クラブとスペード
寝床にしているアパートへ帰ると、そこは血の海だった。部屋を見渡すと、ベッドの上にはレノの恩人で育て親だった男の死体があり、傍らには銃を持つ少年が立っていた。レノよりいくらか年上に見えるその少年は、慌てもせず静かにこちらを見つめている。
「お前が殺したのか」
恩人はあまり表だっては言えない仕事をしていた。それはレノも知っていたし、いくらか技術を教わってもいた。だから、遠からずこういう日が来ることは予想していた。しかし予想はできていても納得はできるはずもない。
「お前が、彼を殺したのか」
もう一度問いかける。少年は無表情のまま口を開いた。
「わかっているのだろう」
「一応の、確認だ。間違って復讐を果たしては、あなたにも僕にも得がない」
「案外冷静なんだな。なら俺との実力差もわからないものか?」
小さく、少年は笑った。レノは少年を睨みつける。
「たとえ敵わなくても、そうしないと僕は僕でいられない」
「ならば敵うようになってから俺に挑むといい。……君は、面白い。将来化けそうな人材だ。今殺してしまうのは惜しい」
少年の言葉に、わけがわからず眉根を寄せた。けれど、すぐに気をとりなおし、懐に忍ばせていたナイフを握る。
「君が、そこの男と同じ道をゆくなら、その道で名を上げるなら、きっと俺に会えるだろう。そのときに殺しにおいで」
最後に少年はノイドという名だけ告げて、窓から去っていった。慌てて駆け寄り窓の外へナイフを投げつけたが、地面にあたって転がった。
それから、レノは死に物狂いで強くなった。戦闘技術も、戦略も、ついでに世話になった男からは女や男のひっかけ方、ベッドでのあれこれも教わったが、あれは半ば男の趣味だっただろう。けれど、それも生きていく上で役に立った。少年への復讐を糧に鍛錬を続け、とうとう今日からレノは恩人と同じ道に足を踏み入れようとしている。
「んー今回入ったのはこの4人かー」
今日からレノが所属する組織ECSのボスは、間の抜けた顔に間の抜けた声で、レノたちを見渡し言った。
「じゃあ、長髪の女の子がハート、そっちのボブの女の子はダイヤ、クールなナイスガイはスペードで、爽やかイケメンくんはクラブにしよう!」
ボスは楽しげによくわからないことを言っているが、レノはそれどころではなかった。
入室が最後だった隣の男。ボスにはスペードと呼ばれたが、ちらりと見たその横顔は7年前に見た少年の面影を残していた。間違えるはずがない。7年間ずっと、彼のことだけを考えていたのだから。
「ボス、何の話かしら?」
ボスにハートと呼ばれた女性が声をかけると、ボスは朗らかに笑った。
「あーごめんごめん、仲間とは言え同業者に本名割れないでしょ?だからコードネームってやつ。今日から君たちハートとダイヤとスペードとクラブね」
「トランプ……?」
ダイヤと呼ばれた女性が首を傾げる。
「そうそう!最近大富豪にはまっててさー今度みんなも相手してよね」
そんな会話はレノの耳には入ってこない。意識は隣の男に集中していた。
ブリーフィングルームを出るとき「話がある」と耳元に囁くと、スペードは黙って頷いた。同期4人で食事に行かないかと声をかけてくれたハートを用事があるのでとかわすと、スペードは俺も、と短く答えた。
とあるアパートの一室。そこは彼がレノの恩人を殺したその場所だった。部屋にスペードを連れ込み、レノは微笑んだ。
「この場所、覚えていますか」
「借りたままだったのか。足が付くようなことはやめておいた方がいい」
「血が床にまで染みていましてね、それの処理で時間がかかってしばらく借りていたんですが、ここにいるとあなたを思い出してやる気が出るんですよ」
もう長い間来てなかったんですけど、と昔を懐かしむように目を瞑る。
「あなたが僕を覚えていてよかった。忘れていては殺し甲斐がない」
「殺しにおいでと言ったのは俺だ。忘れやしないさ」
「ふふ、まさか仕事を始めて早々にあなたに会えるなんて思いもしなかったですけど」
7年間焦がれていた復讐が、ようやく果たせる。レノは満ち足りた気持ちだった。
「俺も、まさか仲間として出会うことになるとは思ってもみなかった」
「仲間を殺すな、なんて言いませんよね?」
「そんな無粋なことは言わない。全力でかかっておいで」
結果として、復讐は果たされなかった。レノは強くなった。だがスペードはさらに強い。あの時は知らなかったが、頭も回る。返り討ちにされることこそなかったが、力は拮抗し、最終的には体力のきれたレノが膝をついた。
「本当に強くなったんだな」
「そんな、余裕の表情で、言われても」
息を切らしながら、スペードを睨め上げる。
「顔に出てないだけで俺も限界だ」
肩をすくめ、スペードはレノの隣に腰を下ろした。
「ペアを組もうか」
「は?」
唐突な言葉に、レノは冷たい視線を送った。
「仕事。二人一組の方が割のいい仕事をもらえるそうだし。いつでも俺を殺せる立場にいたいだろう?」
レノの視線も意に介さず、スペードはしゃあしゃあと続ける。レノは大きくため息を吐いた。この男、レノの存在を恐れるとごろか楽しんでいる。
「好きにすればいいんじゃないですか」
「明日、ボスに申請を出しておく」
レノが適当に頷けば、話題は終わり、居心地の悪い静寂が訪れた。
「……ノイド」
ぽつりと、7年前に教えられた名を呼んだ。それが本名なのか、はたまた当時使っていたコードネームなのかはわからない。けれどスペードよりはしっくりくるような気がした。
「ノイド」
「何だ?」
「僕、あなたを殺せなくてもうヤケクソな気分なんです。憂さ晴らしに付き合ってくれませんか」
スペードを睨みながら、笑みを浮かべた。お前はそういう顔がそそるのだと、言われたことを思い出した。屈服させたくなる、生意気な顔であるらしい。
「驚いたな、そういう手管も身につけたのか」
「まあ、あの後いろいろありまして」
スペードの手を引き、ベッドの上に押し倒す。
「なあ、始める前に、俺にも君の名前をひとつ教えてくれないか。クラブではない名を」
「……レノ」
偽名を名乗ることもできた。逃げ道は残してくれていた。けれど気付けば、己の口は本名を紡いでいた。恩人の付けた、名だった。
恩人の死んだベッドで、彼を殺した男に口付ける。最悪な気分だ。今すぐこの男を殺してやりたい。
けれど、男が微笑むから、レノを優しく抱き寄せるから、ため息を吐いて、憎い男に身を委ねた。