4-1
一面に広がる花畑。数日前に来た時とは打って変わり、今回は星空きらめく幻想的な夜であり、靄もなく今は花の香りでさえ感じ取ることができた。
以前と違うことはまだある。その花畑の中心に場違いな様々な装飾がなされた仰々しい椅子があるということ。そしてその椅子にはだれも座っていないのだが、確かにそこに人の存在を感じられた。輪郭があるのに、中身が無いような、例えるなら幽霊と言った方が近いかもしれない。
「今日は気持ちの良い夜だ。力の高鳴りを感じる」
声を聞いたとき、その存在が以前会った女性であると確信が持てた。
「確かに綺麗だわな」
こんな幻想的な世界であるのに月は一流達の世界と変わらず一つだ。その柔らかい光も変わらない。
「ほう、もう会話が成り立つか」
「え、聞こえてんの?」
椅子の軋む音が静かな夜に小さく響く。この世界は一流の中でどんどん現実味を帯びてきている。彼女が地面を踏みしめる音、そよ風が頬を撫でる感覚。現実世界とはまだまだ程遠いが、それでもこれを偽物とは思えない自分がいる。
「声は若いな。貴様らの世界の学校は沢山の種類があると聞くが、貴様はまだ学生というやつか?」
「ん、ああ。大学生だ」
「そうか。ケンタロウがこの丘に初めて来たときはまだ高校生だった。あの男とはたまにこうして空を眺めた」
「そのケンタロウってのは俺達の世界の人だよな? こっちの世界に住んでいたのか?」
「なんだ貴様、ケンタロウに会ったわけでは無いのか?」
「いや、会ったんだろうけど。でも殆ど記憶が無いんだわ」
「ふむ。多分契約の後遺症か。力が徐々に貴様に馴染んできているのも分かるし、記憶も蘇ってくるだろう」
また椅子が軋んだ。空には薄らと雲がかかり始めている。
「質問に答えよう。ケンタロウは貴様らの世界の人間だ。ケンタロウは私と契約し、その繋がりに誘われてよくこの世界に顔を出していた。そして何故そうなったかはよく分からんが、今私と契約関係にあるのは貴様だ。だから私と繋がりが生まれ、この世界に迷い込んだわけだ」
「俺はアンタと契約した覚えがねえし、ケンタロウらしい人と会ったおぼろげな記憶も正直まだ夢かもと思ってる。それに俺の周りの奴らも力、力って言うんだが、俺に変な力なんか無いんだ。契約とか間違いとかじゃないのか?」
「自分では気づかないだろうが人は劇的に変わるものだ。契約については何より私との繋がりが証拠だ」
自分の気づかない変化。確かに大学生なってからいつの間にか女友達ができていたし、体重も二キロ位増えた。その変化を他人に指摘されたり数字で見るまでは自分では分からなかった。しかしそれはそれ、これはこれ。超能力なんていう通常ありえない劇的な変化ならば自力で気づけるはずだ。
「信じられないのならば時期ではないのだろう。知ることにも天のさだめがある。そのうち嫌でも分かるだろうさ」
「そんなもんか、っては納得できないな」
「面倒くさい奴だな、貴様。所変われば常識だって変わる。貴様は自分の中の『世界』を信じすぎている」
「はあー。もう最近分けわかんないことが多すぎてさ。でも世間知らずとかそういうベクトルの話でもないからどうしようもできないし。正直疲れるんだわ」
顔も見えない他人だからか、はたまた神秘的なこの世界にあてられたのか、一流は普段他人には見せない弱みを曝け出していた。一流はもう二十一歳になろうとしているが、まだ自分の心を完全に曝け出せる相手に出会えていない。どこかで人を疑っている。だが一流の世界とは別の世界であるここでなら、少し開放的な気持ちになれるようだ。
「ケンタロウに言わせれば、滝つぼには飛び込んでから考える、だ。まだ貴様は運命という河に流されているだけだが、そのうち滝に出会うだろう。その時考えながら飛び込むと下に岩があっても反応に遅れるだけだ。流れに逆らわず、目の前のことに集中し、滝つぼに落ちたら考えればいい」
「いやいやいや。それだと息が続かねえじゃん」
「その時は黙って死ね。そういう運命だっただけだ」
「ばっさりっすね」
「割り切ることも長生きのコツだぞ」
花畑の更に遠くがほのかに明るくなっていく。雲と空が黒から青、赤へと移り変わっていく。朝露が草花に艶をつけ始めた時、「そろそろ時間か」と女は言った。
「そうだ、まだ名乗っていなかったな。私の名前はヴァルグニ・カリエリティ。親しい者はヴァティと呼ぶ。貴様は?」
「ああ、ご丁寧に。樋田一流だ。友達にはイチルとか樋田って呼ばれてる」
「ふむ。イチルか。しかし貴様の様な性格でも友人は作れるとは」
「んだとゴラ!!」
「はっはっ、冗談だ」
不意に椅子が消え、一流は目を見張った。まるで魔法を見ているようだ。
「また会おうイチル。今度はお互い目を見て話せればよいな」
唐突に強い風が吹き抜け、丘の花が全て舞い上がった。その花が空間を全て包み込み、渦をつくり、何もかもを吸い込んでいく。
「――ほわっ!?」
いつの間にか一流は自分の部屋の布団の中にいた。冴えてしまった目で枕元の携帯電話をいじる。時刻は午前二時半を過ぎたところ。先程別世界で夜明けを迎えた一流にとってそれは不思議な感覚だった。
しかし携帯電話を投げ出し布団の中で静かにしていると、徐々に意識は遠のいていった。