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いつかかれゆく  作者: uka
9/20

「何これ」


 夕日のさす落葉の部屋で私が昨日おばさまから預かった包みを渡すと、落葉怪訝そうにその包みを受けとると片手でくるくるとまわしながら見つめている。


「昨日おば様から落葉にって」

「母さん、帰ってたの?」

「うん、連絡なかった?」

「いつものことでしょ」


 なんてことのない風に落葉はいいながら包みを置いて丁寧に包装をはがし始める。カサカサとなる紙の音。放課後の帰り道、いつもどおりに落葉の部屋へよった帰りのことだ。

 先程まで上機嫌というわけではないものの、いつもどおりの儚い、薄っすらとした表情を浮かべていたのに、今の落葉は無表情を取り繕うとしているのが目に見えて、私は少しやるせない気分になる。おば様のことが絡むと落ち葉はいつもこうだ。二人とも不器用だから表に出そうとはしない。

 包装の中から現れた箱、そこから落葉が取り出したのは、腕時計だった。

 銀で縁取られたハート型の文字盤に細い皮製のバックル。可愛いけれど甘すぎない、シンプルな腕時計。落葉はそれを眺めながらふぅとため息を吐く。


「これくらい、直接手渡せばいいのに」


 きっと誰もが思っている事を落葉は呟いて、それを手首に巻いて、じっと眺めている。

 落葉の細い手首と可愛らしい私服姿にその腕時計は違和感なく溶け込んでいる。

 音の少ない静かな世界を、急に私は寂しく感じた。可愛らしい落葉の部屋。そこは落葉の望んだ可愛らしい世界だけど、そこには落葉しかいない。特別な落葉の感性を共有できるひとは居ないのだと思うと、それはひどく寂しいことのように思えたのだ。


「落葉は寂しくない?」

「何が?」

「おば様と一緒じゃなくて」


 問うと、落葉は、目を伏せて手首を撫でた。受け取ったばかりの時計の感触を確かめるかのように。

 高校に入学してからずっと親元を離れて、一人、テレビもないこの部屋で。携帯だってなくて、もうずっと鳴っているところを見たことのない電話は少しだけ埃を被っていて、私も家では殆ど一人だけれど、母が帰ってこない日はあまりしないし、母が家に居なくてもその存在は感じることができる。だから落葉の気持ちをわかるだなんて口が裂けても言えないけれど。

 落葉はしばらく黙っていた。それから諦めたような表情をして、


「いいのよ今のままで、お互いに迷惑をかけることのない、今のままが、一番いいの。お互いのためだから」


 否定はしなかった。だけれど今のままでいいのだと落葉はいう。

 無理に私が踏み込んでいい話しではない。わかっている、でも。落葉が悲しそうな目をしていると、どうしても私も不安になるのだ。

 特別で、美しくて、とても強い存在である落葉とて、私と生きた時間はそれほど変わらない。同じ歳の子供なのだ。家庭環境が大事だとか、親の愛情だとか、そんなものが大事だなんていうつもりは毛頭ないけれど、互いに思い合う家族が離れ離れで居るのは、違う、そんな風に思う。

 だけど落葉が今のままでいいと、そう私に言うのなら、私は、それ以上何も、言えない。

 落葉が弱さを見せてくれない限りは、私は落葉に手を差し伸べることもできない。

 誇り高い美しい生き物である落葉。私の理想に縛られるかわいそうな生き物。




 私は落葉との初めての出会いを覚えて居ない。

 物心がついたときにはもう隣に居た。

 母とおば様の出会いは私達が生まれる前、二人が私達を身篭っていた頃だと聞いているから、当然といえば当然のことだろうか。まだ落葉が普通であったころ。落葉が女の子になりたいといったあの日のことはおぼろげになっている幼少の記憶の中で、唯一、頭にこびりついて離れない。

 その頃の私はうかがい知らぬことであったが、おば様は落葉の父、つまりおば様の夫に酷く理不尽な目に合わせれていたらしい。家庭内暴力というやつだろうか。詳しいことは知らないが、それは相当ひどいものだったらしく、落葉が生まれる前に二人は別れ、おば様は落葉がお腹に居る事を知った。

 それから病院を通じておば様と母は出会い、その頃ひどく絶望に陥っていたおば様を、母は支えようと友人となって尽力したらしい。時折、おば様は当時を思いだして母に感謝の言葉を述べるが母はそのたびに照れくさそうにする。まぁその気持ちはわからないでもない。

 まぁそういうこともあって、おば様は、男嫌いになった。

 男という生き物を汚く、野蛮で、低脳な者だと思うようになってしまった。

 そうして、生まれてきた落葉の性別は、男、だった。

 その苦悩は私にはわからない。

 母から聞いた話では相当荒れていたことだけは聞いている。

 その結果、落葉はおば様の思想を毎日のように聞かせられ、男のようになるなと、そういわれ育てられ、自分自身の性別に戸惑い、結果、あの日の、あの言葉に繋がる。

 おば様も落葉のその変化には当然気付いていたが、むしろそれを歓迎し、落葉に女物の服を買い与えたらしい。そうして落葉は徐々に美しい生き物へと、変わっていった。

 落葉はそうして小学校に通うようになり、私服で登校し、低学年の頃は、皆幼いこともあり、落葉の事を不思議に思うものも居たが、落葉だからと、それで許されていた。しかし、年齢があがり、次第に性別という差を知り始めた頃。落葉もおば様の影響で男嫌いが加速していた、その結果、あの彫刻刀事件が起きてしまった。

 そうしてようやく、おば様は落葉の異様さに気付いた。

 男ながらにして男を嫌い、女の子になろうと努力し、美しくある、その歪な生き物に。

 しかし、おば様は自らが招いたこの悲劇に、しばし、目を背けた。

 いずれ、落葉も自身の異様さに気付き、男として生きるようになるだろうと。

 それはおば様の相変わらず残っていた男性に対する偏見も手伝っていたのは間違いないだろう。

 結果的に、その判断は間違いであった。落葉は加速度的にどんどんと美しくなっていった。

 そうして中学の入学式、落葉に詰襟を着させようとして、うまくかわされてしまったその日、ついにおば様はその異常性に気がついた、そのときにはもう、手遅れであった。

 落葉の美しさが増していくにつれ、おば様は自分の過ちに気付き、徐々に男性に対する偏見を減らしていった、しかし落葉に刻まれたそれは決して減ることなく、おば様と落葉の間には溝ができていった。今更自らが曲げてしまった落葉の思想を間違っていたなどと、否定することができるはずもないと、おば様は再び落葉から目をそらし、そうして仕事に没頭した。

 中学時代の落葉はよく目立った。

 私服が許されていた小学校時代はまだしも、制服で、かつ、はっきりとした自我を自覚し始めた年頃の少年少女達の間では落葉はとにかく注目の的であった。幾度となく教師とぶつかり、時折彫刻刀事件を知らぬ者たちから手出しを受け、それを見事跳ね返し、トラウマを植え付け、やがて例の秘密組織が立ち上がり、徐々に落葉の回りは静かになり始めた。落葉が成長し、歪さをまし、憂いを深めるほど、落葉は美しくなっていった。本人の複雑な思いを他所に。

 そうして、ついに、高校入学にあたって、おば様は、もはや得体の知れぬ我が子を見ては居られぬと、仕事のために忙しいからと、一人、都会の街で暮らす事を決めた。落葉はおば様の心情を察し、一人この片田舎の小さな町に残る事を決めた。

 互いに本当は互いのことが気がかりで仕方なく、互いの事を思うために別れてしまった。

 二人ともただ不器用なだけで、どちらも悪くなどないはずなのに。

 戻る事もとどまることも許さない時間の流れは、二人の溝を広げ、過去を修復する事を許さない。

 少しずつ、水が溝を削り、その幅は離れるほどに深く広くなっていく。




 久しぶりに日の出た十一月の日。

 陽光のポカポカとした暖かさにのんびりと自分で作ったお弁当をつつきながら昼休みを過ごしていた。一時寒さの緩んだクラス内の雰囲気は穏やかで、なんとも過ごしやすい。そんなゆるゆるとした空気の中に、急にぎらぎらとでも形容するべきか、あからさまに一人だけテンションが高い人物がずかずかと入り込んでくる。

 明るいブラウンの髪と寒くないのかと目を疑いたくなるような短いスカート姿の彼女は、菅帳である。ニコニコと笑いながら、私の席をまでいつものように真っ直ぐに進んできて勝手に目の前の席を占拠して腰掛けると、手に持っていた包みを私の机の上に置いた。


「お昼一緒にいいですか羽鳥さん」


 もう既に席について箸を手に取りお昼ご飯を食べる気満々でいる彼女に私は呆れを通り越しつつ半ば感心しながら黙って頷いた。


「今日は暖かくていいですね。ずっとこうだといいんですけど。あたし寒いの苦手なんですよね。羽鳥さんはどうです?」

「寒いのは嫌いだけど」

「ですよね、やっぱり春か夏がいいですよ。あぁでも来年は受験生だし遊べないんだろうなぁ、そう思うと憂鬱ですよ」


 言いながら彼女は自分のお弁当の包みを解いていく。

 しかしまぁ一人でよく喋る。

 落葉は食事の時はできるだけ喋らないでいるからこうして騒がしくご飯を食べる事を私にとってなかなか珍しいことである。おかずをつまみながらよく喋るその少女をぼぉっと見つめている。


「羽鳥さんのお弁当おいしそうですね。彩りもいいしバランスもとれてますし」


 彼女は私の弁当から海老を拝借していく。昨晩ブロッコリーと一緒に炒めた中華風炒めの残りである。


「残り物の詰め合わせだし、たいしたことないでしょう。せいぜい朝用意するのなんて玉子焼きくらいよ。その中身も大体あまりものだし」

「ええ、じゃあ羽鳥さん自分でこのお弁当作ってるんですか?」

「別に驚くほどのことでもないでしょ」

「普通驚きますよ、あ、玉子焼きも貰いますね」


 遠慮なく彼女は私の弁当箱から枝豆入りの玉子焼きをかっさらっていく。カラスかこいつは。


「家の家事は昔から私が全部やってるから、特に驚くほどのことでもないんだけど」


 呆れながら私は彼女のお弁当をのぞき込む。

 ご飯にふりかけ、ミートボールにごぼうのサラダ、玉子焼き、中身はわからないものの揚げ物。ぱっと見玉子焼き以外は冷凍食品の普通のお弁当だ。


「家はいっつも変わりばえしない茶色のお弁当で、まぁ弟や妹の分を考えたら仕方ないんですけど。好き嫌いがはっきりしてるからお昼のメニューでもめるんですよねぇ」

「仲がいいのね貴方の家は」

「ぜんぜんそんなことないですよ。お母さんは毎日勉強しろ、家事を手伝え、弟達の面倒見ろって煩いですし。弟や妹も喧嘩が絶えないし、いっつも騒がしくて、たまには一人で静かにゆっくりしたいものですよ。あぁ自分の部屋が欲しい」


 彼女の騒がしさは家庭環境に起因していたのかと思うと同時、なんというか、ズレ、を感じた。

 彼女のいう普通と、私の思う普通に大きな剥離がある。

 当然といえば当然か、シングルマザーの家庭が昨今それほど珍しくないとはいえ、普通の家庭環境ではないだろう。ましてや落葉の家との関係を考えれば尚更。

 別に、私は母との今の関係に不満はないし、愛情、などという不確かななものが不足しているとも思わない。放任ではあるが、きちんと私の事を考えて居てくれるとは思う。ただ、距離というか、そういうものが彼女の家のそれとは違う気がした。

 彼女の家はなんとなくだけれど近く、暖かいように思える。

 それを欲しいとか、羨ましいとは思わないけれど。普通の差になんとなく、驚きを感じるのだ。

 落葉にとってもきっと、今の状態が落葉にとっての普通になってしまっている。

 それは世間から見たら普通でなくても、本人にとってそうなら、それは、どうしようもなく。


「羽鳥さんの家は、ご家族と仲が悪いの?」

「放任なだけで、別にそういうわけでも。普通、ですよ」


 私の普通も、彼女の普通と食い違うように。


「ふぅん、羨ましい。あたしも放任な家の方がよかったわ」


 彼女はお弁当を口に放り込む。

 私も黙々と食事を続けながら、落葉は今いったいどんな昼食を取っているのだろうと、そう、思った。

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