七
望もうと、望まなくとも、時はいつも同じ速さで過ぎていく。
気付けば十月は終わりを告げて十一月。
落ち着きを取り戻した繰り返しの日々に概ね満足しつつ、私は落葉とすごしている。
この季節の落葉は、例年、一年の中でもっとも服装に気を使いはじめる。落葉は露出の多い服装をあまり好まないから、夏の間には着れない服をこの過ごしやすい秋から冬にかけての間に、好きなように選んで組み合わせて過ごす。だが私達が通う高校は私服通学は認められておらず、指定のブレザーの着用が義務付けられている。
しかし、平成の世に男女別の制服など愚の骨頂であると落葉は堂々と宣言しその身を女性の制服に身を包んで生活している。中学からこちら、落葉が男性服に袖を通したことがあるのを見たのはたったの一度きりだ。
当然高校の入学時にはやはり一悶着あったわけだが、中学の頃からある種有名で名が知れていたことと、新平先生が色々と手を回してくれたおかげもあり、今は落葉が女子の制服で登校する事を一応認められている。しかし、落葉の男嫌いは健在であるため、先生には礼を言うどころか、挨拶一つすらしたことがない。まことにいつその制服を脱がされて着替えさせられてもおかしくないというのに、あげく、こうしたほうが可愛いからと制服を自ら加工し始めるほどだ。おかげで生活指導の俵田とはいつも衝突が耐えない。
この季節は特に酷い。
落葉は冬服のデザインをそれなりに気にいっているらしく、平日であろうと、そのコーディネートには余念がない。今日は本来女子が着用を義務付けられているリボンを外し首には変わりにカットタイをしめている。短めの可愛らしいものだ。
制服に手を入れてるといっても、できることは限られる、もう一点目を引くのは足元のソックスだろう。腿まで覆う長いサイハイソックスは黒に灰の薄っすらとしたしま模様であり、大変目を引く。まるで漫画の世界から抜き出してきたかのような格好。しかしそれが不自然でなく、かっちりと型にはまっているかのように似合うのだから、落葉という素体のよさがよくわかるというものだ。
しかし、似合っていても、というかにあっているからこそ、周囲からはより一層、浮く。
落葉は通学路の視線を一身に受けながらしかし凛として前を向いて歩く。その姿は大変美しい。
落葉が特別である理由はその外見だけでなく、心の持ちようにもある。
自分の信じたことを決して曲げず、可愛くありたいから、ただ可愛くあろうとする。周囲の言葉になど耳をかさない。誰にも媚びず、思った事をはっきりと口に出し、決して折れない。それは誰もが憧れる生きかただろう。やりたくてもやれるものではない。落葉だからこそ、それを許される。
だからこそ今この服装に文句をつけてくるものも、俵田くらいしかいない。
昔、落葉の服装に文句を言うものもいた。
小学生三年生の時のことだったと思う。
落葉に喧嘩を売った男子生徒がいた。今とそう変わらぬ落葉の性格は当時、男子からは大変面白くないものであったのは想像に難くない。加えて、この頃から既に落葉は加速度的に美しくなる過程であったから男子はついちょっかいを出したくなったというのもあるだろう。
昼休み、本を読んでいた落葉に男子は声をかけた。
お前、本当に男なのか? と。
馬鹿にするようなその問いに、落葉は鼻で笑って返した。
「性別というくくりでは残念ながらそうかもしれないけど、低俗な貴方と同じカテゴリに一緒くたにされるのは我慢ならないわ」
当然のように男子は怒り、落葉に掴み見かかるとその服を脱がそうとした。取っ組み合いになり、落葉は押し倒されその服に手をかけられ、落葉の服からボタンが飛んだ。
そのときの落葉の顔を、私は今でもよく覚えている。
美しい顔の眉だけが不快そうにつりあがり、瞳や頬はただ無感情に静かで動かない。
落葉は男子を何とか突き飛ばすと自分の机に飛びついて引き出しから彫刻刀を抜き出すと、男子の上にまたがり、それを瞳につきつけた。
落葉が本気で体重をかければその目は確実に使い物にならなくなる。誰の目から見ても明らかだった。
「確認したくてもできないようにしてあげましょうか。その目をくりぬいて」
その後、私と教師にとめられなんとかその場は収まったものの、当然落葉はこっぴどくしかられ転校すら噂されたが、何とか事なきを得て、それ以来クラスで落葉にちょっかいをだすものはいなくなった。
そのときの事を話そうとすると落葉はわかりやすく不機嫌になる。
それはあの男子への怒りではなく、自らが男たちと同じように暴力を振るった事に対する苛立ちのようであった。
中学にあがってからも、嫉妬した女生徒から嫌がらせを受けたこともあったが、ともかくそういうわけで落葉に今更何かをいえるようにな人間は非常に珍しい。
しかし、落葉は自らそういう境遇に踏み入れたにもかかわらず、今の環境には不満があるようだった。周囲の視線を気にする様子はあまり見せないが、落葉は時々、嫌気がさしたようなそんな顔をする。
ちょうど今のように。
「どうして私は普通ではないのかしら」
落葉の望む普通は、落葉が落葉で有る限りかなえられる事はない。たとえ落葉が常識として普通に生きていたとしても、それは落葉が望む普通とは違う。落葉が望むものは決して完璧な状態で手に入ることはない。決して手に入らない、手の届かない理想。
「落葉は今の自分に不満があるの?」
落葉は首を振る。
「私は今の私としてできることは全部してる、これ以上はどうしようもないくらいに。だからこれは不満じゃなくて、絶望なの。だって私はどうがんばっても柚子のようにはなれないもの」
「私になっても退屈で、面白くないとおもうけど」
「面白い日々が欲しいわけじゃないから、いいの。普通が、普通の可愛い女の子がいい」
落葉の声は冷たい木枯らしに吹かれて虚空へ消えていく。私しか知らない、私にしか届かない。落葉の声。
周りから遠巻きに私達を眺める彼らには決して届かない。そこは別世界のようであった。
やがて学校が近づくにつれ、世界と世界の境界は薄ぼんやりと溶けていき、私達は別の教室へと吸い込まれていく。
一人の時の私は本当に空気のような存在で、教室の端っこのほうでぽつんと一人課題を片付けたり本を読んだりしている。昼の休憩時間、それなりに騒がしい教室の中、本を読む私のいる一角だけはしんと静かでまるでそこに居ないかのようにすら感じる。集中したい時には都合がいいものの、自分のあまりの平凡さにため息が漏れることもある。落葉ならこうして座って本を読んでいるだけで人の目を引くのに、私が求める特別もまた、落葉が求める普通と同様に、絶対に望むものを手に入れられない、届くことのないものだ。
ため息を一つついて窓から中庭の景色に目を落とすと、窓ガラスに映る教室のドアが開くのが見えた。窓の外からそちらに視線を向けると、菅帳が居た。
私は本に目を落とした。
しばらくして、影が落ちる。
「羽鳥さん」
文字を目で追う。ページを捲る。
「羽鳥さん、もしもーし?」
極力無視に徹する。しかし、彼女も中々根気強く、落ちた影は動かない。根負けしてため息を一つ。栞を挟んで本を閉じる。
「なんですか、用件があるならさっさといえばいいじゃないですか」
「人と話をする時は目を見て話さなきゃいけないの、子供の頃習わなかった?」
「生憎と、私は喉元をみて話せと習ったので」
「まぁいいの、それよりさ、聞いて欲しいの」
いいながら彼女はごく自然に私の前の席の椅子を勝手に借りて、背もたれをまたぐように行着悪く腰を下ろして話す体制に入る。長い話になりそうで少しげんなりする。
「手短にお願いしたいんだけど」
「まだ昼休みは十分あるでしょ?」
その時間は本を読みたかったんだけど、といっても彼女には通じないだろう。渋々と本を引き出しにしまって彼女と向き会う。
「それで、何の用ですか」
「今日の枯野さんの服装なんですけど、今日は一段と可愛かったですねぇ。なんていうか小動物的な可愛さとでもいえばいいのでしょうかね、ああいうセンスはいったいどこからしいれるのかしら」
「センスは元から持つものでしょう、磨くことはできれど、本人にない才覚は伸ばしづらいかと」
最近はこうして彼女の相手を嫌々ながらもすることが増えた。放っておくのもなんだか哀れであったし、まぁ話すくらいであれば、それほど手間もかからない。彼女から逃げるために使う労力に比べれば幾分安いものである。
「じゃあやっぱりあたしにはああいうのは無理かな」
「でしょうね。たとえセンスがあったとしても貴方には似合わないでしょうし、周囲の視線を受け止められるとも思えません」
「棘のある言い方……まぁでもたしかに、枯野さんみたいに平然としてられる自信は、ないなぁ」
一般人にあれが真似出来るわけなどなく、いくら厚顔無恥な彼女であれそれは難しいだろう。そもそも真似しようと思ってできるものでもない、あの格好は落葉だからこそ許されるのであって、他のものでは到底着こなせるものではないし、そもそも周囲が許さないであろう。ほぼ間違いなく、生徒指導室に連れて行かれ普段どおりの格好に戻されるのが落ちだ。
「枯野さんはなんでああいう格好できるのかなぁ」
ポツリと呟く彼女に少しだけきつい視線を送る。
「悪い意味じゃなくて、どうしてああいう風になろうと思ったのかなって。普通思ってできないでしょうああいうの。やっぱり何かきっかけとかあるのかな」
「そうですね、でも秘密です」
「えー、いいじゃない教えてくれても」
「落葉のプライバシーの問題ですから、本人に聞いてください。まぁもしかしたら目を抉られるかもしれませんがね」
「なにそれ、ジョーク?」
「さぁ?」
ともかく、それで彼女は黙る。いつものことだ。落葉のことは落葉に聞けとそう言えば彼女はすぐに静かになる。
他人の椅子を勝手に占有したり、私の時間を躊躇なく侵害してくる割に落葉に対してはどうにも押しが弱いようで。
惚れているから、そういう横暴な一面をみせたくないのか。今更過ぎる気もするどころか、私はべらべらと彼女の愚痴を落葉に喋っているのだが。
ここでその事をばらすとまためんどくさい事になりそうだから何も言いはしないが。
「羽鳥さんは枯野さんと幼稚園からずっと一緒なんだっけ」
「えぇ、まぁ」
「あたしもそれくらいから一緒だったら枯野さんと仲良くできたのかしら」
「どうですかね、落葉は気難しいですから」
「羽鳥さんと同じね。長くいるせいか二人とも、どこか似ているし」
思わず鼻で笑ってしまう。
「私と落葉が似ているのなら、世の大半の人は落葉とそっくりさんでしょう」
私と落葉は対極である。互いが互いの理想であり、鏡。落葉の求める普通が私であり、私が求める特別が普通。その隔たりはあまりにも、大きい。
「そんなことないと思うけどな。当人は気付かないものなのかな」
「似てるなんて言い出したのは貴方が始めてですよ。おかしいのは貴方でしょう」
「何だろう、似ているというか、二人で一つというか、枯野さんと羽鳥さん、二人一緒じゃないとなんだか違う気がするの、フォークとナイフみたいに二つの別物で一つのセットになる、みたいな」
「おかしな事をいいますねあなたはほんとに。詩人にでもなるつもりですか」
「そこまで詩的でもないでしょう」
自らのことが見えていなのは一体どちらか、あきれて、私がため息をつくと、ちょうど、五分前の予鈴が鳴った。私は机からあらかじめ用意しておいた次の授業の教科書とノートを取り出す。
「それじゃ、またね」
手を振って出て行く彼女の姿を見送って、一息吐く。
フォークと、ナイフ。そう例えるならば、私がナイフと言った所か。フォークはそれだけで食事ができるがナイフはそうもいかない。フォークにはスプーンといった他の相手もいるがナイフにはフォークしかいない。彼女にしてはなかなか冴えた例えだったかもしれない。
教師が入ってくる、
頭を切り替える。