手紙
ジャンル的には音楽小説です。曲を聞いてそこからイメージを膨らませて書きました。
手紙/東京事変
――女子大生の山下に、高校時代の友人から一通の手紙が届く
手紙
作詞:椎名林檎
うた:東京事変
山下佳奈子は大学二年生だ。先週、二十歳になった。田舎から福岡の私大に出てきて二年が経とうとしている。
その日も佳奈子は夜遅くに下宿に帰ってきた。彼女は週3で外食チェーンのアルバイトをしている。アルバイトは楽ではないが、長いこと続けて感覚が麻痺してからは機械的に作業できるようになった。
郵便受けに手紙が2通入っていた。一枚は、見慣れた携帯料金の滞納通知だった。もう一枚は小奇麗な封筒だった。宛先に自分の名前が手書きで書かれていて、丸みを帯びた字は差出人の性格の柔らかさを想起させた。封筒の裏を見ると差出人の名前が書いてある。普段からDMや通知しか入っていない郵便受けなので、その時の郵便受けはこんな仕事もできるんだぞといっているように見えた。
その名前は、彼女が高校の時の友人だった。突然懐かしさがやってきて、彼女は頬が勝手に緩むのを感じた。その友人は男だった。彼とは高校の部活が一緒で、その時からの付き合いだったが精神的に近いものを感じていた。よくある話で、女子には同族の女子に話しづらいことを抱えることもあるのだが、彼女はその友人にはよく打ち明け話をしていた。かといって、一方的に聞いてもらうのではなく、彼女が相談を持ちかけたり、反対に彼から相談されたりもしていた。高校の終わり頃には付き合ってもいいなと思っていたのだが、受験があり、気まずくなるのも嫌で言い出すことはなかった。思えばそのまま卒業してしまい、それ以来会っていない。異性だからということもあるからか、お互い別の大学に進学してからは連絡を取っていなかった。少し疎遠である。
このタイミングで手紙が来たのは何故だろう、と彼女は考える。例えば先月、彼女の地元で高校の同窓会があったが彼女は参加しなかった。そのことでなぜ来なかったなどと愚痴るためだろうか。もしかしたら、彼女の誕生日が先週だったことを知っていて、祝ってくれるのだろうか。ちなみに彼に自分の誕生日を教えたかは定かではないし、彼女も彼の誕生日をもう思い出せない。
まあ同窓会のことだろうな、と彼女は考えた。彼女は学校のクラスメイトたちに会いたくないわけではなかった。だが、今いる福岡から地元へは200キロほど離れているし、実家の両親と仲が良いわけではないのであまり帰省したくないのだ。反抗期というやつだろうか。そしたらいずれ、親といいようのないイライラを感じずに話すことができるのだろうか。……親のことを考えるといつも気が沈んでしまう。気を取り直して、封筒を開けた。中から便箋が出てくる。
便箋は二枚になっていた。一枚目は『久しぶり。〜』から始まり、思ったとおり同窓会に来なかったことについて触れていた。誰々が化けただの、変わってないだの、懐かしい名前が並んでいて、昔に思いを馳せることはとても簡単だった。世間のことを何も知らなかったが、社会のあらゆる厳しさから守られていた日々。授業中に寝たり、帰り道で買い食いしながら無意味な話を延々としていた。その中には彼と話した時間も入っている、勿論なにを話したかは覚えていない。その話の中には人生とか恋愛とか将来とかが入っていたが、今思えば当時は何も見えていなかったと分かる。今自分が感じている世界というものは当時よりだいぶ広くなったが、別に素晴らしいことではなかった。相対的に自分の小ささに気づいた位のことでしかない。
手紙は2枚目で、その友人の近況へと続いていた。『……僕は今、大学のアフリカでボランティアをする団体にいます。アフリカにNGOが建てた学校があって、そことインターネットでつながって折り紙とか日本語とか教えてんの。結構ネットでは意識高い系だなって叩かれるんだけどね。あと数ヶ月したら、代表で現地に行くことになっててさ、今必死に旅費を稼いでます。バイト忙しくて単位が落ちそうになっててヤバイ(笑) でも、ボランティアは直接人の役に立ってるってはっきり分かるから、やりがいがあるんだよね。大学の勉強と違って。そっちは就活もうしてるの? さすがに早いか。僕は、生意気ですがこのボランティアを極めてみようかなとか今は考えてます。現地のNGOの人とも話してるんだよね。なんなら大学を中退してでも……』
読みながら、彼女は記憶の中の彼にはない要素を感じていた。懐かしさが遠のいて少し悲しくなった。少なくとも、高校の時の彼はアフリカの少年に折り紙を教えることに情熱を持っていなかった。何があったのだろうか。今の山下佳奈子には知るすべはなかった。周りを意識高い系に囲まれてしまったのだろうか。残念なことに、今の彼女には彼の文脈を理解できなかった。否、字面を追うことはできるが、同じイメージを胸に抱くことはもうできないと感じた。
手紙は続く。『……中退してでもなんて書いたけど、さすがにそこまでするかな? とは思ってます。『そこまで』って、ボランティアに対する覚悟が足りないのかな? 今でも留年しそうで、親から留年だけはするなといわれてるんだよね。留年したら中退してアフリカに行くかもしれないです。書いてみたけど全然イメージ湧かないや。正直、ボランティアにはまっていたらこれ以外の選択肢が見えなくなってしまったので、もうこの道でいいやーといった感じです。書いてしまった。これでいいのかな? 大人ってこんなもんなんだろうかね。
最近いよいよ山下と疎遠になってしまったなと思ってこれを書きました。もしアフリカに行ってしまったら、ますます遠くなります。何なんだろう、メールもラインもあるのにね笑 ちょっと湿っぽいことを書いてしまったけれど、僕はこの通り元気です。元気でね。』
読み終えて、彼女はしばし放心した。自分が親との関係で悶々としている一方、彼は大学をやめてアフリカに行くかだって? とても同じ世界の人間ではない。彼女は昔の彼の様子を思い出そうとした。すると手紙を読む前に思い出した時のような鮮やかさがもう失われていることに気づかずにはいられなかった。もう今の彼は自分の知らないところで知らないことをしているんだと気づいてしまった。これならいっそ、近況など教えてくれなければよかったのだ。そしたら、いつまでも素敵な思い出のままでいられたのに。
沈んだ気持ちで手紙を封筒に戻そうとすると、2枚目のウラ面に手紙が続いていることに気がついた。
『……しょうもないことを告白しますけど、高3の頃、山下のことちょっと気になってましたよ。気まずくなるのが嫌で告白しないまま卒業してしまったけれど。今は別に彼女いるんだけどね。これ以上疎遠になる前に一応。それでは、また。』
彼女は、そのウラ面は余計だと思った。前後のつながりがなさすぎる。もしくは、表に書いたこと全てが余計で、この裏面に書いたことが今回の手紙で書きたかったことなのか。遅すぎる告白で、それ自体がもう昔には戻れないことをはっきり物語っていた。
彼女は返事を書くことにした。ボランティアのことなんて何もわからないし、遠いだろうけど頑張ってね位の月次なことしか書けないだろう。だけど彼が最後に見せた気持ちには反応してやろうと思ったし、書くことで整理ができるかもしれないと思ったのだ。きっと書いている内に、現在のよくわからない彼のことをわからないなりに応援できるようになるだろう。違う世界に行ってしまったとはいえ、友人なのだから。
ただやはり、あの時告白しろよとは書くつもりでいる。書いた上で、今自分が付き合っている男のことを書こう。