第八話 それぞれの思いとすれ違い
十九時前。莉亜を送り終えて、家に帰り着く。
リビングを覗くと驚く光景が広がっていた。
そこには豪華に盛りつけられた料理の数々。
まるで何かのお祝いでも始まるかのような品揃えだった。
「……え、と、母上、今日は誰かの誕生日でしたか?」
「そうね、そうかもしれないわね」
母上はそう言って嬉しそうだ。
今日は十月初旬。誕生日の人間っていたっけ。さすがに二十年も離れていると、家族の誕生日が怪しくなってしまっているようだ。
「すみません、どなたの誕生日でしたか?」
「……あなたよ。彰人」
「え?」
俺の誕生日はもちろん十月じゃない。
勘違いされているのかと思ったら、母上はニコッと笑う。
「あなたが学校に行ってくれて、部屋から出てきてくれた記念日よ。それは誕生日って呼んでもいいんじゃないかしら?」
思春期の子どもが聞いたらウザがりそうな。
そんな素敵なコトを平然と言ってくれた。
もちろん、アラフォーの俺は感激して、泣きそうだったのは言うまでもない。
「あー、お兄ちゃん、帰ってきてたんだ……」
リビングにやってきた愛里が自分の席に座る。手持ちぶさたにテレビのリモコンを取り、適当にチャンネルを変えていた。
テレビ――非常に懐かしい。
異世界には電化製品などなかったから、いろいろと不便だった。好きなアニメが見れなくて、夜な夜な涙したこともある。遠い昔の思い出だ。
しばらくして、仕事から戻ってきた父上が席に座り、パーティが開催される。
俺がずっと手放し続けた、暖かい家族の団らんがそこにあった。
なぜだか、涙が止めどなく溢れていく。
俺は涙と一緒にご飯をかっ込む。
「うっ、うまい、う、うまいですぞ! 母上!」
「あら、どうしたのこの子は……泣きながら食べてる……ははは」
言って母上の頬を涙が伝ったのが見えた。
それを隣りで愛里が寒々とした目で見ている。
そうだった。俺が引きこもる前の家族風景はこんな感じだった。
懐かしい母の味に、信頼できる家族。
異世界ではリノア姫くらいしか心を開けなくなっていたけど、この世界にはたくさんの優しさと愛情に満ちあふれていた。
みんなが笑い、楽しんでいる空間。
唯一の不満は酒を飲めないことだけだ。
さすがに高校生の俺が引きこもり脱した記念に、いきなり酒をくれとはなかなか言えない。今日は大人しく麦茶で我慢しておこう。
そんな団らんの中のふとした会話。
「愛里、学校はどうだ?」
「え? 別に普通だけど……?」
父上からの質問に素っ気なく答える愛里。
目上の人に対する礼儀がなっとらんと説教したくなるレベルだ。
頭をひっぱたきたくなったが、父上が笑顔で気にもしていないので、空気を読んで黙っておいた。
「その、魔法はどの程度まで、使えるようになったんだ?」
「……えー、それも普通。まあ、だいたい使えるよ」
「そうか、じゃあ、大魔法も――」
あまりにも当たり前の会話に、俺は思わず立ち上がり突っ込んでしまう。
「ちょっと待ってください! 俺の家庭って団らんの席で、娘の魔法習得について話し合う、ちょっぴりファンタジーな家族でしたか?」
三人はキョトンとした顔で、俺を見つめている。
おかしい、この反応は『何言ってんだこいつ』だ。質問しておいて何だが、そうじゃなかったことくらい覚えている。絶対に魔法の会話なんてなかった。
いや、というか、そもそも、今日だっておかしいことだらけだ。
誰もが魔法を当たり前のように使い、そして、話す。
俺が知らないだけで、この世界に魔法がなかったとは言い切れない。
でも、少なくとも俺の周りでは、魔法を使う人間なんていなかったはずだ。
一体どういうことだろうか。
「彰人はね……もういいのよ。さあ、座りなさい」
笑顔で俺を促すのは母上。言われて大人しく俺は座る。
この家族の顔、二十年経ってもハッキリとわかる。
見間違えようのない家族だ。
全く納得できないまま、それでも空気を読んで座った。
しばらくの後にふいに出た父上から質問。
「愛里、お前は優秀だから、普通ってコトは、会長なれそうなのか?」
気まずい顔をして愛里が、ちらりと俺をのぞき見た。
何だろうこの表情は。何がまずいのだろうか。
愛里の感情を理解することは、今の俺には難しいようだ。
※ ※ ※
その後、夕食とかいろいろ終わった二十一時。
話があると、やけに機嫌の悪い妹に連れられ、俺は近所の公園に来ていた。
さすがにこの時間になると、もう人はいない。
不機嫌そうな顔で腕を組みながら、愛里が俺を見る。
「お兄ちゃんさ、今日の放課後、魔法使いと戦ったよね?」
一瞬考えるが、莉亜を助けた時のことだろう。
今にも何かが破裂しそうな嫌な空気の中、俺は黙って頷いた。
愛里が落胆したように肩を落とす。
「やっぱりそうなんだ……大変なことしてくれたね」
「なんだ? 手を出したのがまずかったか?」
「……ううん。選挙中だから、魔法を使った戦闘もレガリアを奪い合う場合など、条件によって許可されてる」
だったら、莉亜のレガリアを守るためだから、問題はない。
一呼吸置くと、愛里の表情がますます険しくなる。
「でもね、殺していいわけじゃないんだよ?」
「……え?」
嫌な予感がした。冷たい汗が全身を伝っていく。
愛里はまっすぐに俺を見る。
「やり過ぎだよ。相手、さっき病院で……死んだよ、腹部裂傷でね」
心臓の音が激しく耳についた。
放課後のコトが頭を何度も巡り、動揺が止まらない。
「お、俺がやったのか?」
「うん……あたしのところで止めてるけど、そう報告が上がってきた」
確かにいい当たりはしたが、あれで死んだというのか。
愛里にあれこれと聞かれたが、変わったことはなかったとしか答えられない。
だって、本当に何もなかったのだから。
愛里は俺にまた引きこもるように提案してくる。
犯人と思われる俺がいると、いろいろと都合が悪いようだ。
でも、俺はそれをハッキリと断る。母上のあんな顔を見たあとでは、もう引きこもるという選択はできない。
家族は絶対に守りたい、俺の宝物のような存在だ。
だから、裏切ることは出来ない。
それにそもそも引きこもる必要はない。俺は犯人じゃないんだ。
死因は腹部裂傷。俺は腹部なんて殴ってはいない。
誰が俺に罪を着せるためにやったのだ。だから、別にビビることはない。
堂々と学校へ行き、真犯人を見つけるだけだ。
俺を嵌めようとしたこと、愛里を心配させたこと、絶対に後悔させてやる。
そんな決意を見せる俺を愛里が伺う。
「ね、ねぇ……裏生徒会の会長になったら、全てチャラに出来る権限があるって覚えてない?」
愛里はさりげない質問にしたかったのだろうが、明らかに動揺している。
そして、あまりにも唐突な質問だ。
それにこの言い回しだと、俺が知っていて当然と思われている。
当然のことだが、俺は会長の権限など知らない。
「なんだそれ、人を殺しても許されるとか、そんな話か?」
「そうだよ! 忘れちゃった? 他にもいろいろ特権あるんだよ! 犯人捜し……しなくて済むよ?」
会長、すごい権限だな。魔法使用も好き放題。
人殺しも許可されているって、どれだけだよ。
悪人が会長になったら、どうするつもりなんだろうか。
考える俺に愛里は一歩近づき、かわいい顔で見上げてくる。
「どう? 本気で狙ってみたくなったっしょ?」
愛里の質問の意図がわからない。
まるで俺に会長を狙えと、言っているかのような言葉だ。
しかし、あいにくと俺はもう英雄にはなりたくない。
勇者歴二十年の経験から、痛いほどわかっている。
――人は目立っているものを、どうしても叩きたくなるのだ。
目立って、大事な人を不幸にする。そんな思いはもうしたくない。
腕についた青あざを、必死に隠していたリノア姫の顔がよぎった。
「悪いな。全くその気はない」
「そ、そっか……」
その言葉に愛里は見てわかるほどの落胆を見せた。
沈黙しそうな空気。気まずく思い、俺は言葉を続ける。
「お前こそ代理だろ? なんで会長にならないんだ?」
場を繋ぐためだけの軽い言葉だった。
けど、愛里の顔は豹変する。
「……っ、それ本気で言ってんの!? 妹に取られても……いいの?」
愛里が俺を睨み付ける。その眼差しはとても冷たいものだった。
だけど、そんな目を向けられる覚えはない。
「さっきからなんだよ、言いたいことあるならはっきり言えよ?」
愛里はグッと唇を噛む。
そして、何かを言いかけた瞬間。
全身の毛が逆立つような悪寒を感じた。
それは刹那のコトだった。
愛里は不思議そうな顔をするだけで、気づいてもいない。
まるで俺に存在を伝えるためだけに、放たれた巨大で嫌な魔力。
俺は辺りに目をやるが、誰もいない。
嫌でも体が震え、落胆にも似た声が漏れる。
「ど、どうして……」
忘れたくても忘れられない。間違えるはずもない。
異世界でずっと追い続けた相手。
不死の化身――魔王アバタールだ。
だが、あいつはこの俺の手で、二度と復活できないようにしたはず。
なのに、なぜこの世界にいる。
この世界に戻ってきたときに、一緒に連れてきたのか。
俺はよほど険しい顔をしていたのだろう。
愛里が気まずそうに俺の上着の袖に触れてきた。
「ご、ごめんね、お兄ちゃん……む、無理させちゃったね……」
「ちょっと待て、なぜお前が謝る?」
「あ、ごめん――じゃなくて、気にしないで。もう帰ろ」
愛里は恥ずかしげに、俺と手を繋ぐと歩き始める。
家へ向かって歩く道、見なれた道がなんだか別世界のようだ。
まるで、俺の知らない俺がいて、そいつとの秘密をチラ見させらている。
そんな奇妙な違和感だった。