2-4
一流が華菜を見つけたのは、進級手続きが終わって早三十分が経とうとした時だった。彼女の行動力に半ば呆れつつ校舎内を捜索していると、大学真ん中に位置する広場に彼女の姿はあった。周囲を見回りながら足を動かしている辺り、向うも一流を探していたのだろう。
「おーい」
捜索中に校内の売店で買ったアイスの入ったレジ袋を掲げながら、一流は華菜を呼んだ。華菜は一流を視認すると、表情も変えず早足で近づいてくる。
「探しましたよ華菜さ――」
刹那、目にも留まらぬ速さで右拳が一流の頸をかすめる。その鋭い衝撃は視界を激しく揺らす。膝が笑う。
「んんぐうう」
一流は歯を食いしばり、なんとか痛みに耐え意識を保った。どうだ、この三日間の成長が垣間見えるだろう。
「ななななにするじゃボケがぁ!!」
「よく耐えたわね」
当り散らしてやろうと華菜を睨み付ける。しかし気付くと華菜は随分汗をかいているようで、息も少し上がっていた。
「……なんかあったんすか?」
「何もないわよ」
そう吐き捨てると、華菜は広場に設置してある長椅子に腰を下ろした。一流も何ともなく彼女の隣に座る。
広場は校舎の立地の関係でよく強いビル風が吹く。しかし今の彼女にはそれは心地いいようで、目を閉じ風を楽しんでいた。そんな姿に一流は悔しくも少しいいなと思った。二十歳にしてほぼ恋愛経験ゼロの一流は、自分は簡単な奴なのだと感じ、そしてその気持ちを振り払いたいと思い、口を開いた。
「そうだ、アイス買ってきたんすよ。食べます?」
「何味?」
「ゴリゴリ君コーラ味とソーダ味っす」
「ソーダ」
春の、まだ肌寒い時期に食べるアイスというのもまた美味かった。華菜の機嫌もいくらか治ったようで、ほっとする。
徐に腕時計を見る。時刻は十二時過ぎ。そろそろ次の用事の時間だ。
「華菜さん、学食行くっすよ」
「ガクショクって、学生食堂?」
「そーっす。うちの大学の学食は美味いんすよ。華菜さんも食ってみてください」
「ふーん。まっ、期待してるわ」
学食は六号館の地下にある。主に六店が軒を連ねるが、今は春休み中のためカレー屋と鉄板屋しか開いていない。だがどちらも五百円で結構な量を食べられ、しかも味はかなりいい。正に学生の味方だ。
「わ、私ちょっと選んでくるわね」
「じゃあ俺はここで荷物番してます」
少々不機嫌そうな顔を作っていた華菜だが、態度と声色に明らかに気分の高揚が見られる。結構楽しんでるじゃないかと一流は少し笑った。
華菜が昼食を買いに行っている間に一流は朝作っておいた弁当を取り出した。華菜にだけ学食を食べさせ自分は弁当持参とは如何かと思ったりもしたが、今月はバイトも辞めてしまったし節約せねばならないという止むを得ない事情がある。
「何だあんた弁当あったの?」
「ちょっと今月ピンチで」
「ふーん。私のカレーはあげないわよ?」
そう言って隠す仕草をしたが、お盆に乗ったそのカレーは女子学生が通常二人で一つ頼む位の量がある。彼女はその少し重そうなお盆を一流の対面に置くと、そのまま席に着いた。
「別に要らないっすけど。逆に食べきれるんすか?」
「足りないくらいよ。いただきまーす」
「泣き言いっても知らないっすよ? 俺も食べよ」
最近の弁当箱は保温に優れている。四時間位ならまだ人肌程に暖かい。ただでさえ冷凍食品の侘しい弁当だ、せめて暖かいうちに食べたいのは人情だろう。
「やあやあお待たせしましたな」
「お久しぶりだよー!」
一流と華菜が丁度食事を始めた時、正面に男子学生と女子学生がやってきた。一人は眼鏡をかけた爽やかな青年。もう一人は百五十センチ程の小柄な体躯の女性。
「おー、菊住、永友。二週間ぶりか?」
「三週間位だよー!」
声が耳にキンキン響く。
「さ。三週間たっても永友は変わらねえな」
永友千春はとても大学生とは思えない女の子だ。声は甲高いしオーバーアクションだし何かとバイタリティがあるので、正直一流は彼女を苦手としていた。
「君も相も変わらずですな」
対して菊住匠は独特な言い回しで喋るが、一応良識のある大人な奴で付き合いやすい。
「んー、いや。そうでもないようですな?」
「なんか変わった?」
まあ入院等この数日は人生で何度も、下手をすれば一度も味合わないようなことを経験しているわけであるため、雰囲気位は変わっているかもしれない。
「いえいえ、女日照りの樋田氏が女性と会食とは珍しいと思いましてな」
「同じ学部の子ー?」
無邪気に永友は食事中の華菜の顔を脇から覗き込んだ。食事に夢中で周りの声が聞こえていなかった華菜も、流石にその気配には気付いたようで、永友の方へ口をもごもごと動かしながら顔を向けた。
「ん゛っ!?」
ああ驚いてるなと、その反応を見たまま一流は受け取った。
「あれー?」
しかし永友にはそうは映らなかったようだ。
「おや、華菜殿ではないですかな?」
それは菊住も同じようだった。
「菊住さんに千春ちゃん!? な、なんでここにいるのっ!?」
口に含んでいたカレーを一気に飲み込むと、華菜は食堂内に響き渡るほど大きな声を張り上げた。
「私達ここの学生なんだよー? ちなみにゼミも一緒なんだよねー!」
「そして今日は樋田氏にゼミの資料を渡すためにここに集まったわけなのですな」
菊住はズボンのポケットからUSBメモリーを取り出すと、それを軽く振った。
「おー、ありがとう!」
場の流れをぶった切るように一流はそのUSBメモリーを受け取る。
「ところで、何故樋田氏と華菜殿が一緒に学食で食事を? 華菜殿は本校の生徒どころか、まだ高校生の身分ではなかったですかな?」
「えっ、そうなの?」
「え、えーっと……」
華菜は明らかに動揺の顔付で一流へ顔を向けた。自分が高校生とばれたことに余程不都合があったのだろうかと最初は思ったが、菊住と永友の二人が表れてから既に挙動が可笑しかったことを鑑みれば多分原因はそちらだ。
「いやー最近引っ越したんだけどさ、隣の部屋に華菜『ちゃん』が住んでて。それでちょっと仲良くなろうと思ってさ。ほら、うちの学食うめーじゃん? 安いし」
「そ、そうなのそうなの。まっ、どうしてもって言うから仕方なくね」
よくやったと、華菜は露骨に笑顔を作り饒舌に喋りだす。
「なるほどですな。しかし普段奥手もいいところの樋田氏がこんな可愛い子を自ら誘うとは……」
「あー、いや……」
今度は「何やってんだクズが」というような目を向けられる。いやいや、お前も大概だろうと一流は華菜を睨み返す。
「三週間の成長が見られますな!」
「男になったねヒダちゃん!」
結果オーライ?
「そんな成長した樋田氏には、是非とも我が『第三世界』に入ってもらいたいですな」
今日の華菜は差し詰め百面相。喜怒哀楽の表情が入り乱れ、最早顔芸の域だ。因みに今の表情は困惑と焦りが混じったもの。
「宗教はじめたんか?」
「もー、惚けないでー! そうゆーのじゃないよー!」
わざと惚けてみる。華菜の知り合いの時点できっと外村家の繋がりであろうとある程度予想はしていた。それがその通りだと分かった今、少し複雑ではある。その原因はただのゼミの友人だと思っていた奴らに裏の顔があったことにもだが、一流との交友関係も実は仕組まれたものではと感じてしまうことにもだ。
「ちょっと二人ともそれは!」
「大勢力二つだけが『力』を取り合う権利を持っているわけではないんですな。そこは……わかって『いますよね』?」
華菜は出しそうになった声をぐっと飲み込んだようだった。
「隣、座らせてもらえますな?」
「じゃあ私はヒダちゃんの隣ー!」
二人の言葉を無視してカレーを食べ始めた華菜の不貞腐れた表情を見て、一流はただ苦笑いを浮かべる事しかできなかった。