一
pixivの方でミライショウセツ大賞第二期に応募していたものの転載となります。
真っ赤な夕焼けの日差しがカーテン越しに部屋の中を赤く染めている。静かな部屋に響くのは紙の音だけで、その部屋には大変美しい生物が居た。
彼でも、彼女でもない、それは他に例えようのない、美しい生き物としか形容できない。
長く伸びた艶やかな黒い髪が、その美しい生き物の浅い呼吸にあわせて揺れる。
本を読むために細められた瞳と、飾り気のない綺麗な爪の指先が文字をなぞる。
色素の薄い肌と、髪の毛と瞳の黒が織り成すモノクロの中、唇の鮮やかな紅が鮮明に浮かび上がる。
細く折れそうな華奢な体を包むのは黒い冬服のセーラー服。
ため息が出るほど幻想的なその生き物は、名を枯野落葉といった。
私の美しい幼馴染であり、友人である。
いかにも女の子の部屋といった落葉の部屋の中、ベッドの上にぺたんと足をたたんで座り手元の本に目を落とすその姿を見つめているのが私は好きだった。
不意に、落葉が顔をあげる。
目と目が、合う。
二人の時だけに見せるどこか気だるげなその瞳で、私を見つめたまま、落葉は口を開く。
「柚子」
ともすれば聞き逃してしまいそうなか細い、ささやくような声。いつもの私を呼ぶ優しい声。
美しく特別な落葉に名前を呼ばれると、特別なところなど何一つない、女子高校生でしかない所の私は、まるで私の名前が特別で美しいものに変わったかのよな錯覚を受ける。それは本当に一時の錯覚でしかないのだけれど。
そんな気持ちを知ってか知らずか、落葉は言葉を続ける。
「私は柚子が羨ましい。私はどうして柚子のような普通の女の子でないのかしら」
聞く者が聞けば、その言葉にはらわたが煮えくり返りそうな落葉の言葉。その本当の意味をしる私はただ、いつもと同じその言葉にいつもと同じ言葉を返す。
「私は落葉が羨ましい。特別で美しい貴方のことが、どうして私は落葉でないの?」
私達は互いに、互いの理想を映す鏡であった。
幼い頃から母子家庭であった我が屋と、同じく母子家庭であった枯野家の母親たちは意気投合し、私達は姉妹のように育てられた。それが原因の一端であったのは想像に難くない。
物心ついたころには互いに既に隣に居ることが普通であるように感じられていた。実に十六年という付き合いの中、喧嘩をすることはあれど私達は互いにいい友人で合ったように思う。
思えば私の記憶の始まりのあたりの落葉はまだ周りと同じ普通の子供であった様に思う。はっきりと落葉の変化を私が自覚し始めたのは多分あのときのことだ。
その日、私達はいつものように私の家で遊んでいたときのことだった。
落葉が悲しそうな顔をしていた事をよく覚えている。小学生にも満たない幼い頃の記憶だからもしかしたら記憶違いであり、落葉は怒ったような顔をしていたとしても、無表情だったとしても、恐らく私はその記憶に疑問を抱くことはなかっただろう。
幼いながらその変化に気づいた私は落葉に「どうしたの?」と尋ねた。
落葉は答えた。まだ幼い子供にしては覚悟を、なにか重大な決心をしたかのような重い沈黙を持って。
「女の子に、なりたい」
私は黙って落葉に私の服を貸してやった。女の子の服を纏った落葉は私よりも可愛くその服を着こなして見せた。以来落葉が男物の服を着ているところを私が見た回数は、恐らく片手で足りるはずだ。
私服での登校であった小学校時代でも奇異の目で見られることが当然であった落葉はやがて中学にあがり、私も同じ中学に上がった。流石に指定制服がある中学ならと落葉の母は思ったようであったが、落葉は断固男物の服を着る事を拒絶し、せめて入学式くらいはとなきつく言う落葉の母を知り目に、私と制服を交換し、セーラー服で中学校入学式の壇上に立ち、見事な挨拶をして見せた。落葉は成績優秀で、またとても頑固であった。
そんな落葉の存在は当然、小さな片田舎のこの街では異端として映った。
美しいその容姿に嫉妬するもの、奇異の目で見て避けるものもいれば、逆に落葉のその美しさや生き様に惹かれ眺める者も、男女問わず少なからず居た。
高校に入学してもそんな風変わりな面々は根強く落葉を追いかけてきたようで、秘密裏に謎の会を立ち上げて落葉の事を見守っているらしい。まことに気持ち悪いストーカー集団ではあるがその気持ちはわからないでもない。私も落葉の友人であり、幼馴染でなければ同じようにそっと遠くから眺めることしかできなかっただろう。近寄りがたい神聖さが落葉にあった。
枯野落葉という、かつて、人生のほんの短い一時を男の子として過ごした生き物は、いまや、男とも女ともつかぬ、美しい生き物としてただそこにあった。それはとてつもなく特別で、一種、宗教に近い崇拝をこめて、私は落葉を大事に思っていた。
私もそれだけ落葉の近くにいれば、嫉妬や奇異の目で見られることは日常茶飯事であり、落葉に物言えぬ臆病ものどもは大挙して私の元に訪れてきたが、私が意に介さぬ風で居るとすぐに散り散りになっていった。なにやらストーカー集団が裏で手を引いてくれていこともあったようで、少しだけ彼らの事を見直すこともあった。
世界は酷く狭く、特別でない所の私は、ただその狭い世界の中、特別であるところの落葉と身を寄せ合って日々を過ごしていければ、ただただ満足であった。
私、羽鳥柚子、十六歳高校二年生の世界は、そんな風に視界の届く範囲の約七十パーセントは、枯野落葉という美しい生き物によって埋め尽くされていた。
残りの三十パーセントは語るほどでのものでもない、普通、に満ち溢れている。
私達が通う高校は公立の高校であり、特別進学校であるとか、名門であるといったこともない、県内では中堅の緩い高校である。
とはいえ、私達の住む田舎にはそもそも高校なんていうほど多くもなく、通学範囲を考えれば片手で足りる程度の数になる。
家から近いからといった実も蓋もない理由で選んだこの学校にはそれなりに見知った顔も多く、落葉のことに関してトラブルに巻き込まれることはそれほど多くない。中学にあがったときは色々あったものだが、この田舎町において落葉の存在は都市伝説のように広まっており、触らぬ神にたたりなしとばかりに、その存在に触れようとする者はもうあまりいない。
海と山に挟まれたこの田舎街、ふと朝の登校時に周りを見渡しても視界に入るのは老人と我ら学生ばかりであり、その数は少ない。テレビでみる都会の雑踏はどうにも作りものめいて見えてしまう。少し電車に揺られれば一応、買い物ができる程度の繁華街はあるものの、私も落葉もあまり街の方へは出向かない。家事を引き受ける身の私としては買い物は身近なスーパーで済ませるのが最良策である。やはり、テレビなどでみる、激安スーパーのように商品は安くはないものの、利便性においてこの店に潰れられると非常に困るのである。
落葉に関してはそもそもこの街の店とも、繁華街の店にも特に用はない、せいぜい私と一緒に食材を求めてスーパーにいく位だろうか。
落葉が求めるような商品はもっぱら、休みの日に長時間電車に揺られ、近隣の都市まで出向き専門の店にいって買うか、あるいはネットで通販によって取り寄せるかの選択肢しかない。落葉がそうして手間や時間をかけて買い求めるのは大抵、服やアクセサリーといった小物だ。可愛らしいフリルのついた華美な服や、時には正反対シックな服まで、ともかく自分を着飾ることに落葉は余念がない。それはどこか病的で、何かに駆られるかのように、落葉は頻繁に服を買い求める。
当然他にそのような服の供給ラインはこの街にはないので落葉が私服姿で出歩けば人の目を引く。そのくせ落葉は目立つことを不快と吐いて捨てる。落葉はいつも私にいう、普通でありたいと。柚子のように普通で可愛い女の子になりたいと。私が可愛いかはさておき、そういう癖に落葉は自らのその服装を正そうとはしない。少しでも可愛く、女の子らしくあろうと、自らを磨く。どうしようもない矛盾に落葉はいつも難しい顔をしていた。
少し想像してもらいたい。
田舎の道、田んぼや畑の続く道でも、海沿いの木々の生い茂る道でも、古い平屋の民家が点在する道でもかまわない。そこに腰ほどまである長い黒髪に美しい顔を縁取らせ、ふわふわと広がるロリータ衣装に身を包み、日傘をさして歩く、小柄な人影の姿を。それが枯野落葉という生き物である。
そんな生き物が住むのは町外れの小さなアパートである。
少し年季の入ったその建物の二階の二部屋を落葉が一人で使っている。
高校入学を機に落葉は親元を離れて一人暮らしをはじめた。
対して私は住宅街の立て売りの一軒屋に母と二人で暮らしている、とはいえ、母は仕事に忙しい人なので、落葉と生活のスタイルはさほど変わらない。
このあたりの住宅街は町が移民を期待して整備されていたようだが、こんな田舎町に好き好んで引っ越してくる人間などそういるわけもなく、土地や住む人のない建物がぽつんと取り残されてもう数年放って置かれている。我が家から徒歩三分ほどでたどり着く公園に至ってはろくな利用者も居ないまま鉄棒は錆付き、利用者も居ないのに危険だからという理由で回転遊具は撤去された。なんとも、まぁ。
そんな私の家と落葉の住むアパート、高校を線で結ぶと、落葉のアパートの方が高校に近い。登校は落葉の家の前で落ち合い、帰りは落葉の家によるか、その手前の分かれ道で別れる。大体そんな感じ。その繰り返しの日々にもたまには刺激があるもので。