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戸守華菜にとって、初めての大学は最悪なものだった。まず真っ先にあった三人組。あれが樋田一流の言う『大学生』なのならば、学校など行かなくて良かったと思う。
それに進級手続きとかいうものがあると、樋田一流は華菜を放置し小さい教室に入ったきり出てこない。教室の前のベンチに座り、もうすでに五分もたった。華菜は待たされるのが大嫌いだ。特に何もすることが無い状態で待つことは耐えきれない。
辺りを見渡す。進級手続きというのは三日間あるらしく、今日はその最終日と聞いた。また四年生が卒業し、新入生の入学もまだ少し先なので、そのせいか学生はかなり少ない。それでも登校している大学生はみんな大人っぽく見えた。
私は大学生に見えているだろうかと、華菜は自分の格好が気になりだす。一応大人っぽい服装に、杏樹お姉ちゃん直伝の大人メイクとやらをしてみた。それでも自分は大学という空間に溶け込めているのかが気になる。
よし、っと華菜はベンチから立ち上がる。せっかく初めて大学に来たのだ。あんな冴えない糞野郎のお世話係などやっていられない。自分が大学生になれているのかを確かめることも兼ねて探検としゃれ込もうじゃないか。いや、探検なんて子供っぽいか。では見学だ。社会科見学。
大学は主に六つの棟に分かれている。それぞれの棟は円を描くように建っていて、その中心には中規模の広場がある。教室が多いのは一号館と六号館。四号館はサークル専用の部屋が用意されているらしい。二号館は十階以上の高層ビルで、主に先生の部屋があるらしい。そしてその最上階には都心を一望できるレストランがある。大学にはレストランもあるのかと、華菜は驚きを隠せずには居られない。
華菜はサークル棟の四号館屋上から広場を見ていた。そこでは学生バンドが練習をしていたり、多分映画サークルらしい人達が撮影をしていた。近くの喫煙スペースでは先生らしき人と学生が談笑している。
華菜は単純に凄いと思った。大学とはこんなに自由で、驚きが詰め込まれた場所なのかと。しかも今は春休み。四月になったらどれ程の活気に満ち溢れるのだろう。杏樹お姉ちゃんが言うに、四月からは華菜もここに通うらしい。胸の高鳴りを感ぜずにはいられない。
「あら、あなたは新入生?」
「ひゃっ!?」
突然背後から女性の声がして、華菜は跳ねあがる。
「ごめんなさい、驚かせてしまったみたいね」
振り返ると、そこには黒い髪をたなびかせたそれなりに綺麗な女性が立っていた。美人ではある。だがその格好。だぼだぼのTシャツにジャージのズボンと、まるで部屋着姿。
「あっ、この学校の人……ですか?」
この煌びやかな大学にこんな人もいるのかと、華菜は俄かに信じられなかった。いや、そう言えばあの変態トリオがいたか。
「そうですよ。私もこの大学の学生です。生来と言います」
生来は深々とお辞儀をした。するとだぼだぼのTシャツの隙間からたわな二つの丘が見え、女性ながら華菜は恥ずかしくて目を背けた。
「あなたのお名前は?」
「は、はい。私は戸守です」
「トモリさんね。なんだか校舎をうろうろしてたみたいだけど、トモリさんは迷子かしら?」
「いえ、ちょっと見学しようかなと」
「そうですか。何か見つかりました?」
「見つかった……ですか?」
その言葉に少々違和感を覚える。考えすぎなのかもしれない。でも、何かが。
「気をつけてください。見つけることに夢中になると、何かを無くしてしまうこともありますよ」
「どういうことですか?」
おかしい。やっぱり。最初から違和感はあったんだ。まだ登校日ですらないのに華菜を新入生かと聞いたこと。校舎をうろついていたのを見ていたこと。
「ヒダイチル君は今どこでどうなっているでしょうか」
「あなた、誰?」
生来は徐々に後ずさりをしていく。それと同じ速さでじりじりと華菜も歩みを進める。
「私は生来です」
「そう言うことを言っているんじゃない!!」
華菜の強い言葉に慄いたのか、はたまたつまずいたのか。生来は体をよろめかせながらフェンスに背中をうちつけた。
「気をつけなさい。彼は『こちら』と『むこう』を繋ぐ大きなカギです」
「は?」
そう言葉を残すと彼女は屋上から飛び降りた。咄嗟の事に動揺しながら華菜はフェンス際まで猛ダッシュする。だが下には生来の姿がなく、街路樹や近くの民家にも彼女が落ちたらしい形跡はなかった。
オーダーの工作員、だろうか。それにしては不思議な感じがした。
気にはなるが、今はあの糞野郎を探さねばなるまい。アイツが大事? 笑わせてくれるな。小さくため息をつくと、華菜は駆け出した。