静寂を破りし乙女
気がつくと、誠司はベッドの上で横になっていた。
ベッドに座っている人形に膝枕をしてもらっている。
誠司は飛び上がるほどびっくりして人形から離れようとしたが、彼が勢いよく立ち上がったときに人形が後ろ向きに倒れてしまいそうになると、慌てて人形の背中に手を回して倒れるのを防いだ。
その際にベッドの金具に足をぶつけてしまったが、人形が無事だったのでどうでもいい。
一体、これはどういう状況なのだろう?
足元には、タオルに巻かれたペットボトルが転がっている。
普段から左手首につけている時計を見ると時刻は午後6時を示していた。
家に帰ってきたのは4時前だから、自分は2時間ほど寝ていたことになる。
それにしても、さっきのは一体何だったのだろう。
誠司は恐る恐る人形の目前で手を振ってみた。
「ねぇ? マイワイフ? もしもーし。今度は驚かないようにするから、ちょっと喋ってみてくれない……かな?」
何の反応もなかった。
やはりさっきのは夢だったのだろうか。
となると何故人形に膝枕されていたかだが、まさかいつの間にか親が帰ってきていて、自分にイタズラでもしたのだろうか。
だとしたら、悪趣味すぎる。
普通はこういう時は気づいてないふりをしてやるものだ。
気になって仕方なかったので、一階に下りてみたが、家には誰もいない。
親はまだ帰宅してないようだ。
だとすれば、ありえないことだが、自分で人形に膝枕をさせて眠ったあと、そのことを忘れてしまうほど熟睡してしまったということなのだろうか。
そろそろ親が帰ってきてもおかしくない時間になってきたので、一端、人形をダンボールの中に戻した。
夕食と風呂をすませた後、自室に戻った。
しばらくベッドの上であぐらをかいてじっとしていたが、なんとなく落ち着かないので、筋トレをした。
とりあえず、何かをしていないと気がすまなかった。
筋トレと勉強を延々と繰り返していると、いつの間にか11時になっていたので、ベッドに潜り込んだ。
人形が家に来てから、彼女と愛し合わずに一日を終えようとするのは今日がはじめてかもしれない。
今日の出来事をさっさと忘れるために、夢の世界へエスケープしようとしたが、なかなか寝付けない。
ふと、暗闇の中、緑色に光るビデオデッキの時計を見ると、時刻がちょうど12時になった。
ちょうどその時、ベッドの下からがさごそと音がした。
誠司はひっと声を漏らして、体を丸めた。
「出して、ここから出して」
ベッドの下から女性の声が聞こえた。
きっと夢だ。
全部夢だ。
やたら寝つきが悪いと思っていたが、どうやら自分はとっくに夢の世界に来ていたようだ。
目が覚めたら、何でもない明日が待っていて学校から帰ってきたら、今日愛せなかった分もマイワイフを愛してあげるんだ。
べり……べりべりべりべり……
ベッドの下から、何かが裂けるような音が聞こえてきた。
人形がダンボールに穴を開けているのだろうか。
「妙にリアルな夢だな……ハハハ……」
恐怖心を紛らわすため、口に出して呟く。
やがて何かが裂けるような音がやんだかと思うとベッドの下から、人影がはみ出してきた。
白いジャージを着た人形だった。
「あわわわ……」
誠司は後ずさって壁際に逃げ、情けない声をだした。
人形がぬっと立ち上がる。
人形は無表情のままベッドに上り四つん這いになって誠司にゆっくりと近づいてきた。
人形は目と鼻の先まで、誠司に近づくと、急に膝立ちになって、彼に飛びかかってきた。
「あああああ僕を許して~」
目を閉じた誠司の顔に柔らかいものが押し付けられた。女性の胸のようだ。背中は人形の両腕がっちりホールドされている。
怖いけど、嬉しい。
一瞬、このまま死んでもいいかななんて思ったりする。
複雑な気分だ。
5秒ほど抱きしめられていると、怯える誠司から人形が離れて、行儀よく正座し、にっこり微笑んだ。
「こんばんは」
人形は澄んだ声で挨拶した。アニメのメインヒロイン役でもやれそうな綺麗な声だった。
「こ、こんばんは……あの、俺を殺さないんでぃすか?」
「もう誠司くんったら、ひどーい。私のこと、あんなに可愛がってくれたのに……キャッ」
彼女は平手で軽く誠司の肩を叩くと、両手で頬を抑え、笑顔を浮かべたまま首を振った。
なんという乙女。
今時漫画でもなかなか見かけない仕草だ。
ちょっとぶりっ子っぽいけど、ものすごい美人だから全然OKだ。
「とりあえず、電気つけてもいいですか? いや、無理にとは言わないんですけど」
「電気? ちょっと待ってて」
彼女はベッドから飛び降りると、入口近くの壁にある電気のスイッチを押した。
灯りがつき、ジャージを着た彼女の姿がよく見えた。
やはり、彼女は誠司がいつも可愛がっている人形のようだ。
しかし、ベッドに戻ってきた彼女をまじまじと観察してみると、誠司の人形にはなかったはずの産毛がうっすらと生えており、手首を見ると白い肌の下から血管がうっすらと浮き出ていた。
誠司の人形は近くから見るとかろうじて人間と見分けがついたはずだが、彼女はどこからどう見ても人間そのものだった。
「ちょっと、手首かしてもらっても、いやじゃないでしょうか?」
誠司が恐る恐る尋ねると、彼女は「何その言い方?」と笑っていたが素直に右手を差し出してくれた。
「はい、どうぞ」
彼女の手首をつかんで、脈をとってみる。
トク……トク……
確かに脈を刻んでいた。それに手首をつかんだ感触も完全に生身の人間のものといってよかった。
「あなたは一体誰ですか?」
「私の名前はあなたじゃないよ。結衣って呼んで」
「じゃ、じゃあユイさん。ユイさんは、本当に俺の人形なんですか?」
「誠司くんの人形だよ。誠司くんがたくさん私に愛を注いでくれたから、こうして命を持つことができたの」
「なぁんだ、俺はてっきりこの家で自殺したとかいう女の人が、とりついたものとばかり思ってましたよ」
「な、なんのことかな~?」
彼女の声は震えていた。
視線が泳いでる。
「もしかして、本当に?」
「む、昔のことよ。失敗は誰にでもあるっていうじゃない? ね?」
彼女はウインクした。
誠司の心臓に、恋のキューピッドの矢が突き刺さる。
ああ、もう幽霊でもいいや。
「本当に、とりついた人形が、生身の体になってるんですか?」
「うん、そうみたい。誠司くんが昼間に倒れっちゃった時にいろいろ確認してみたけど」
「じゃ、じゃあいろいろ体液が出たりとか……」
「やだ、誠司くんったら」
そう言うと彼女は艶っぽい表情になって、誠司の耳元に顔を近づけて「もう濡れてるよ」と囁いた。
「た、確かめてもいいですか?」
「いいよ、好きなだけ確かめて。私も誠司くんの体を確かめるから」
二人はベッドの上でもつれ合った。