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一流が吹き飛ぶほどの衝撃であったのに、室内の壁や床は傷一つ付いていなかった。反面家具へのダメージは甚大と言っていい。ガラクタとなったそれを片付けるのはとても虚しい。
「ここの強度は一応私達基準で作ってあるから大丈夫として、まあ……」
言葉を濁すと杏樹は辺りを見回し、同情の目を一流へ向ける。
「で、何がどうなって裸の女が部屋にいたのよ」
便宜上夕夏と呼ぶが、数十分前まで子犬であった彼女は、今は一流の普段着を着用し、まるで犬の様に振る舞いながら窓の側で外の様子を眺めている。
「だから何度も言ってるようにグラビア見せたら光って爆発したんですよ!」
丁度拾った雑誌の、葉山夕夏のグラビアページを開くとそれを華菜に見せつける。
「ううん、見れば見る程瓜二つ。俄かには信じられんぜこれは」
夕夏とグラビアページを見比べながら百道は感嘆の溜息をついた。
「とにかく!」
華菜の手を叩く音が部屋に響き渡った。
「こいつは何なのかと、こいつをどうするかよ!」
華菜達でさえ分からない夕夏という存在。爆発したかと思えば子犬から人間に変身するなんて、妖怪か宇宙人か、はたまた未知のモンスターだったり。
「ぐるるるる!」
華菜の手の音に驚いたのか、夕夏は窓から目を離すと体を低姿勢にして敵意をむき出しにする。
「ほれ夕夏、落ちつけ。大丈夫だ」
「ぐるる。……わんっ!」
しかし一流に対しは存外従順だった。先程も意識朦朧とした一流を気遣う仕草をしていたし、何より他の三人と一流に向ける表情には明らかな差があった。華菜はそれが嬉しくないようだ。まあ元は自分が拾った子犬だし、自分に懐かないのは確かに不本意だろう。
「そうね。エロのスミノフは論外として、華菜は子供だし、一流はロリコンだし、消去法で取り敢えず私が預かるわ」
「色々言いたいことはありますけど取り敢えず妥当じゃないですかね」
杏樹は夕夏の前に行くと、屈んで彼女の頭を撫でた。一応十四・五歳の少女の容姿をしているのだが、どうにも犬の様な仕草から撫でたくなる。よく考えれば犯罪手前の恐ろしく危ない絵面だが。
「じゃあ夕夏、私と一緒に来なさい」
「わん?」
きょとんとした表情で首を傾げる夕夏を見て思わず杏樹は「んふっ」と小さく声を漏らした。凛々しい杏樹も愛らしいものには弱いらしい。杏樹は思わず夕夏の頭を撫でた。
その直後、買ったばかりの携帯電話が鳴った。音に敏感なのか、夕夏はまた体をビクッと震わせる。携帯電話は瓦礫の下に隠れる様に落ちていた。多分電話がかかってこなければ更に発見が遅れていただろう。
埃を軽く払うと、ディスプレイを見た。非通知の表示がされている。不審に思いつつも応答ボタンを押した。
「もしもし?」
「ついに扉と鍵が揃いましたね」
「は?」
聞こえてきたのは穏やかそうな、しかし殆ど抑揚のない女性の声。
「おい、あんた誰だ?」
夕夏が現れたタイミングで非通知の電話。意味不明な言葉。あまり察しの良くない一流でも分かる。夕夏について、一流について、何かしら知っている人物からの電話だ。
「用心することです。これから先、退屈な人生は歩めないでしょう」
「なんでこう話の通じない奴ばっかな――」
切れた。
「あああああ! 何なんだよ!」
一流は携帯電話を布団の上に投げつけた。しかし新品だという事を思い出して慌てて拾った。瓦礫に埋まっていたせいかフレームに細かい傷出来ていたので、かなり気が滅入った。
「どうしたの?」
怪訝な顔をした杏樹に一流は言葉少なめに電話の内容を伝える。
「鍵と扉ねぇ……。文字通り鍵と扉なのか、何かを指しているのかは別として、夕夏はそのどちらかってことになるわね」
「そう言えば私も大学で変な女の人に会ったわ。名前は確か生来って言ってた様な気がする。樋田のことを鍵がどうとか言ってたわ」
「生来!? 俺ORDERに監禁されてた時にその人に会いましたよ! そういえば喋り方もどことなく似てた気がするっす」
「ORDERの息がかかってるってことになると、少しややこしくなるわ。結局私が夕夏を預かることには変わりないのだけれど」
一流達は夕夏のことを愛らしい少女として見ることが難しくなっていた。純真無垢な目で全員を見る彼女は、とても何か使命を帯びて一流達に近づいているとは思えない。しかしもし、というその疑念は彼女への不信感へ変わっていく。
「おいらにゃコイツがORDERとか外村とか、そういった類の使い走りには思えないぜ。確かに不思議生物ではあるがぁ、少なくとも獣とか人間の、ある種の殺気だとか悪意は感じねえしな」
「とりあえず今は害もなさそうだし様子見。なんだか色んなことがダムみたいにせき止められている感じ。何かの意図を感じざるをえないわね」
小さく溜息をつく杏樹を尻目に、大きく欠伸をした夕夏はそのまま瓦礫の上で丸くなり、すやすやと寝息を立て始めた。
ふと今朝の星占いを思い出した。人とのトラブルに注意。部屋の惨状、そしてそこに集まる人たちを見て、一度お祓いにでもいこうかと力なく笑った。