十五
お昼休憩の前の授業は一日のうちでもっとも集中力の続かない時間であろう。
今日は特にその様相は酷く、数学の授業が始まっても私は上の空でノートの端をシャーペンでつつくばかりだ。教室内は暖房がきいていて暖かく、眠気を誘われる。教室内を見渡せば、ちらほらと顔を突っ伏している姿も見られる。
数学教師もあくびを噛み殺しながらゆっくりと板書を進める。まじめに授業を聞いている生徒は半分いるかいないか。隣同士で会話をするものもいれば、他の授業の課題を済ませているものも居るようだ。
私はそんな様子を眺めながらため息をつく。
しかし、まぁ学校というのは不思議な場所である。
同年代の少年少女という以外何の接点もない人が同じ室内で勉強をし、暮らす。なかなかに異常な光景であるように思える。殆どの人間はなんの疑問も持たずに授業を受けて、まじめに勉強して、先生の言う事を聞く。
そういう風にするのがいったい、いつから普通になったのか。
よくわからないが、なにか、違和感を感じずにはいられない。
それを悪いこととも思わないけれど、常識の一言で片付けられてしまうことだけれども、なんとなく、気になってしまうのだ。
なんの関係もない同年代の人たちと関わり、関係を持つ中で、部活でもなければ上級生や下級生と関わることは珍しく、広いはずなのに、不思議と閉じた世界。
卒業してしまえばこういった不思議な体験はもう二度とすることはないのだろう。
学校というシステムがなければ、おそらくあの姦しい菅帳と出会うことなどなく、もっと静かな日々をおくっていたの間違いないだろう。本当に不思議なシステムだ。
そうして、決まった年月が経てば、皆一斉にいなくなる。ある日、卒業式という日を迎えたとたんに私達は高校生という肩書きを失って、別の生き物になってしまう。その中身がどうであろうと。
それはなんと理不尽で、不思議なことだろうか。
十九歳と二十歳、たった一日の差で何も買わないのにタバコやお酒が許されるのと同じように。
どうせなら、同じようにたった一日で私が特別な人間になれたらそれはともてすてきなことだと思うのに現実はそう、甘くはない。落葉だって、たったの一日でああなったのではないように、落葉がどんな奇跡を願おうとも落葉が寝て起きて見たら普通の女の子に変わっている、なんてことがないのと同じだ。
だけれど、卒業して、その先、私と落葉はどうなるのだろうか。
例えば、もし、別々の大学に進学したとして、卒業して、その日からぱったりと出会わなくなってしまうのだろうか。それは考えるだけで、恐ろしいことだ。
しかも、その考えは先程までの都合のいい妄想とは違い、いつだってありえてしまう。本当にぱたりとたったの一日で私は落葉を失ってしまう可能性はどこにでも転がっているのだと思うと、ひどく恐ろしくて。
さぁっと顔が青くなるのを感じる。
私の中身は一日で変わったりしないのに、世界だけがたったの一日で、巡るましく景色を変えていく。
自分自身と世界のズレに、ただただめまいを覚える。
ようやく、授業終わりのチャイムがなると、皆気だるそうに立ち上がって、礼をする。
その様子がなんとも、気味悪く私の目には映った。
お昼はあまり喉を通らず、お昼を早々に片付けると私はぺらぺらの薄い進路調査書を眺めてため息を吐いた。なんとも感傷的な自分に嫌気がさす。就職のあてもなく、とりあえずは進学と考えてはいるけれど、そんな風にきめていいものかという悩みは少なからずある、そもそも進学するとして、県内か、県外か、いったいどこの大学に進むのか、決めるべきことは沢山ある。
憂鬱になってプリントを放り出して机に突っ伏していると、もはやお決まりの如く机の端に影が落ちているのが見えた。顔を上げなくとも誰かわかったので、私は突っ伏したまま声をかける。
「どうかしたのですか菅さん」
「なに、なんでわかったの? エスパー?」
驚いたような声で応えるのはやはりというか、やや甘い聞き覚えのある菅帳の声である。顔を上げなくともその表情が大げさに驚き目を白黒させているであろうことは想像に難くない。
「この学校でお昼の時間帯に私に近づいてくる人など貴方以外にはいませんから」
「それは自信をもっていっていいことなの?」
「恥じることでもないでしょう?」
「そういうものなのかしら。まぁそれは置いといて、どうかしたの羽鳥さん、そんな突っ伏して、ていうかまたそんな辛気臭いプリント見て、あぁもう嫌になる」
本当に嫌そうな言葉の響きに、なんだか珍しい彼女の感情の発露に私は少しだけ顔を上げる。
「結局、羽鳥さんは進路、どうするの?」
私は素直に首を横に振る。
「いえ、まだ。ただ、もう少し考えて見ようと思います」
そう答えると彼女は大げさにため息を吐いて見せ、いつものように私の前の人の席を無断拝借すると、行儀悪く背もたれを抱くように座っり愚痴をもらし始める。
「いいわねぇ、本当、羽鳥さんは悩むような選択肢が豊富で」
「選択肢が多いというよりは、択のない問題ですがね」
「選べるだけいいじゃない」
再びため息をつくそのネガティブな様子は、どうにも彼女らしくない。
それほど長くつきあっているわけでもないけれど、らしくないなんて言葉を使ってしまうくらいに今の彼女はどこか暗い、諦めのような、そんな雰囲気をまとっている。その憂いを帯びた表情は、ほんの少しだけ落葉の横顔に似ているような気がした。
「やけにつっかかってきますが、なにかあったのですか」
一応そうきいて見ると、彼女は背もたれに体を預けるようにだれんとしながら、気だるそうに言葉を吐き出し始める。
「ん、もしかしたらあたし、働かなきゃいけないかも、だから」
彼女のその声は、今まできいたこともない位弱々しく、瞳のその色が、言葉以上に事態を重く語っていた。
「進学では、なかったのですか?」
「あたしとしてはそうしたいんだけどね。前にいったと思うけど、家、まだ下に三人いるからさ。勉強半端な私より、勉強好きな下の子達にいいとこ行かせたげる方がいいかなぁって。家はそんな裕福な家庭でもないし。あたしが手伝わなきゃいけないかもって思うとさ」
暗く沈んだ声でいいながらも、彼女は最後に少しだけ、にっこりと笑った。彼女は彼女なりに兄弟達のことを考えて、そういう決断を下そうかと、迷っているのだと思うと。胸がきゅうと縮み上がるようだった。
意外な彼女のそんな大人な一面に驚ながら、私はまた、どうしよもない、逆らいがたい時間の流れのようなものがそこに存在する事を感じた。
「なんか愚痴っぽくなっちゃって、ごめん。でもさ、どうせ選べるなら、後悔のないようにね。月並みだけど」
そう言って彼女は笑ってみせる。どうしたって変化は避けられず、ただ私達は過ぎいく時間を受け止めるしかないのだと、私は、絶望する。彼女のような少女ですら、それに抗うことはできず、ただ諦めるしかない。
それはきっと、落葉も同じで。
その過ぎ去った時間のあと、私は、落葉は、菅帳は、一体どこに立っているのだろう。
もしかしたら私達は想像することもできない場所に立っているのかもしれない、今の菅帳のように。
そうして、たとえそうなってしまっても、私達は、その場所で生きていくしかないのだ。
落葉が、ずっと特別であるように。
眩暈がする。
くらくらくらくらと。
「大丈夫羽鳥さん、顔色すごい、悪いけど」
声をかけらてハッとする。暖房がきいているはずなのに、腹の底から冷えているような感覚があって、体がぶるりと震えた。軽い吐き気と頭痛もする。なんとも弱いメンタルと体に自分のことながら呆れる他ない。
「特別、病気というわけでもないですが。少し、保健室にいってきます」
おぼつかない足取りで立ち上がると、彼女が駆け寄ってきて、肩を貸してくれる、
「あたしもついてくよ」
断ろうかとも思ったが、思いのほか体が重い。私は黙って頷いて彼女の助力を受けることにする。借りが一つできてしまった。
「大丈夫?」
「寝てればなんとかなるかと」
菅帳の肩を借りて何とか保健室までやってきたものの保険教諭の姿はなく、勝手にベッドを拝借して私は横になっている。
「一応体温はかっといたほうがいいかな」
彼女の差出してくる体温計をおとなしく受け取って脇の間に挟む。ひんやりと冷たい感覚に一瞬ぶるりとするが、すぐになれる、しばらくぼぅっと天井を見上げていると、電子音が響き、取り出した体温計が指し示すのは至った普通の平熱だ。精神的に参っているだけだし熱などあっても困るのだが。
「熱はないみたいだけど、相変わらず顔は青いね。ほんとに大丈夫? 枯野さん呼んでこようか?」
「いえ、いいです」
自分でも驚くくらいはやく答えていた。
今落葉に会うのは避けたかった。
あの透き通る目に心の内を見透かされてしまいそうな気がして。別にこの心情を吐露してしまっても、落葉はきっとなにも動じないだろう。私がただ、怖がっているだけだ。落葉の答えを。
離れ離れになってしまうかもしれない事を、ただただ、怖がっている。
離れたくないはずなのにこうして近寄ろうとしない矛盾がとてももどかしい。
「そう……? まぁ無理はしないでね、もう授業始まっちゃうからあたしは教室戻るから、安静にね。書きおきしておいたからそのまま寝ちゃっても大丈夫だから」
「ええ、お手数おかけします」
「友達だしとうぜんでしょう」
カーテンを閉めて彼女は去っていく。友達。まぁ、これだけ顔を合わせればそれくらいの関係でもおかしくないのかもしれない。相変わらず頭がくらくらして思考がまとまらない。震える体を温めようと、布団をかぶり丸くなる。あぁ、どうか、このまま起きたら全てを忘れて何事もなかったかのように日々を過ごさせて。




