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いつかかれゆく  作者: uka
18/20

十八

 長いような短いような、暗く淀んだ冬休みが終わり、三学期が訪れても、相変わらず学校内の雰囲気は変わらない。まるで休みなどなかったかのように同じ日々の繰り返しの中、ただ、においとでも言うべきか、雰囲気が徐々に変わり始めていた。

 それは学校内というよりも二年のクラスだけのようで、なんとなくいたたまれない、逃げ出してしまいたくなるような、血なまぐささとか、野性的とでもいうべきか、ともかく、私としては関わりたくない、野蛮なにおいが漂っている、そんな雰囲気に気圧されるように私はクラスよりも図書室にいる時間の方が自然と増えていった。かといってそれほど読む本があるわけでもなく、漠然とただ、目標もなしに勉強に手をつけて見たりもしていた。

 冬休み前に、廊下で甘いにおいを撒き散らしていた二人組みは実に半数以上が消滅し、しぶとく生き残ったペアはしかし、甘いにおいをそれほど撒き散らすこともなく、ただ静かに二人で寄り添っていた。彼らに一体この休みの間どのような変化が訪れたのかは定かではないが。何事も程々がいいとそういうことなのだろうか。


 この頃、いや、おそらくあの初詣の日から落葉の雰囲気はより一層儚く、この世の元は思えぬ、幻のような美しさに磨きをかけていた。

 以前までがガラスや飴細工のような存在であったとするならば、今の落葉は例えるなら雪のような存在であった。それは一度触れれば溶けて消えてしまうような、そんな美しさである。それは雰囲気だけでなく、外見も驚く位に変わった。前から小柄だったその体はさらに一回り小さくなったように思える。実際、そうなのかもしれない。

 三学期が始まってすぐのことだった、落葉が学校で倒れた。

 私はすぐさま保健室に駆け込んだが、落葉は何も話してはくれなかった。ただ、無事なその姿に私は安堵した。そのとき保険教諭に聞いた話では、落葉はどうやら食事を抜いて栄養失調で倒れたらしい。保険教諭は無理なダイエットの結果だと思っているようであったが、それは大きな間違いであった。

 以前落葉が私に男女の骨格について語ったことがある、男の方が骨格が角ばっているから、多めに肉をつけなければ、女の骨格には見えないのだと。そんな事を語っていた落葉が自らダイエットなど、するはずがない。原因は明白である、あの初詣の日のことだ。あまりのショックに物が喉を通らない、なんてことではなく、おそらく、落葉は、成長する事を恐れているのだと思う。だから食事を減らして、栄養をとらないようにしているのだろう。それはあまりにも無謀すぎる努力である。

 その結果は多分、落葉にとっては功をそうしたのだろう。一回り小さく見える体は成長を止めた体の証であろう。そうして、さらに儚く美しくなった落葉はさらに周囲の目を引くようになってしまった。落葉の思いとは裏腹に。




 めぐるましく変わっていく周囲の環境に私はどうにもこうにもなじめず、私は度々図書室へと逃げ込むようにして篭った。

 その日はなんとなく、放課後も私は図書室で本をゆっくりと捲っていた。落葉はおば様と約束があるからと先に帰ってしまっていて、ぺらぺらとさして興味のない本を捲って欠伸を噛み殺して、こんなことなら帰って家事でもした方がよかっただろうかと時計をチラと眺めていると、経て付けの悪いドアが静かに開いた。

 珍しい手練だと思って顔を上げるとそこに居たのは意外な事に菅帳であった。彼女もこちらに気づいたのかまっすぐと私が腰掛ける席の前にやってくると、腰を下ろしてあろうことか鞄から勉強道具を取り出して並べ始めたではないか。


「菅さんどういう風のふきまわしてでしょうか?」


 私が小さな声でそう聞くと彼女は不思議そうに首を捻る。


「あなたはあまり勉強が好きではなかったように記憶していますが」

「まぁ今も嫌いだけどね」

「では、なぜ」

「うん、ちょっとね、やっぱり働きながらでもいいから進学、しようと思って。特待生で奨学金とか貰えないかなって今更だけどさ、ちょっとがんばってみようかと思って」


 もしかして明日は雹でもふるのだろうか? 私は唖然としながらもまじめに参考書とにらめっこを開始した彼女をぽかんと口を開けて眺めている。


「突然どうしたのですか」


 私が聞くと彼女は参考書から顔を上げないまま、返す。


「別に、なにか特別なことがあったわけでもないんだけどさ、このまま働くってのはどうしても、なんか、ね。やっぱりあたしが働いてるとかまだ想像できないし、特別学びたいことがあるわけじゃないけどさ、何もしないよりはいいかなって。もし就職する必要ができたら大学辞めてもいいわけだしさ」

「そういうものですか」

「回りもみんななんとなく進学って人、多いしね。やっぱり皆すぐ社会に出るってよく分からないし不安なんじゃないかな」


 そういうものなんだろうか。まぁ私だって、落葉と一緒に居たいから、そんな理由で進路を決めようとしているわけだけれども。今のこの、日常の延長のために。呆然とそんな道を夢想している。

 でも、今のこの日常でさえ、ひどく揺らぎ始め、落葉の時間は磨り減り、あとどれだけ余っているかも、皆目検討がつかないというのに。不確かなそれのために私は、道を決めようとしてしまっていいのだろうか。

 そもそも私達の進む先にそんな時間が本当に存在しているのか、それすらも定かではないのに。

 落葉が落葉で居られる時間は、いったいあとどれだけ残っている?

 私が落葉と居られる時間は、いったい、あとどれだけ。

 ぐらぐらと揺れる足場に必死にしがみついて、前に進もうとする私の姿は、さぞかし滑稽で、無様なことだろうけれども、私はこれしかしらない、これが一番欲しいものだと、主張するしかない。絶対に先のない道だと分かっていても。私には落葉しかないのだから。




 厳しかった冬は徐々になりを潜め、暖かな陽気がのぞき始める二月の末。相変わらず辺鄙な田舎のこの街は緩やかな時の流れに取り残されたかのように変化はなく、ただそこに住む人達の時間だけが早まわしのように進んでいく。

 私は未だ先の見えない道を探して霧の中をただただ彷徨っていた。

 隣で日々美しさを増していく落葉は何も語ってはくれず、私は先導もなく遭難しかけていた。

 落葉と一緒に迷っていられるのなら、それでもよかった。

 でも、落葉が進む道を決めているとしたら、迷っている余裕などもうない。

 もう春も目前なのに雪が降る日だった。

 小さな雪は積もることなく振ったそばから溶け消えていく。

 それを落葉の部屋から私はぼぅっと眺めていた。

 学校帰りの放課後、落葉はもう私服に着替えて物憂げに本のページを捲っている。

 私は外の景色と落葉の横顔をじぃっと目に焼き付けるように見つめていた。

 あの日から落葉は口を開くことも極力しなくなった。

 少し掠れた美しいあの声も、落葉にとっては忌々しい消し去ってしまいたいものなのだろうか。


「落葉」


 名を呼ぶと落葉はその白い顔を音もなく、すっと上げて視線だけを私によこした。柔らかな笑顔、後をおった長い髪の毛が静かに揺れる。

 落葉は前みたいに私の名前を呼んでくれない。「柚子」と、返してはくれない。そのことが胸をぎゅぅっと締め付ける。心臓を鷲づかみにされて、そのまま果物の果汁を搾り出すかの様に胸は重い鈍痛を抱えたまま、少しずつ枯れていく。

 気だるげな瞳は、私の知っている昔からの落葉と何も変わらない。なのに、今の落葉はとても遠い手の届かないところに居るような気がした。最初から次元の違う生き物だったのかもしれないけれど、前はちゃんと手を伸ばせば落葉も手を伸ばして握っていてくれたはずなのに。

 人は変わるものだと、新平先生は言っていた。変わる事も悪くないと思っていた。だけれど、変わる事で、成長することで、失うものもまた、たくさんあるのだと。

 失ってしまうくらいなら、私は成長なんてしなくてもいいのに。

 誰も待ってはくれない。


「落葉」


 もう一度名前を呼んだ。

 落葉は答えない。

 可愛らしい小物に飾られた落葉の部屋の中。私達は黙って見つめあった。

 物心がついてから今この時まで、私の短くも長い人生を共にした美しい生き物と、私はここで道を違えるのだと、もうわかっていた。

 言葉にするのがずっと怖かった。

 薄々と感づいていた、もう限界なのだと。

 私は、口を開く。全てが私の杞憂であればいいと最後の願いを込めながら。

 神頼みなど何の意味もないとわかっていても、願わずにはいられない。


「ねぇ、落葉。落葉は、進路、どうするつもり?」


 喉がカラカラで、声は震えて、かすれていた。かっこ悪いなと思うと、今度は嗚咽をあげそうになって私は顔を伏せて口元を覆った。だから、今落葉がどんな顔をしているかも、わからない。せめて悲しげな顔をしていてくれたらいいと思う。


「町を出ようと思う」


 あぁ、やっぱり。

 落葉の残り少ない、落葉としての時間を過ごすにはここではいけない。この町の誰もが落葉が普通の女の子ではない事を知っている。そうしてこの町の誰もが落葉を特別にしてしまう。それは私も含めて。

 ぐわんぐわんと世界が歪む。


「お母さんの転勤が決まったこともあるし、私はついて行こうと思うの。ここに居るよりは多分、私は私の望む姿であれると思うし。沢山の人の中に紛れられればきっと、私だって普通に見えると思うの。私は少しでも長く、可愛いままの私でいたいから……」


 枯野落葉という美しい生き物はやはり、枯野落葉らしく。全ての価値観はそこに集約される。

 その生き様こそが、私がなによりも好きな落葉の特別なのに。

 今はただ、悲しかった。

 落葉の事を追いかけたいと思う。

 でも、県外で暮らしていくなんて私には想像が出来ない。見知らぬ土地、見知らぬ人、そんな世界に放り込まれて、私に一体何が出来るのだろう。

 そもそも、落葉は私と共にいる事を望んではいないのだ。

 私が居る限り落葉は特別だから。

 どこで何が食い違ってしまったのか。

 最初から、そもそも落葉という美しい生き物事態が歪んでいるのだから、当然のことだったのかもしれない。

 暖かな雫がぽたぽたと自分の瞳から零れているのがわかった。

 私は傍らの特別な友人を失ってきっとこの先、なにも特別でない、何の変哲もない、普通の、普通の女の子として生きていくのだろう。落葉が望んでも絶対に手に入らないその生を。つまらない、面白くないと、日々をただ浪費していくのだろう。


「柚子」


 聞き逃してしまいそうな、か細い、掠れて消えてしまいそうな、美しい声。私の、大好きな声。

 美しく特別な落葉に名前を呼ばれることが好きだった、私自身が特別になれた気がして。

 漏れそうになる嗚咽をこらえ、震える声を、絞り出す。


「落葉」


 美しい生き物の名前を呼ぶ。私の普通の声で。

 どうして落葉は私ではないのだろう。

 私はどうして落葉ではないのだろう。

 もしそうであったなら、こんなことにはきっとならなかったはずだ。

 神様なんていやしない。

 神様が本当に居るのなら、だってこんな理不尽なことがあるわけがない。

 絶対に手に入らない、一番欲しい物を鏡あわせに用意して手を伸ばすことも許されないなんて。

 私があの日落葉に服を貸さなければ、また違った未来があったのだろうか。

 私が落葉を歪めてしまったのだろうか。

 いろんな感情や記憶が溢れては消えていく。

 とめどなく溢れる涙はとどまることなく、ぽたぽたとぽたぽたと零れ落ちていく。

 涙が枯れるまで私はそうしてずっと俯いていた。

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