのです。レバーにも魂にも脂がたっぷり乗ったのです。もう少しだけ、ブレッドの側でナメさせてあげてください」

 美少年が懇願する姿は絵になるが、内容に問題がありすぎてスモールウッドさんも困っている。

 しかたなく、オレが口を挟んだ。

「シュデル」

「はい」

「ビクトリアは人の肝臓も食べるのか?」

「食べます」

「そんなもの、桃海亭に置けるか!」

「大丈夫です。店長のはカスカスで見るのもイヤだと言っていました」

「スモールウッドさん、至急回収をお願いします」

「待ってください。今回のことはエンドリア王国を目指してやってくる悪魔の目的がブレッドさんだと魔法協会が勘違いしたことが原因ですよね。最初からストラスと言ってくればこんな事にはならなかったはずです」

 スモールウッドさんが目を細めた。

「シュデル。それはどういうことだ?」

「もしかして、聞いていないのですか?」

 シュデルとスモールウッドさんの視線が合った。

 シュデルが口を開きかけた。ムーが電光石火の早業でポシェットからペロペロキャンディを取り出した。それをオレがそれを素早く、シュデルの口に突っ込んだ。

「グッ」

 道具たちの怒りを買わず、シュデルを黙らせる必殺技だ。

「モルデ!」

 桃海亭の扉が開き、鎖の魔法道具が飛び出してきた。モルデは状況を理解しているようで、シュデルをグルグル巻きにすると桃海亭の中に運んでいった。尻に刺さっていたセラの槍も、一緒に扉を抜けた。

 ようやく、オレの尻が自由になった。

「ウィル!どういうことだ!」

「何のことですか?」

「シュデルが『ストラスがやってくるとわかっていれば』と言っていたぞ。あれは何だ!」

「スモールウッドさんも見ていたでしょう。オレはストラスに『初めまして』と挨拶しました。ストラスという悪魔がいるのを知ったのも離宮でのことです」

 スモールウッドさんがオレをにらんでいる。

 何かがある。

 そこはシュデルの言葉で確信している。

 オレもムーも、手がかりはほとんど与えていない。

 だが、スモールウッドさんは災害対策室のような激務で報われない部署にいるが、肩書きは室長。魔法協会本部のエリート。

 ささやかな手落ちを見逃してくれるはずがない。

「ウィル。ストラスはビクトリアが桃海亭にあることをなぜ知っている?」

「魔法協会本部から情報が漏れたんじゃないですか?」

 苦しい反論だがあり得ない話ではない。

「まさかと思うが、ストラスを召喚したことがあるのか?」

 絶対あって欲しくない答えを口にしたのだろう。言ったスモールウッドさんの顔が青ざめた。

 が、正解だ。

 先月の商店街の会合でオレは桃海亭を留守にしていた。閉店後、ムーはシュデルに買い物を頼んだ。そして、地下倉庫で悪魔召喚を行った。生け贄は人工的に作った疑似魂。入念な下調べと研究でムーは、ストラスの召喚に成功した。目的は、ストラスを召喚した者に与えられる知識だ。ストラスの持つ天文学、薬草学、宝石に関する知識を手に入れた。

 シュデルが買い物から帰ったときにはすべてが終わっており、地下倉庫の魔法道具達からシュデルはことの詳細を手に入れた。そして、会合から帰ったオレに伝えた。

 シュデルはオレに悪魔の将軍が来たと言った。桃海亭内をチェックしたが悪魔が悪さをした様子はない。ムーが悪魔と怪しげな契約も結んでいない。それらを確認した後、オレは【桃海亭に悪魔の将軍が来た】という出来事を記憶の片隅に放り込んだ。

「ウィル、答えろ!」

 叫んだスモールウッドさんに、オレは静かに言った。

「今は、あちらの方をどうにかするのが先ではないでしょうか?」

 痩せた小柄な男が宙に浮いていた。

「誰だ?」

「ストラスは悪魔召喚の儀式に使われた通路でこの世に来たといいましたよね?その悪魔召喚の儀式で呼ばれた悪魔はどこに行きました?」

 スモールウッドさんが呆然とした。

 ソロモンの72柱のひとり、ストラスに気を取られて、所在を確認していなかったらしい。

「悪魔、なのか…?」

「おそらく」

 将軍クラスではなさそうだが、独特の雰囲気は同じだ。高位に位置する悪魔だろう。

「悪魔だ、悪魔だ」

 高揚した声がキケール商店街に響きわたった。

「久しぶりだ」

 ヘレナが歓喜の表情で悪魔を見つめている。

「行くぞ!」

 そう叫ぶと空中に飛び上がった。同時に右手で肩から下げた布袋から、何かを取り出してばらまいた。

 それらは、宙にとどまると日差しを受けて輝いた。

 ムーがトテトテと歩いて桃海亭のところまできた。オレの隣に立つ。

「聖なる短剣しゅ」

 銀色に輝く短剣は、悪魔に切っ先を向けている。ずらりと並んだ短剣は、空中で悪魔の方に魔法陣を描いている。

「聖なるということは銀製だな?」

「1本銀貨8枚しゅ」

「ひいふうみい………32本だ」

「悪魔に触れたものは回収後、浄化して消滅しゅ」

「銀貨256枚だ」

「私は、私の前に悪魔いることを認めない」

 先ほどまでとは別人のような好戦的で猛々しいヘレナが両手で大がかりな印を結んだ。

「死ねぇーーー!」

 短剣の先から銀色に光が放たれた。

 32本の聖なる光は、悪魔の直前で弾かれた。力のぶつかり合いで、強風がおこり、砕けた聖なる力が拡散した。

「おのれぇ!」

「くっ!」

 ヘレナは片手で防御結界を発動させ、身を守った。

 スモールウッドさんはロイが防御結界を発動させて守った。

 オレはムーの背中にひっついていた。広がったチェリースライムは、鉄壁の防御壁だ。

 最後のひとり、地面に倒れているブレッドを守ったのは、魔道人形ビクトリアだった。太ったブレッドに覆いかぶさって、風と飛び散った光を自らの身体で受けた。純白のドレスは破け、聖なる光でむき出しの手足が傷だらけになった。

 次の戦いに向け、ヘレナが布袋から短剣を出した。

「待て」

 止めたのはスモールウッドさんだった。

 傷だらけのビクトリアはブレッドを抱き上げると、周りを見回した。フローラル・ニダウに避難しているガガさんに目を留めた。が、すぐに他を探した。靴屋に避難しているロイドさんを見つけると、気絶しているブレッドを抱いて駆け寄った。ロイドさんが扉を開けると、ブレッドを差し出した。ロイドさんには重すぎるブレッドはデメドさんが受け取った。かなり重いらしく、踏ん張っている足がガニ股になっている。ビクトリアは両手をあわせて、ロイドさんに祈るようなポーズをした。ロイドさんがうなずくとビクトリアは走って戻ってきて、桃海亭の中に入った。

 オレも続いて入ろうと通りに背を向けた。

「そこにいろ」

 スモールウッドさんの地獄の底から響くような声で言った。

「オレ、関係ないです」

「桃海亭の店主として、そこにいろ」

 魔法協会災害対策室室長の命令だった。

「いきます」

 ヘレナが短剣を再び魔法陣に配列した。先ほどとは少し違うようだ。

 だが、光を放つ前に溶けだした。

「これは!」

 男の片手があがっていた。

 予想以上に強力な悪魔らしい。

「次を………」

「雑魚はすっこんでるしゅ」

 ムーがニマリと笑った。

 右手と左手が違う印を結んでいる。指先が高速で動いているところを見ると高難易度の魔法を撃つ気だ。

「スモールウッドさん、ムーをとめますか?」

「危なそうか?」

「オレなら商店街の店に逃げ込みます」

「わかった。我々は移動するがウィルはムーの側から離れるな」

 スモールウッドさんとロイは、フローラル・ニダウの店内に移動した。ヘレナを呼んだが、ヘレナはスモールウッドさんの呼びかけを無視した。

 男の姿をした悪魔が指でムーを指した。

『ムー・ペトリ』

「はいだしゅ」

 オレは素早くムーの後ろにしゃがみ込んだ。世界で一番危険で、世界で一番安全かもしれない場所だ。

 男の指先から黒い煙がすごい勢いで吹き出した。

「いくしゅ!」

 ムーの左手が動いた。

 白い光の球が数十個、空から降ってくうのが見えた。キケール商店街が着弾地点だから問題ないが、悪魔には当たりそうもない。

「いい加減に魔力のコントロールできるようになれよ」

 球の大きさは直径10メートルを越えている。目標通りに商店街に落ちたが、通りの幅よりでかい球は屋根やひさしに阻まれて、悪魔には触れもしない。

「しもうたしゅ」

 落ちてきた巨大球が白い光となって散っていくと、悪魔が出した黒い煙が消えていった。

「ボクしゃん、天才しゅ」

「言ってろ」

 悪魔の手が踊るように動き、フワフワしたものがいくつも浮かんだ。

「人魂かな」

「はずれしゅ」

 ムーの右手があがった。

「私にやらせろ!」

 ムーと悪魔の間に飛び出してきたのはヘレナ。呪文を読み込んだあとなのだろう。すぐに白い光を悪魔に向かってはなった。

 消えた。

 何もなかったかのように、飛び込んでくる前の状態になっている。

「邪魔しゅ!」

 ムーが苛立ったように怒鳴った。

 だが、ヘレナは移動する様子はなく、布袋から銀器をいくつか取りだして地面に置いた。

 オレは飛び出して、ヘレナが持っている銀器を蹴飛ばした。装飾が入った高そうな銀器が地面に散らばった。

「何をする!」

「天使を呼ばれたら困るんだよ」

 驚愕したヘレナの首にチョップをくれて気絶させた。倒れるところを受け止め、フローラル・ニダウに連れて行った。

「入れてください」

 ロイが扉を開け、ヘレナを受け取った。オレも中に入ろうとしたがスモールウッドさんに阻まれた。

「ヘレナだけだ」

「オレは一般人です」

「一般人が、なぜ天使を呼ぶ銀器だと知っていた」

 スモールウッドさんが探るような目で見た。

「オレは古魔法道具店の店主です。そのくらいの知識はあります」

「では、なぜ天使を呼ぶ事を邪魔した?」

 理由はある。が、スモールウッドさんに話すわけにはいかない。

 オレはトボトボとムーの後ろに戻った。

「アホしゅ」

「わかっている。でも、天使はまずいだろ」

「まずすぎて、ゲロゲロしゅ」

 先月、ムーと商品の買い付けに行った。山に掘られたトンネルを抜けると、天使の群と奇妙なモンスターが戦っていた。急いで元のトンネルに逃げ込もうとしたとき、天使のひとりが放った攻撃魔法がムーに向かって飛んできた。ムーを狙ったわけではなく、ただの流れ弾だった。ムーはとっさに魔法を撃ち、飛んできた魔法を散らした。異変に気がついたのは、攻撃を防いでホッとしたときだった。天使達がモンスターへの攻撃をやめていた。

 なぜだろうと、オレは顔を上げた。

 そして、見てしまった。

 天使達を率いている偉そうな天使の顔に、巨大なペロペロキャンディが張りついている。

 ムーが防御の為に放った魔法は、とっさだったので印を結びながら、右の手のひらを前につきだした。その時、意図せず、右手に持っていたナメかけのペロペロキャンディを投げつけてしまったのだ。

 オレが素早くムーを小脇に抱えると、ムーがフライをかけ高速離脱。遙か彼方の海に着水して逃げ切った。

 ヘレナがどんな天使をよぶつもりだったのかわからないが、あの天使の関係者なら、悪魔を攻撃する前にオレとムーを攻撃する。

「なんで、敵だらけなんだよ」

「味方もいるしゅ」

「味方?」

 ムーが右手をおろした。

 音もなく、地面から透明な板が4枚つきだした。一瞬で悪魔を囲う。

 悪魔は気にする様子もなく、ムーを見ている。

「ほいしゅ」

 悪魔の頭上に光でできた槍が出現。落下してきた。

 透明な囲いに閉じこめられた悪魔は、指を回した。フワフワが悪魔の頭上を移動して、光の槍と衝突。どちらも消えた。

「異次元モンスターを召喚したらどうだ?」

「そいつは反則しゅ」

「はぁ?」

「見てるしゅ」

 ムーが印を結ぶと数十本の細い光の槍が商店街に浮かんだ。

 透明な板が弾け飛んだ。オレはムーを抱えて、左側に飛んだ。

 オレ達のいた場所に悪魔が立っていた。

 その悪魔に細い槍が一斉につきたった。

「どうだしゅ?」

 全身に光の槍が突き刺さり、イガグリのようになった悪魔はムーをみるとニヤリと笑った。そして、指をピンと鳴らした。

 消えた。

「終わりしゅ」

 そう言ったムーは、桃海亭の扉を開けた。入ろうとしたムーは、中から飛び出してきたビクトリアに弾け飛んだ。ビクトリアは転がっているムーには目もくれず、デメドさんの靴屋の前に走っていった。

 両手を組んで、中にいるブレッドを見ている。ボロボロの純白のドレスから、ただれた手足がむき出しになっている。

 靴屋の扉が開き、ロイドさんが姿を現した。

「ビクトリア。どうするべきかわかっているな」

 凪いだ海のような静かで、懐の広さを感じる声だった。

 ビクトリアはうなずいた。

 ガラス越しに気絶しているブレッドを見ると、涙をポロポロとこぼした。そして、身を翻して、フローラル・ニダウの前に走っていった。

 フローラル・ニダウの扉が開き、スモールウッドさんがゆっくりと歩み出た。

「行くぞ」

 ビクトリアがうなずいた。

 フローラル・ニダウの奥さんが走り出てきた。白い春用のコートをビクトリアの身体にかけてあげる。ビクトリアが奥さんに頭を下げた。奥さんがビクトリアを抱きしめて、背中をポンポンと叩いている。

「室長」

 ヘレナを抱いているロイが小声でスモールウッドさんをうながした。

 スモールウッドさんがオレの方を見て、大声で怒鳴った。

「これで帰る。ウィルとムーは、一週間以内に本部に出頭するように」

 フローラル・ニダウの奥さんに抱きしめられていたビクトリアの肩を、スモールウッドさんがたたいた。ビクトリアはうなずくと、再び奥さんに頭を下げて、キケール商店街の出口に向かって歩き出したスモールウッドさんの後を追いかけた。

 スモールウッドさん、ビクトリア、ヘレナを抱いたロイが、キケール商店街から出て行くと、商店街の店に避難していた買い物客や観光客が出てきた。オレは転がっているムーの襟首をつかむと、引きずって桃海亭に入っていった。




「僕は納得できません!」

 シュデルが今日31回目の『納得できない』を言った。昨日の分を足すと100回を楽に越えている。

 オレは聞き流して、商品の王錫を磨いていた。

 スモールウッドさんから一週間以内に魔法協会本部に来るようにと言われたが、オレとムーはさぼった。

『ストラスは、なぜ桃海亭に来たのか?』

 桃海亭の店主としては、

『ビクトリアを迎えに来た』

 それで通すしかないのだが、本部に色々な人がいる。ロイの上司は拷問が得意で大好きだ。本部に行けば、真実を吐かされるかもしれない。真実を隠し通すには、ヤドカリのように桃海亭に籠もるしかない。ムーから【悪魔が来た理由】を聞いたオレは、そう決心したのだ。

 だが、今回の悪魔桃海亭訪問事件は、予想もしない結末を迎えた。

 魔法協会本部は、本部と繋がっている別の悪魔から、ストラスと男の姿をした悪魔が桃海亭に現れた本当の理由を知った。有効な対処方法を見つけられなかった本部は、ストラスと男の悪魔が桃海亭に現れた理由を【極上食材ブレッドを捕まえに来た】ことにした。魔法協会は悪魔を撃退し、ブレッドとニダウの町を守ったと発表して、今回の件を終結させた。

「納得できない。絶対に納得できない」

 シュデルがわめいている。

 魔法協会本部も、悪魔が桃海亭に現れた理由を知ったとき『納得できない』と言ったかもしれない。

 ストラスと男の姿をした悪魔が桃海亭に来た本当の理由。

 ウィル・バーカー見物。

 ムーがストラスを召喚したとき、ストラスはムーを魔界に誘ったらしい。ムーは『桃海亭がボクしゃんの居場所しゅ』と断った。続いて、ストラスは、なぜ、桃海亭にこだわるのか尋ねた。ムーは深く考えず『ウィルしゃんがいるからしゅ』と答えたらしい。

 その結果、ストラスと男の姿をした悪魔は、天才ムー・ペトリを人間界に留まらせる存在である【ウィル・バーカー】を見学しにきたらしい。男の姿の悪魔は、ムー・ペトリの実力も見に来たらしい。だから、ムーは召喚をせず、魔法だけで悪魔を追いつめた。あの状況でムーが言う『味方』は、敵であるはずの悪魔だった。ビクトリアの回収はおまけだった。

「店長、どうしてですか。僕は納得できません」

「何度も説明しているだろ。お前がビクトリアを甘やかすからだ」

 ビクトリアは魔法協会本部に連れて行かれた。地下保管庫に封印される予定だったが、キケール商店街の人々が中心となって【ビクトリアを救おう運動】が行われ、ニダウの町で預かることになった。シュデルは桃海亭に戻ってくると狂喜したが、町の有力な人々が話し合い、ビクトリアはロイドさんの店で働くことになった。

「なんで、ロイドさんの店なんですか。桃海亭でいいじゃないですか」

「わかった。お前が可愛がっている魔法道具を、見知らぬ他人の為に壊せるようになったら、ロイドさんに交渉してやる」

 シュデルが唇を引き締め、オレをにらんだ。

 無言の圧力がオレにのしかかってくる。

「ビクトリアはニダウに住めるんだ。それでいいだろ」

 ロイドさんの店はメインストリートのアロ通りにある。ニダウに住む人はアロ通りを使用する。当然、ブレッドも使う。愛する人に近づくことはかなわなくても、遠くから姿を見せてあげたいというキケール商店街の女性たちの気遣いも含まれている。ブレッドからすれば、大きなお世話だろうが。

「僕はビクトリアに会いに行けません」

 シュデルの特殊能力は魔法道具に影響を与える。桃海亭と同じ古魔法道具店のロイドさんの店には近づけない。

 銀色の目が放つ圧力にオレは屈した。

「落ち着いたらロイドさんに頼んで、ビクトリアを桃海亭に連れてきてやる」

「できるだけ早くお願いします」

 大切な道具を奪われた無念をにじませて、シュデルが言った。

「桃海亭に連れてくるときは、先にオレに言ってくれ」

 痩せて、中肉中背に戻ったブレッドが言った。

 ビクトリアの差し入れがなくなって、一気に痩せたらしい。

「こんなところで油を売っていていいのか」

「オレは悟ったのよ」

 ブレッドが上を向いた。首に巻き付けたロザリオがジャラジャラと音を立てる。

「桃海亭に関わったら最後、不幸の連鎖から逃れなれないってことを」

「オレに喧嘩を売っているのか?」

「桃海亭に来ないようにしていたのに、72柱のストラスまで見るようになっちまった。もう、オレはおしまいだ」

 遠い目で天井を見ている。

「終わりでよかったです。さっさとロイドさんの店の行ってください。ビクトリアが喜びます」

「シュデル、言い過ぎだ」

 ブレッドは気分を害した様子はなく、むしろ鼻先でシュデルを笑った。

「オレのこと、ビクトリアの飯だと思っているだろ。だったら、お前はビクトリアの何だろうな。知っているか、いまビクトリアはものすごい人気なんだぞ」

 シュデルの目尻がつり上がった。

 その表情を確認してから、ブレッドは話を続けた。

「超絶美貌のビクトリアが、純白のゴチック風のドレスにレースのエプロンで出迎えてくれるんだぞ。言葉を発することができないことをのぞけば、知識は豊富で聞き上手、あの厳しいロイドさんですら絶賛する接客術で大人気。ニダウの住人だけでなく、ニダウに立ち寄った観光客まで虜にして、ビクトリアのファンは鰻登りで増えているんだぞ」

 シュデルが唇を固く引き締めた、ワナワナと震えている。

 逆にブレッドはご機嫌だ。

「ブレッド」

「なんだ?」

「ロイドさんの店に行っているのか?」

「行くはずないだろ。ビクトリアがいるんだから」

「そうだよな。それにしては詳しいよな」

「オレを誰だと思っているんだ。ニダウ最高の情報屋ブレッド・ドクリル様だ」

「久しぶりに聞いたが、やっぱりすげーな」

「そうだろ。また、情報を届けてやるから感謝しな」

「桃海亭の担当はハンナだろ?」

「ハンナはポカジョリット王国の支部に移動した」

「また、とんでもない僻地だな。何かやったのか?」

 ブレッドの勢いが弱くなった。

「………本部の腹いせだ。食材に恋する資格はない、だと」

「そんな情報まで手に入れられるのか」

 感心したオレに、ブレッドが顔を近づけた。

「食材だぞ、食材」

「食材は食材でも、貴重な食材なんだから、いいだろ」

「そういう台詞を聞くと、あー、ウィル・バーカーだ、と思うわ」

 フゥと息を吐いたブレッドは、出口に向かって歩き出した。

「元気でな」

 オレが言うと、扉を抜けるときブレッドが振り向いた。

「また、来る」

 笑顔で出て行った。

「さて、仕事の………シュデル、どうかしたのか?」

 シュデルが暗い顔でブレッドの去った方角をにらんでいる。

「店長、お願いがあります」

「金を使わないことならきいてやる」

「肉屋のデメドさんのところにある、特大の肉切り包丁を僕も買っていいですか?」

「金がない」

「飾っておくだけです」

「呪詛でもかけそうだな」

「それもいいかもしれません」

「店を回すだけの金しかない。金ができたら、考えてみる」

「店長!」

 ムーは悪魔と楽しく戦えた。 

 ヘレナが残した銀器は教会に高く売れた。

 危険な魔道人形ビクトリアもロイドさんのところに引き取って貰えた。

 久しぶりの大団円。

「めでたし、めでたし」

 喜んでいるオレの後ろで、拳を握りしめたシュデルが叫んだ。

「僕は、僕は納得できません!」




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