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頬に鋭い衝撃を受け、一流は飛び起きた。
「起きたわね」
一流のすぐそばで膝立ちした女性が、二撃目を加えようと振りかざした右手を収めながら言った。
「あの程度の打撃で気絶するあたり、本当に能力には目覚めてないみたいよ、華菜」
「いやっ! ……でもお姉ちゃん、確かにこいつは目覚めてるの。間違いないの!」
お姉ちゃんと呼ばれたその女性は、セミロングで艶やかな黒髪をかきあげ、小さくため息をついた。
「まあ事情が事情なだけに、何かしらイレギュラーが起こってるんでしょ。少し様子を見ろと本家も仰っていたわ」
「本当に!? 私はどうもこいつが嘘ついてようにしか見えないんだけど」
華菜と呼ばれた少女は蔑むような目で一流を一瞥する。
「てめえの馬鹿力で気絶させといてその言い草かよ」
そんなこと言われたら嫌味の一つでも言いたくなる。手を出さない分、とても文化的な攻撃。脳みそまで筋肉な女とはまずデキが違うのだ。
「あ、あれは不可抗力だし。そもそも女のパンチ一発で落ちるほど軟弱な奴が悪いんじゃない?」
「んだとぉお!?」
やっぱりぶっ潰してやろうと思った。
「それくらいにしておきなさい」
一流と華菜の頭に女性の手刀が落ちる。二人とも少々怯むも、女性を挟んでまるで猿と犬のように唸り合った。
「もう……。そうだ、あなた達仲良くなってるけど自己紹介くらいはしたの?」
「はあああ? 仲良くないしそもそもコイツに名乗る名前なんてないんだけどおおお?」
「お前は喧嘩売るのが仕事なのか? もう疲れてきたわ」
「はいはい。私は外間杏樹。杏樹さんて呼んで。それでこの子は外守華菜」
「あんたは華菜様って呼びなさいよ?」
「絶対呼ばない。俺は樋田一流です。よろしくおなしゃす」
簡単な自己紹介の後、一流達は杏樹の提案で食事をとることになった。部屋に備え付けられた掛け時計をみると針は午後二時を過ぎたあたり。丁度腹も空いていた。
少し遅い昼食は百道が作ってくれた蕎麦を食べた。濃い麺つゆと太い麺の風味がシンプルで奥ゆかしい味を作り上げている。聞くに蕎麦は百道が打ったらしい。気づけば一人で三人前を食していた。
「相変わらず美味しかったわ、スミノフ。ごちそうさま」と杏樹は美しく微笑んだ。箸使いや蕎麦を音も出さずに食べる様子もそうだったが、この人は随分礼儀正しい。よほど親が厳しかったのだろう。
「ごちそうさます。美味かったす! てかスミノフって誰すか」
一流の素朴な質問に対し「エロジジイのことよ」と華菜が素っ気なく返す。
「いやいや、満足頂いて良かったですわ」と満面の笑みでスミノフ、もとい百道炭野心は答えると、食器を洗いに台所へ向かった。
「ふー。では改めて。一流、あなたには選択肢が幾つかあるの。そのうち最も有力な二つを提示するので、急だけど選んでちょうだい」
「いやいや、待ってください。俺まだ自分の置かれた状況ってのをいまいち理解できてないんすけど」
満たされた腹を撫でながら、ざっと状況を整理してみる。まず、三日前くらいの夜に光が落ちてきて気絶。そして入院。しかしオーダーと呼ばれる秘密結社に拉致される。が、外村家にさらわれ今に至る。
今までの経過で聞いた言葉。地球を守る、人々を守るという目的。そして『力』。
うん、やっぱり分からない。
「外村家とORDERの対立については聞いた?」
「対立してるんすか?」
華菜達がオーダーの秘密基地をわざわざ強襲した理由はその対立のせいでるのならば、一流はその対立の真っ只中に立っていることになる。両者が一流を奪い合う程の理由。それは華菜が散々言っている『力』のことなのだろうか。
「ああ、そこからなの。まっ、その顔は入口辺りまでは察せれたようだし、追々ってことで」
「アバウトっすね」
「私達は本家の人間と違ってみんなちゃらんぽらんなのよ。こんなこと一流に言ってもしょうがないけど」
「よく分かんないすけど、本当っすね」
「君、友達少ないでしょ」
大声で笑いながら杏樹は息をするように、ごく自然に毒を吐いた。
「それなりにいますけどぉ!」
確かにいる。だが深い交友関係を築いた友人は、多分、いない。授業は一緒に受けるけれど、それ以外は干渉なし、といった具合。友人の定義は人それぞれだろうが、一流にとって彼らは友達以外のなにものでもない。それは良い意味でも、悪い意味でも。
「あはは。面白いな一流は」
「もうこの話はお終いにしてくださいよ」
これ以上話を進めると自尊心を壊しそうだ。
「それより選択肢てなんなんすか」
「簡単なことよ。今死ぬか、私達に監視されながら元の生活を続けるかね」
「いやいやいや……。それ選択肢なんてないじゃないすか。それにどっちも選びたくないっす」
「そうなると最悪この世のものとは思えない苦痛を味わいながら死ぬこともできずに半世紀は弄ばれることなるけど」
漫画で聞く様な脅し文句を並べられると、チープな劇を見ている様な感覚に陥る。劇中にいる彼女達はいたって真面目なのだろう。しかし蚊帳の外にいて、更に『普通』に慣れ親しんだ一流にとって、その範囲外の出来事はすべて稚拙なフィクションであると脳内で自動的に変換されてしまうようだ。
一流は一回だけ小さくため息をつくと、口を開いた。
「俺が危ない状況にいるのは何となくわかるんすけど、正直実感がないというか、迫ってくるものがないんすよね。杏樹さん達が俺をどうこうするとも思えないし。まあ、あのORDERって組織のボスは頭おかしそうでしたけど」
「危ないって分かってるなら、とりあえず私達に監視されなが生活しなさい。別に二十四時間トイレから風呂場まで監視するわけじゃないし、後のことは後で考えればいいのよ」
身に危険が迫っているのは事実であるし、この状況を理解できない一流にとって、関係者と行動を共にすることはデメリットよりもメリットの方が多い。
合理的な判断ではあるだろう、しかし……。
「……納得はできないすけど、多分今はそれが一番いいんでしょうね。じゃあ、俺を守ってください。おなしゃーす」
一流は喧嘩で用心棒を雇った様な気軽い返事を意図的にした。今は様子見の時。どこまで思考が届いているかを悟られないよう、学生の軽いノリを演じる。危ない橋を渡るのだから、ある程度杖は必要となってくるはず。無知さを曝け出した方が情報も入ってくるだろうし、何より相手の油断を誘える。
それが一流の無い脳みそをフル回転させて導いた結論だった。
「交渉成立ね。じゃあ一流の家は今日からこの隣の部屋だから。もう家具も移しといたからね」
「え?」
「後、華菜。あんた明日から一流と大学通いなさい。ボディーガードとして」
「はっ?」
「全部本家の指示だから。じゃあ後はよろしく、スミノフ」
「合点承知の助」
一流と華菜は顔を見合わせる。華菜はみるみる鬼の様な形相になり、ずかずかと大きく足音をたてながら無言で杏樹の後を追いかけ部屋を後にした。
一流はと言うと、華菜の背中を茫然と見送ったあと、すぐ我に返り走って隣の部屋へ移動した。家具をすべて移動したということは、つまり教育上よろしくないのおもちゃと漫画が危険に曝されているということではあるまいか。
部屋に入ると、元の部屋と変わらぬ配置で家具が置かれていた。そして部屋の真ん中に置かれた小さなテーブルの上に、綺麗にラッピングされた袋が置いてあった。
恐る恐る手に取ると、メッセージカードが挟まれていることに気づく。
この時点でアンダーシャツは冷や汗で肌に張り付いていた。
メッセージカードを手に取る。それは二つ折りにするタイプであった。意を決してそれを開く。
『少女から熟女まで、随分範囲が広いのですね^^でも中学生ものが多いので、お姉さん少し心配です^^;』
「んあああああああああああああああああああああああ!!!」
かくして、外村家に監視される日々が始まった。