襲撃の伏兵
8月の終わり、居間に呼び出された誠司は父と向き合っていた。
「は? 今なんて?」
誠司は自分の耳を疑った。
正座したまま思わず身を乗り出したが、父の表情は険しいままだった。
「何度も同じことを言わせるな。お前を大学に行かせる気はない」
「いや……だって、昔は普通に大学行くみたいに話してたじゃん。だいたい、いまさら大学行かないって、就職活動もしてないし……どうしろって言うの?」
「お前、ここのところずっと勉強をサボってるだろ? 学校で受けた模試だって散々だった。恋人ができて浮かれてるのかは知らないが、たるみすぎてるぞ。やる気がないなら、勉強する資格はない。お前には自衛隊に来てもらう」
それは困った。
父が自衛官ということもあって、誠司自身、自衛隊に憧れを抱いたことがないわけでもない。
しかし、自衛隊に入ったら、しばらくは寮生活だ。
そうなれば、残された結衣はほとんどずっと一人ぼっちにしておかなければならなくない。
生身で活動すれば体力を消耗するので、誰か彼女の世話をする者がいなければ、彼女は体力温存のためにずっと人形のままでいなければいなくなってしまう。
外出許可が出れば、結衣に会いに行けるだろうが、新兵のうちはなかなか難しいそうだ。
普通なら結婚して寮から脱出するという手もあるが、すでに亡くなっている結衣とは結婚しようがない。
このまま自衛隊に行けば、すくなくとも数年間彼女を孤独にしてしまう。
そんなことはダメだ。
結衣は、もともと恋人に捨てられたことが原因で自殺したのだ。
そんな寂しがり屋の彼女を一人ぼっちにするわけにはいかない。
「父さん、悪いけれど、そういうことなら、俺、今からでも就職活動するよ」
「お前、自衛隊がそんなに嫌か?」
父の目に冷たい光が宿る。
握り締めた特大のゲンコツが変色し始めた。
やばい、殺される。
誠司の本能が危機を訴えたが、愛が恐怖をまさった。
「そういうわけじゃないけど、父さんが何を言っても俺は自衛隊に行く気はないよ。ごめんなさい」
「だったら、今すぐ出て行け。それができない未熟者が口答えするな」
苦しいがここは引き下がるわけにいかない。
父は、約束は絶対に守『らせる』主義だ。
一度、言質を取られれば、二度と反発できなくなる。
仮に今、家を追い出されたとしても、お年玉を元手に、ネットオークションで稼いだ金が300万円ほどあるので、当分の間は食いつないでいくことができる。
ここのところ結衣のことばかり構っていて、疎遠になりつつあるが田中の家は普段両親がいないし、しばらくの間なら泊めてくれるかも知れない。
「わかった。でも、家には一切迷惑かけないようにするから、最低限、部屋を借りる時の保証人ぐらいにはなってくれないかな? それもダメだって言うなら、知り合いに頼んでみるけど」
誠司が穏やかな声でそう言うと、父は目を白黒させた。
出て行けと脅せば、あっさり自分に従うと思っていたのかもしれない。
「お前……本気なのか?」
「ごめん、父さん。今度ばかりはどうしても従えない訳があるんだよ。今まで、ろくに勉強してこなかったから説得力ないだろうけど」
「誠司……大学に行ったら、真面目に勉強できると約束できるか?」
「え?」
「できるか、できないか……言ってみろ」
「できるよ。心を入れ替えて真面目に勉強しようと思う」
誠司がそう言うと、父はそうかと言って、小さくため息をついた。
立ち上がって、紙と鉛筆を戸棚の上から取り、机の上で何かを書き始めた。
「お前が本気だというなら、大学に入る前にそれを証明してみろ」
そう言って、父は紙を誠司に差し出した。
そこには、大学の名称がいくつか書かれていた。
いずれも難関校として名高い大学ばかりだ。
はっきり言って今から頑張ったところで受かるとは思えない。
「何もそこに書かれてる大学のいずれかに行けと言っているわけじゃない。受かりさえすれば、その大学を蹴って、お前が始めから行くつもりだった大学に行ってもいい。だが、本気になると言うならそれを証明して見せろ」
部屋に戻った誠司は、木とクッションでつくった棺桶のような箱からパジャマ姿の結衣を出し、彼女をベッドに寝かしつけた。
誠司が部屋にいる間は、できる限り彼女を外に出すようにしている。
誠司は、彼女に布団をかけると本棚の隅に置かれている大学受験案内を引っ張り出した。
高校に入学したばかりの時に買ったものだ。
勉強机の前で腰を下ろし、ページをパラパラとめくって、深くため息をつく。
見れば見るほど、絶望的だ。
今の誠司の学力では、父に指定されたうちの大学のどこにも受かるとは思えない。
当然だ。
秀才と呼ばれた者たちが、子供の頃から塾に通いつめて、なんとか受かるようなところばかりなのだ。 何年かかっても、受からない者もいる。
それでも、やるしかない。
一目見ただけであらゆるものを暗記するような天才的な能力はないが、幸い昔から勉強はできる方だ。
1日に10分から30分ほどしか勉強していなくても、中学時代は数学のテストならしょっちゅう満点を取れた。
1学年50人ほどの小さな学校だったので大したことではないが、総合成績でもトップになったこともある。
そこそこの進学校に入ったため、高校に入ってからも定期テストのときだけはそれなりに力を入れていた。
完全にゼロからはじめるというわけではない。
しかし、いくら前向きに捉えようとしても、どうにもならないという絶望感が大きく、何も考えれなくなった。
頭を抱えて机に肘をついていると、後ろから背中をつつかれた。
振り返ると、いつの間にか生身になっていたらしい結衣がいた。
「大丈夫?」
結衣は体を屈めたままの姿勢で、わずかに首をかしげた。
誠司は椅子から立ち上がると、ぎゅっと彼女に抱きつき、彼女の豊かな胸に自分の顔を埋めた。
結衣は、誠司が離れるまでずっと頭を撫でてくれた。




