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「ぐどもにーん」
「のわああああああああああ!?」
抑揚のない女性の声が大音量で部屋中に響き渡る。最悪の目覚め。耳鳴りを我慢しながら一流は辺りを見回す。天井からまたモニターが下りてくるのを見た時、自分の置かれた状況を思い出し辟易した。
「おはようヒダ、イチル君」
画面の向うには眼鏡をかけた若い女性の姿があった。この場所にきて初めて人の顔を見るわけだが、黒く長い髪をたなびかせ、それなりに美人であったので、一流は少々気分が高揚した。
「お、おはようさんです。貴方は、その、どなたっすか?」
「私は生来と言います。研究者です。主にヒダイチル君の体調管理を任されています。よろしくお願いします」
生来は画面越しに深々とお辞儀をする。「あ、これはご丁寧にどもっす」と慌てて一流も頭を下げる。
「早速ですが、診察しますね?」
よく見ると生来は白衣の下に首回りがだぼだぼなTシャツと、結構セクシーな格好をしている。カメラの前に置かれているであろう書類を覗き込むたびに、胸元が――
「体にどこか不調はありますか?」
「はいっ!?」
はっと我に返る。あ、危ない。このスケベ心でよく大学でも女学生に嫌な顔をされたことがあるのだ。画面越しでよかった。
「あるんですか?」
「あ、え、お、うーん。と、特にはないっす!」
「そうですか。ではこれでお終いです。お疲れ様でした」
「え? もう終わりなんですか?」
あまりのあっさり具合に素っ頓狂な声をあげた。
「はい。他に何かありますか?」
「いや、もっと熱測ったり聴診器あてたりとか……」
「必要ありません。では」
「ちょっ! まってまって。本当にっすか? 本当に何もしないんですか?」
別に大人の診察とかを少し期待した分けでは無いが、そう前置きをすると如何にもな感じになるが断じてそうでは無く、ただ単に本当にそれでいいのかという純粋な疑問であったわけで、別にそんなんじゃない。本当だ。
そんな一流の様子を見て、生来は面倒くさそうに溜息を吐いた。
「もう、なんですか? いいかげん――」
何か画面の奥が騒がしい。怒声や、何かが壊れたような音もする。生来もそれに気づきふっと顔をそちらに向ける。刹那、画面から生来が消える。いやいや違う、消えたんじゃない。多分何かの衝撃でカメラが吹き飛んだのだ。
あまりに唐突な出来事に半ば放心状態でいると、画面の向うの喧騒は段々と収まってきた。そのおかげで耳を澄ませば人の会話程度なら聞こえる様になっていた。男と女の声。モニターがどうの、カメラがどうこうという言葉が聞き取れ、その声は徐々に近づいてきた。
「あっ、いた! コイツじゃねえですか?」
全身黒ずくめの、まるで忍者の様な頭巾をかぶった雄々しい声の男が、カメラを覗き込むやいなや銃弾が弾ける様に叫んだ。
「ちょっとどいて」
今度は高校生が着用する様なブレザーを着た女の子が、男を押しのけカメラを覗き込む。こっちの子は顔を隠してはいない。染められた茶色いショートの髪が快活さを醸し出している。顔は幼いが数年後もうちょっと化粧を覚えればきっと美人になっているだろう。
「んー、多分そうみたいね。これってどこの部屋よ?」
「分かりませんな。取り敢えずそこらへんのドアっぽいの全部斬ってみますわ」
「よろしく」
画面の外を向き二、三度言葉を交わしたかと思うと女の子は「そこのあんた!」と急にこちらに向き直った。「は、はい!?」と上ずった声を一流が上げると「危ないから端っこに寄ってて。死ぬわよ」と、今後の行動が命に関わるという旨の言葉をさらっと言った。
それはまるで英語の挨拶のような、自然だけれど日本語に馴染んでいる自分たちにはどこか現実味の無いような、そんな言葉だった。そして言葉の意味を頭で整理し意味を見出す、そのたったコンマ数秒の間に、一流の目の前にあった壁がまるで積み木のように崩れ去った。
百聞は一見にしかずとはよくいう。確かに言葉だけより見た後ならよくわかる。女の子の言葉の意味も。これは確実に死ぬ。
「いたぞー!!」
目の前で声を張る黒ずくめの男は画面で見るより体格がいいような気がした。
「よっし、さっさと連れて帰るわよ!」
そしてそれより大分小柄な女の子は、一流に近づいたかと思うと、一流の体を片手で抱き上げ肩に担いだ。
「えっ、えっ?」
「いくわよ、脱出!!」
「よしきた、煙幕!!」
あ、また粉っぽい。そう思ったがその『また』がいつの事なのかはよく覚えていない。そして次の瞬間、信じられないくらいの圧が腹部ににかかり、痛みと圧迫感で訳の分からないまま一流は失神した。