第六話 兄と妹の価値観
莉亜の話を忘れたくて授業に集中していると、あっという間に放課後。
帰ろうとしたところで、廊下が騒がしいことに気がついた。
俺は廊下の前に集まっているクラスメイトに声をかける。
「なにごとだ?」
「逢坂……君。あ、あの美少女が……この教室をチラチラと見てるんだよ!」
俺は言われて廊下に顔を出す。
そこにいたのは、ツインテールの美少女。
――愛しの我が妹、愛里だった。
愛里と目が合うと、恥ずかしそうに小さく手招いてくる。まさかと思い、自分を指さしてみると、愛里はコクコクと首を縦に振った。
向こうからやってくるとは意外だ。
愛里に近づいていくと、後ろからクラスメイトの妬みとやっかみの悲鳴が響く。これは早くこの場を立ち去るべきだろう。
「場所変えるぞ、愛里」
俺が愛里の手を引くと、愛里は体をビクッと振わせたが、周りの熱気と空気を読んだらしい。大人しく、しおらしく、握り返してくる。
「……う、うん。……お兄ちゃん」
その姿が妙にかわいくて、なぜか昔が懐かしくなった。
※ ※ ※
人混みを避けていると、いつの間にか、靴を履いて校舎裏にいた。
辺りを見ると全く人気はなく、ここならゆっくり話せるだろう。
振り返ると、愛里はゆでだこのように顔を真っ赤にしていた。
「ちょ、ちょっと……妹、こんな場所に連れてきて……な、何考えてんの?」
「人目を避けただけだ。で、何の用だ?」
「は、はあ? べ、別に……用なんてないし……ママから、様子……見といてって言われたから来ただけし……か、勘違いしないでよね!」
まごまごとしているが、本当にそれだけのようだ。
拍子抜けしつつ、安堵した。そして、莉亜から聞いたことが頭をちらつく。
話をするなら今だが、聞いた方がいいのだろうか。余計なことだとウザがられるだけかもしれない。
だけど、このまま知らないで、通していい話ではないだろう。
「だったら愛里、俺の話を聞いてくれ」
「――っ、は、はいっ!」
愛里は頬を染め、なぜか期待に満ちた顔をしていた。
一呼吸おき、俺は口を開く。
「裏生徒会って、知ってるか?」
「……そっちか……だよね、やっぱり。……うん、知ってるよ」
愛里は突然、がっかりとした顔になり、控えめに頷く。
どうやら希望とは違う話をしてしまったらしい。
だが、気にせずに質問を続ける。
「お前がそこの会長代理だと聞いたが、どういうことだ?」
ぴくんと体を小さく震わせ、愛里は俯き唇を噛んだ。
答えたくない。いや、言いづらいのだろうか。
それでも一息溢すと、戸惑いながら俺を見る。
「そ、そんなんどうでもよくない? あたしがなにやってようと関係ないよね?」
関係なら大いにある。こちらはいろいろと巻きこまれたのだ。
うやむやになぞさせるか。
「関係ないって……お前な――」
「だってそうじゃない! 自分は好き勝手やってるのに、あたしにだけ押しつけないでよ!」
話を遮り、愛里は叫んだ。その眼には涙が浮かんでいるように見える。
俺は理由がわからずに言葉を詰まらせた。
愛里は慌てて踵を返すと、顔を拭いスカートの裾をギュッと握る。
「は、話、それだけ? なら行くね……」
「ちょっと待て、まだ話は――」
「後は……何が聞きたいの?」
冷たい声で、愛里は振り返りもしない。
もうこれ以上、話すことはないというコトだろう。
そんな状況で俺の口から出た質問は、シンプルなものだった。
「お前にも、奴隷……いるのか?」
「……え? う、うん。もちろんいるよ」
愛里はちらりと一度振り返り、そのまま立ち去っていく。
引き留められないほど、頭が呆然としていた。
聞きたいことはたくさんあったのに、どうして奴隷について聞いたのか。
簡単な話だ。『奴隷にする第一条件はファーストキス』
「あいつ、誰とキスしたんだよ……」
それが一番気になったのだ。
会長代理という役職のために奴隷を作ったのか。それとも会長代理になるためにキスしたのか、それはわからない。
けれど、行為として『それ』を行ったことが、妙に心をざわつかせた。
兄貴などと言いながら、妹の貞操を気にしてる。最低だな俺。
※ ※ ※
愛里と別れて、どれくらい経っただろうか。
何となく肌寒さを感じ、俺は校門に向かい足を止める。
校門の先の歩道に、風祭 公太がいたのだ。
ひょろっとした細身の体に、力のない表情。ぼさぼさの髪型の懐かしい顔。
だが、見たくもない顔だった。
風祭が俺に気づいて、もごもごと話しかけてくる。
「あ、あの……え、と……お、逢坂君……が、学校……き、来たんだ……」
その声にゾワゾワと感情が逆立つ。
二十年経っても、精神年齢が上がっても、怒りは消えていなかった
俺と同じ最底辺でありながら、俺を売って、自分だけ助かったのだ。いや、むしろこいつをかばったために、俺がいじめられるようになったとも言える。
ぶん殴ってやりたかったが、今の俺ではただのいじめだ。
大きく何度か深呼吸をして、気を落ち着かせる。
「風祭……もうお前とは関わりたくない。二度と話しかけないでくれ」
「そ、そうだよね……。ご、ごめん……け、けど……また、ぼ、僕と……」
「――もう一度言うぞ? 俺に近寄るな」
「ご、ごめん……」
俯いて風祭は、去っていくと思った。
だけど、ぼそりと言葉を付け加える。
「僕は……あの人の奴隷なんだ……口の利き方……気をつけた方がいいよ?」
風祭はおどおどと眼を泳がせてはいるが、口角は上がっている。
気持ち悪さを感じていると、不意に聞こえて来た声。
「あんた、まだ帰ってなかったの?」
俺は慌てて振り返ると、めんどうくさそうな顔をした、愛里が立っていた。
そこで俺と目が合い、愛里が少し驚いた顔をする。
妙な違和感。認識のずれ。
今のって、俺に声をかけたんじゃなかったのか。
「……あ、愛里様……お待ちして……おりました……」
いそいそと風祭は愛里の前へ行き、頭を深々と下げた。
ズキズキと頭が痛む。
「どういうことだ……」
俺は風祭を押しのけ、愛里の前に立つ。
一瞬だけ、怯むがすぐに俺を睨んでくる。
「な、なによ?」
愛里は知らないからだろう。
俺が風祭に何をされたのか、ひどい裏切りを受けて、それで俺がどんな目にあったのか、そんなことを知らないから、奴隷にしているに違いない。
他の奴なら、誰であろうと、こんなコトを言うつもりはなかった。
けど、ダメだ。風祭だけは許せない。
「な、なんで風祭なんかを奴隷に……あいつは俺に……」
「言わなくてもいいよ。そいつのやったこと、全部、知ってるから」
カッと頭に血が上る。
知ってるならどうしてと、感情を押さえきれなかった。
「っ! だ、だったら!」
けれど、そんな俺を見て、愛里はにやっと笑う。
「だからこそだよ――」
愛里はそこで言葉を止め、いきなり風祭を蹴りつけた。
冗談ではなく本気の蹴りだ。
風祭は思いっきり吹き飛ばされ、地面に倒れた。
「だからこそ、あたしが躾てるんだよ。このクソ野郎の性根からね」
地面に伏せたまま見上げてくる風祭を愛里が睨む。
すると、風祭は嬉しそうな顔を見せた。
「あ、愛里……様……け、蹴っていただき……あ、ありがとう、ございます」
涙を流しながら、風祭は息を荒げており、変態にしか見えない。
愛里はその様子を見て、楽しげに笑う。
それからゆっくりと俺に振り返り、
「ねっ!」
「ねっ! じゃねえよ! なにやってんだよ!」
さすがにこれはアラフォーの俺でも声を荒げてしまった。
「えー、そんなに怒鳴ること?」
「当たり前だ、さすがにこれはひどいぞ?」
「そ、そうかな……うまく躾たつもりなのに……」
愛里はしょんぼりとした顔を見せた。
「だいたい、奴隷にしたって……お、お前……そ、そいつと、キスしたんだな?」
「うん、したよ」
あっさりとした答え。
大嫌いな奴と、大事な妹がキスをする。それが例え、契約の為だとは言え、ざわざわと心がかき乱され、嫌な感情が広がっていく。
そんな俺を見て、愛里は言葉を続ける。
「額にだけど……」
「……え? ファーストキスって……」
戸惑う俺に、キョトンとした顔を見せる愛里。
「うん。レガリアを手に入れて、初めて誰かにキスをすることがファーストキス……って、まさか……マウストゥマウスを想像してない?」
「……した」
俺が素直に頷くと、愛莉は心底どん引きしたような顔になる。
「冗談はやめてよ。なんでこんな奴とキスなんか……唇から相手に魔力を送るだけだから、場所はどこでもいいんだよ。そんなの誰でも知ってるよ?」
莉亜はきっと知らなかったな。
知ってるならあんな人の多い食堂で、わざわざ唇にキスなんてしない。
マニュアル必死に読んでたのに、つくづく不憫な奴だ。
しかし、愛里の貞操が守られた気がして、盛大なため息が出た。
愛里は俺を試すように、上目遣いで覗き込んでくる。
「……そ、そんなこと気にするなんて……シスコンの変態兄貴なの?」
若干誤解を受けそうな言い回しだが、それほど大差はないだろう。
「当たり前だ。お前は俺の大事な妹だからな」
返事を聞いて、愛里は頬を朱に染めると、そっぽを向いた。
「――っ、き、キモいっつの!」
愛里は風祭をどかっと蹴りつけて、顎でしゃくり、去っていく。
風祭は慌てて起き上がりあとをついていった。
愛里の奴隷――兄貴にもあんな態度なのに、それが絶対服従の奴隷。
なんだか、風祭が哀れに思えてしまう。
もしかして、風祭の躾って、俺のためにやってくれているのだろうか。
一度だけ振り返った愛里の顔は、さっきよりも真っ赤になっていた。