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いつかかれゆく  作者: uka
2/20

 その日、夏休みが明けて、浮ついた空気もなりを潜め始め、再び日常が定着しかけた頃。

 私達がいつものように、寂れた住宅街を粛々並んで歩いていると、ふと視線の先、なにやら手元の携帯電話を眺めながらきょろきょろと視線を彷徨わせる女の子を見つけた。制服は私達が着るものと同じ、精確には落葉の着るものはところどころ手が加えられた校則に違反したものなのだが……まぁそれは置いておくとして、どうやら同じ高校の後輩らしかった。

 それを見て嫌な予感がする。

 狭い町だ、近隣で普段見かけない顔であればそれは対外厄介ごと以外の何者でもない。

 落葉の方は鞄を片手に、もう片方の手で器用に開いた小説に目を落としているため目の前の厄介ごとにどうやら気付いて居ない様子である。

 相変わらず落葉のその横顔はどうにも、綺麗で、そんな風に眺めている間に私達は彼女の横を通り過ぎ、そして後ろから声をかけられた。


「すいません」


 少女特有の甘い声。少し緊張の色を帯びたそれはもう何度きいたことかわからない。二桁を超えたあたりから数えるのはやめた記憶があるが、もしかしたら落葉を見守る秘密の会であればその詳細な数を知っているのかもしれないが、わざわざ聞きだそうとも思わない。

 振り返れば、やはり先程の少女がこちらに視線を投げかけている。

 落葉の方も声をかけられて事態にようやく気付いたのか本を閉じてゆっくりと振り返る。

 丸い顔立ちに、野暮ったい眼鏡。落葉と同じ色の髪の毛はしかし、無造作に纏められ、艶もなく、いうなれば普通の、私と同類の少女である。それゆえに特別に惹かれるのもまた、同じ。違いがあるとすれば、落葉と幼馴染であるかどうか。しかしそこには計り知れないほどの距離がある。

 落葉も私と同じように彼女の事をふっと一瞥すると、不機嫌を隠しもしない様子で、つまらなさそうな瞳を彼女の方に向けて、あからさまなため息をついて見せた。

 しかしそのその少女は案外骨があるのか、落葉の態度にびくりとしながらも逃げ出すことなく向かい合って言葉を搾り出した。


「一年の多々良由子といいます、枯野さん、付き合ってもらえないでしょうか」


 どストレートである。今時珍しい告白。

 といっても落葉の周りではそうでもない。

 もともと娯楽のない街である、色恋沙汰は思春期の少年少女の欲求を満たす受け皿としてこのあたりでは一番適しているといえるであろう。その対象に美しいものが選ばれるのはまぁ当然ではあるが。

 落葉は携帯やスマートフォンといった連絡手段を持ち合わせない。

 中学にあがった頃は持っていたのだが、落葉のそれは常にスパムに等しい量のメールが滝のように流れ着いていたからである。当然落葉も私も誰にもアドレスを明かして居ないのだが、どこからか絶対に漏れて告白のメールやら嫉妬からくる呪いの文章、果ては信仰対象として崇め奉るメールに至るまでその内容は多種多様であった。以来、落葉はそう言った連絡手段は持たず時折パソコンの捨てアドを使う程度に落ち着いている。

 それ故、こうして落葉のもとには直接告白をしにくる輩が男女問わず居るのだが。今こうして私が隣にいるように、落葉は誰からの告白にも了承の返事を返したことはない。

 そうして大抵振られた相手は泣くか、怒るか、苦虫を噛み潰したような顔で帰って行く。


「あなた鏡を見たことがある?」


 落葉の常套句。

 少女……多々良由子といったか、彼女は驚いたように実を縮こまらせながらも、答えを返す。


「毎日見てます」

「そう、なら眼科か、あるいは精神化にいくか、学校のきちんとした鏡で自分の全身を映してじっくりと眺める事をお勧めするわ」


 落葉はそう告げると、もう話す事はないといった風に踵を返して歩き始める。私もその横に並ぶ。

 あまりにもいつもどおりのやり取りに、もしかしてあの少女は昔も落葉に告白しただろうかとそんなデジャヴュにも似た感覚に陥る。しかし、どうやらそうではないらしく、件の多々良由子は見た目からは想像もできない根性をもって私達を再び呼び止める。


「待ってください、それはどういう意味ですが」


 しかしその言葉は、あまり褒められた反応ではない。気骨があると評価するよりも、愚か者の烙印を押してしかるべきその行動に、落葉は今一度くるりと振り向き、その美貌にふさわしき棘を突き刺す。


「言葉通りの意味。私は男が嫌い。汚いし、醜いし、馬鹿だから。女の子も、嫌い。せっかく可愛く女の子として生まれたのに、努力もせずに放り投げる人間が大嫌い、男よりも嫌い。私より足の太い女なんて最悪。生きてる価値が見出せない」


 その言葉は達人の剣のように速く、刀の切っ先の如く鋭い。

 これ以上話すのも嫌だと、そんな感情を露にしたような言葉が少女を容赦なく刺し貫く。

 私はどこか愉快に思いながらそんな光景を幾度となく、眺めてきた。この性格の悪さは落葉の影響か。

 落葉はもう既に歩き始めている、もはや少女に目をくれることもない。少女の方も今にも泣き出しそうに瞳に涙をためて、必死に堪えている。

 先程までこの少女の頭の中にはきっと都合のいい甘い妄想が繰り広げられていたのだろうが、現実はそれほど甘くない。白馬の王子様なんていやしない、特別な人なんてほんの一握りしかいない。

 私もその特別でない、一握りからもれた普通でしかないが、私は落葉の特別の、本のすこし、その恩恵にあずかる優越感にひたり、意地悪く、


「がんばって」


 と心にもない言葉をかける。

 がんばったって、落葉のいう可愛いにはきっと届かない。だって落葉自身が自分のその美しさに満足していないというのに、誰が落葉の認める可愛らしい少女になれるというのか。

 幸いにして私は落葉より足は細くあるが、可愛いとは言えないだろうと自覚している。私が落葉の隣に居られるのは、ただ、幸運にも幼馴染であったというだけ、それだけに過ぎない。

 長く過ごした時が、私を許す。

 駆け出す後輩の背中を見送ると私は落葉の後を追いかけてその横に並ぶ。既にその目は再び小説へと落とされている。秋のまだ暖かさを残す風がその長い髪を揺らす。私はその美しい様をただただ眺めている。




 ところで雨の日の動物園にいったことがあるだろうか。

 私は一度だけいったことがある。

 子供の頃、今もまだ子供だけど、今よりずっと幼かった頃、ちょうど落葉が変わり始めた時だったと記憶している。

 その日は母の久しぶりの休日で前日から一緒に動物園に行くのをすごく楽しみにしていて、なかなか寝付けなかったの覚えている。しかし朝になって見れば外は酷い雨で、私はひどく落胆した。

 しかし、そんな私の姿を尻目に、母はお弁当を作り、荷物を纏めると、私に雨合羽を着させると、私の手を引いて外へと出たのだ。

 しとしとと降る雨に煙る田舎の町に人影はなくて、私は怖くなって暖かい母の手をぎゅっと握った。すぐさま車に乗り込んで、母はガラガラの道を機嫌よく車のエンジンをかけて、車を走らせる。ラジオから流れる流行歌とそれに合わせた母の鼻唄、降りしきる雨の音に揺られて、私はふっと眠りに落ちた。

 目が覚めると既に動物園についていた。相変わらずの雨、周りには誰もいない。なのに母はとても楽しそうで。

 ぽっかりと口を開けた動物園のゲートはまるで異界への入り口のように当時の私には見えた。そのまま母に手を引かれ踏み入ったそこは、ある意味では確かに異世界といっても間違いではなかっただろう。

 普段人でにぎわうそこには誰も居なくてがらんとしていて、貸切のようなその状態に喜ぶよりも、湧き出てくる寂しさのほうが強く、そのことがとても印象に残っている。

 動物達も基本的には外に出ていなくて、屋根の下や檻の一角にだけ彼らはいた。

 いつもなら人で溢れる中、誰もいないそこにぽつんといた私を見つけると彼らは変わり者を見るかのようにじっと見つめてきた。サルも、ライオンも、鳥も、皆同じように。

 彼らもどこか寂しげで影があるように感じた。

 母はしかし楽しそうにただ静かに、動物と私のことを見つめていた。それは不思議な記憶。

 子供の頃の話だし、もしかしたらそういう幻想的な思い出を頭の中に作り出しているだけなのかもしれない。

 ただそれでもあの動物達の顔を、あの場にあった寂しさを、私はとても強く覚えている。

 そうして最近よくその記憶を、何度も、何度も反芻している。

 落葉の見せるどこか寂しげな横顔を見るたびに。




 落葉を動物とするなら私はその飼育係といったところか。ただ、動物と飼育係の関係というより、やはり神と信者という関係性のほうが正しい気もする。

 しかしまぁそう言った自己評価と周囲の評価というものは往々にして食い違うもので、傍から見た私の評価は大体三つほどに大分されるだろう。

 一つ、落葉の召使。

 一つ、落葉の通訳。

 一つ、落葉の恋人。

 一番目と二番目は概ね間違いでもない気もする、というか、じっさい私を落葉との間においてコミュニケーションを取ろうとする輩は多い。その判断は常識的には正解であるが、落葉に好意を寄せている人間であれば間違いである。落葉はそういう駆け引きをする人間をあまり好きではないから。

 三番に関しては私と落葉に少しでも関わったことがある人なら出てこない発想だ。

 この手の思いこみは大体落葉に気があるものの声をかける勇気のない者の貧相な妄想である。まぁ落葉に下手に触れようとしないその慎重さは正しいと言ってやりたいが、本当に気があるのであればやはりこれも失敗であろう。

 そんなわけで、私の元にも落葉ほどではないにしろ案外厄介ごとが飛び込んでくる。

 私のせいではなく落葉のお陰でだ。ある種有名税とでも言うべきか。

 先日のいつもどおりの告白の記憶も薄れ始めた十月に入ったばかりの肌寒い日のことだった。

 衣替えを終えてオセロでまるで一斉にひっくり返ったかのように真っ黒に染まった教室の様はまるで葬式のようだ。

 秋の空気とその色の変化は多少なりとも人の心に働きかけるものなのか、学校はなんだかしんと静まり返って居るように感じる。大変結構なことである。

 しかし、静かであればあるほど、物音はよく響く。

 授業の合間、移動教室で廊下を一人歩いていると、ふと背後から声をかけられた。


「ねぇ」


 甘いその声を聞いた瞬間、私は学校中の静寂がガラスが割れるような、澄んだ音と友に砕け散っていくのを感じた。これは厄介ごとの音である。それも多分、とても大きくて、面倒な。

 振り返るべきかどうか迷っている間に、その声を出した人物が横に並んでくるのがわかる。諦めて私はそちらに視線を投げた。

 甘い、匂いがする。

 最初に目に飛び込んだのはその髪の色だった。薄い、鮮やかなカラメルのよな茶色い髪の毛。地毛、ではなさそうだ。その頭髪の頂点が私の視線の高さにある。身長はそれほど高くない。目の色も髪の毛のように茶色い、こちらは髪とちがって天然ものらしい。唇は薄く色づいていて、その光沢は落葉を連想させた。

 軽く化粧をしているのか、しかし、あまり嫌味な感じはしない。どちらかといえば背伸びをしているよな可愛らしさを感じさせる小柄な少女であるが、上履きの色から察するにどうやら同学年のようである。見覚えはないから、多分同じクラスではない。


「はい」


 足を止めて返すと、彼女はこちらを鋭く睨む様に見上げる。


「貴方、枯野さんと付き合ってるの?」


 前置きのない、そのストレートな物言いに、ほうと感心する。


「いえ、私と落葉はそういう関係ではないです。ただの幼馴染」

「そうなの? ふぅん……じゃああたしが枯野さんに告白しちゃってもいいの?」


 どこか挑発するようなその態度に少し苛立つ。


「えぇ、どうぞご勝手に。というかそれは私に許可をとる必要があることなのかしら? それとも貴方の思いは落葉が誰かと付き合っていたら諦めのつく程度のもの? だったら、やめておいたほうがいいと差し出がましくも助言をさせてもらいます」


 少女が眉をひそめて、すこし怖気付いたのか歩調が一瞬乱れる。その様がやけにすがすがしい。やはり、毒されている。


「貴方が本当に落葉と付き合いたいというなら、相談には乗りましょう。多分、相手にもされないでしょうけど。一応幼馴染として落葉のことは多少、まぁ貴方よりは心得ているつもりですので」


 お前は落葉にとって未だ何者でもないのだと、呪詛を込めるように。多分今の私はいやらしく笑っていることだろう。本当に意地が悪い。


「わかりました、いいです。じゃああたし、今日枯野さんに告白、しますから」


 ピタリと足を止めて彼女はそういう。その目からはどうやら本気であるらしいことが伺える。滑稽なことである、どうせ落葉に一刀の元に切り伏せられる。


「どうぞご勝手に」


 私がそういうと彼女はその小さな体で虚勢をはるかのうように歩幅を大きくして去っていく。

 私もくるりと踵を返すと廊下を歩き出す。

 どうせあの子もふられる。しかしなぜだろう、彼女の泣き顔が思い浮かばないのは。

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