地獄よりの門番―国家の番犬ケルベロス―
制服に着替えた誠司は一階をくまなく歩き回った。
両親の不在を確認し、部屋に戻って、制服姿の人形を抱き上げる。
その目には生気が宿っていない。
誠司は車庫に入ると、車の助手席に人形を座らせてシートベルトを締めた。
運転席に座って自らもシートベルトを締める。
「結衣さん、人形のままでも聞こえてますよね? 1時間ぐらいで到着するのでついたら、生身になってください」
返事はない。
だが、多分聞こえてるだろう。
ストップウォッチと今年取ったばかりの運転免許証、それから財布を持ってきたことを確認して、誠司は車を発進させた。
父も母もあまり車に乗らないので、この車は今ではほとんど誠司の愛車と化している。
安全運転を心がけながらも、慣れたハンドルさばきでスイスイ道路を進んでいった。
幸先のいいスタートに思われたが、そんな彼の目前で、地獄の門が口を開けて待っていた。
検問だった。
なぜこんな昼間にやっているのだろう。
引き返したくなったが、もうすでに遅い。
誠司は覚悟を決めて、地獄へ愛車を近づけていった。
警官に車を止められ、窓を開く。
検問の目的はテロ対策とのことだった。
「高校生?」
警官は制服姿の二人を見て尋ねた。
「はい」
誠司は冷や汗をかきながら、答えた。
頼む。
気づかないでくれ。
彼女はまだ生身になってないんだ。
「一応、免許証見せてくれない?」
「はい、どうぞ」
誠司は手早く免許証を差し出した。
警官はまだ結衣が人形だということに気づいた様子はない。
安堵しかけたとき、免許証を返そうとした警官がじっと結衣の方に視線を向けた。
結衣が微動だにしないので、不審に思ったのだろうか。
「もしかして……人形? よく出来てるね」
ああ、やっぱりバレた。
ここは素直に認めよう。
頷いて適当に流しておけ。
これ以上傷口を広げるな。
不意に悲しげに顔を伏せる結衣の顔が脳内に蘇った。
『私はしょせん人形だから……』
だめだ。彼女を傷つけるわけにはいかない。
たとえ、人としての尊厳を失うことになっても……
「か、彼女です」
誠司はきっぱりと言い切った。
その瞬間、彼は人として大切なものを失った。
どんな大金を積んでも、決して取り戻せないものを……
だが、いつの日か彼の肉体が滅びたとき、神はきっと彼の勇気を心の底からたたえることだろう。
警官は今にも吹き出しそうな顔でプルプルと震えながら、免許証を誠司に返した。
「ごめん。もう行ってもいいよ」
「はい、お勤めご苦労様です」
誠司はそう言って、窓を閉めた。
車を発進させながら、ミラーで後方を確認する。
先ほどの警官が爆笑していた。
「これで、いいんだ……これで……」
誠司は涙目になりながら小さな声でそう言った。