降臨せしは魔王
居間で静かに正座していると、廊下からTシャツ姿の父が入ってきた。
色黒で自衛官らしく髪を短く刈っており、いつも眉間にしわを寄せているせいか、年齢以上に老けて見える。
普通なら腹が出てきてもおかしくない年だが、暇を見つけては鍛錬に励んでいるので、タカ先輩といい勝負になりそうなほど筋肉が発達していた。
はっきり言って40代後半のガタイじゃない。
防大卒のエリート自衛官で、役職的には幹部だが、叩き上げの下士官のような威圧感があった。
父は誠司の前でどさりと腰を下ろして、あぐらをかいた。
「なんで車の中でやった?」
父の問いかけはストレートだった。
「なんかそういう雰囲気になって……」
「相手の女はどうなんだ? それをおかしいことと思わなかったのか?」
「俺が興奮して半ば無理にやりました。彼女は何度もやめようって言ってたけど」
近くで座っていた母が、片手で頭を抱えた。
情けない、とでも言いたげだった。
父が深くため息をつく。
「俺はお前を信じてるから、車を貸したんだ。お前はその気持ちを踏みにじってなんとも思わないのか?」
「ごめんなさい」
やってないことで怒られるのは不愉快だったが、元はと言えば自分が咄嗟に嘘をついたせいだし、下手に反発すると余計怒られるだけなので、素直に謝るに限る。
「謝るんじゃなくて、お前はどう思っているんだ?」
こういうことを尋ねる人間は理解に苦しむ。
どんなことを言っても、怒るか、「それはお前の本当の気持ちじゃない」と否定するだけなのに、何故わざわざ尋ねるのだろう。
「あの時は、悪いとは思っていても深く考えてなかったです。浅はかでした。ごめんなさい」
「それで、お前はどう思っているんだ?」
それはさっき言ったばかりじゃないか。
なんで、怒っている人間は何度も同じことを聞くのだろう。
「本当に考えが足りませんでした。あの時はそこまで頭が回らなかったんです」
「俺はお前を信じてたんだ。高校生に車を貸すなんて、まだ早いとは思うが、お前は真面目だと思ってたから信頼してあずけてたんだ。別に見返りが欲しかったわけじゃない。俺はお前のことを思って……」
がみがみと説教を続けたあと、父はこう尋ねた。
「それで、そのことをどう思うんだ?」
またか……
それから似たようなやり取りが何度も繰り返された。
誠司は一度も口答えすることなく、言葉を変えて謝り続けた。
数十分後、父の出した結論は酷なものだった。
「お前、もう車には乗るな」
なんということだ。
これでは、2時間しか動けない結衣とデートできる場所はかなり制限されてしまう。
少なくとも、千葉にあるネズミーランドにつれていくのは、ほぼ不可能だろう。
もっとも、2時間でネズミーランドを満喫するのはもとより不可能なことだが……
「そ、それは……」
「まだ反省してないのか?」
父の口調は厳しかった。
本当のことを言うべきなのかもしれない。
仮に車の使用が許可されたとしても、これから、結衣を連れ出す度にいつもビクビクしなければならない。
それにベッドの下に隠してるとは言え、万が一結衣のことがバレたら、自分から本当のことを話すよりも心証が悪いだろう。
下手すると外出している間に結衣を処分されてしまうかもしれない。
「父さん、悪いけれど、ちょっと待っててくれない? どうしても、彼女に話さないといけないことができたから」
「今じゃないとダメなのか?」
「うん、そのほうがいいと思う。理由はあとで説明するから、ちょっと時間をください」
「それなら、ここで電話をかければいいだろ?」
「ホントに重大な理由だから。すぐ戻ってくるから」
その後何度か父がごねたが、誠司は半ば逃げるようにして2階の自室に戻ることができた。
パジャマ姿の結衣を引きずり出し、彼女をベッドに座らせて話しかける。
「結衣さん。そのまま生身にならず聞いてください。急で申し訳ないんですけど、これから本当のことを話すので、うちの親に会ってもらえませんか? このまま結衣さんのことを隠して、結衣さんと生活するのは厳しい気がするんです。お風呂にだってなかなか入れないですし、トイレに行くのも一苦労です。
これから、人形のまま両親の前に連れて行くので、嫌なら生身になってください」
結衣は反応しなかった。
誠司の意見に賛成してくれたということなのだろうか。
家族とはいえ、自分以外の男に結衣の寝間着姿を見られたくなかったし、結衣に恥をかかせたくなかったので、結衣をパジャマから制服のブレザーに着替えさせた。
普段着ではなく制服にしたのは、少しでもかしこまった雰囲気を出したかったからだ。
制服姿の結衣を抱えて、階段をおりる。
人形を抱きかかえた誠司が姿を現すと、両親は呆然とした。
誠司は、両足を伸ばさせて結衣を座らせると、その隣に正座した。
「人形か? お前、それどうしたんだ?」
「父さん。一つお願いしたいんだ。俺が今から何を言っても、彼女には一切暴力を振るわないで、俺を殴って欲しい」
「いいから、早く説明しろ」
「彼女の手首触ってみて。当たり前だと思うだろうけれど、脈が無いことを確認して欲しい」
誠司は結衣の右手首をつかんで、父の前に差し出した。
誠司の目が真剣だったためか、父は意外にも素直に従い結衣の手首に触れた。
「脈がないが、それがどうした?」
「結衣さん。生身になってください」
彼がそう言うと、結衣の体に生気が宿り、完全に人間と見分けが付かなくなった。
生身になった結衣が正座をして頭を下げた。
「誠司くんとお付き合いさせていただいている神代結衣です。よろしくお願いいたします」
神代っていうのか。
彼女が昔のことをあまり話したがらないので、はじめて知った。
結構カッコいい。
結婚したら結衣の籍にいれてもらおうかなんて一瞬考えたりしたが、法律的には彼女は死人なので、そもそも結婚自体できない。
そんなことを考えながらも、神妙な顔をして誠司は口を開いた。
「信じられないかもしれないけれど、結衣は生き人形なんだ。普段はさっきみたいに人形でいるけれど、1日に2時間だけ生身になることができるんだよ」
「親をからかうんじゃない」
誠司のアゴに父の右フックがヒットした。
一瞬、視界が真っ白になり、意識が飛びかけて、誠司は倒れそうになった。
「誠司くん」
心配した結衣が誠司の顔を覗き込んでくる。
「君も一体何だ? 誠司の悪ふざけに付き合って」
父に怒鳴られ、結衣がびくつく。
こんなときに不謹慎だが、ちょっと可愛いかななんて思ってしまいながら、誠司は殴られた顎をさすり口を開いた。
「だから本当なんだって。さっきまで、見た目からして人形だったのに、いきなり人間になっただろ? だいたい脈が無いの自分で確認したくせに」
「さっきのは特殊メイクか何かは知らんが、とにかく手品だろ? そんな下らんことして楽しいのか?」
だめだ。
何を言っても信じてくれない。
昔から、オカルトの類を一切信じなかったから当然といえば当然だ。
この家でも、彼女のせいであろう怪奇現象が何度も起きていたのに、いつも無関心だったもんな……
結局、そのあとも何度か説明しようとしたが、父も母も誠司たちの言っていることを信じてくれなかった。
結衣に本格的に火の粉が降りかかる前に、一度彼女を帰らせたフリをしたあと、一時間以上怒鳴られた。
部屋に戻っても、結衣の姿は見当たらなかった。
万が一両親が誠司の部屋に入ってきた時のことを考えて隠れているのだろう。
「結衣さん、出てきてくれませんか?」
誠司が声をかけると、ベッドの下から、結衣が這い出してきた。
相変わらず窮屈そうだ。
今日、上手く両親に納得させれていれば、彼女にこんな惨めな思いをさせずに済んだのだが。
「ごめんなさい。俺が余計なことをしたせいで、結衣さんの印象悪くしてしまって」
「気にしないで、誠司くんが悪いわけじゃないから。それより、殴られたところ大丈夫?」
結衣はベッドに腰を下ろして言った。
「まだちょっと痛いですけど、大丈夫です」
「それにしても、人形に乗り移る前から知ってたけど、お父さん相変わらずだね」
結衣は遠慮がちに言った。
今まであまりよく考えてこなかったが、言われてみれば結衣は誠司たちよりずっと前からこの家に住んでいるのだ。
たぶん、武田家の日常をいろいろ見てきたのだろう。
前に、エロ本がすぐに見つかったのもそのせいなのかもしれない。
人形から出れなくなってから、人形目線でしかものを見れなくなったみたいだけど……
「でも、なんかこれで吹っ切れたような気がしますね。今度から結衣さんを連れて家を出入りするところを見られたら、お姫様抱っこが趣味だとか、寝てるとか言って適当にごまかしときます。車貸してもらえないのは痛いですが、レンタカー借りればいいですしね」
誠司は前向きに言った。
「問題は、万が一結衣さんが人形の時に発見されたらですが……今までのとおり、これからは極力、夜まで生身でいられる時間は温存しておいてください。万が一、親に見つかったら、俺に呼び出された事にでもしといてください。俺が親に連絡し忘れたことにしますから」
「うん、やっぱりそれしかないよね」
「近いうちに、部屋の端の方にできるかぎり大きい箱をつくろうと思います。トレーニング用具を入れてるからむやみに開け閉めしたら危ないっていう理由で鍵かけときます。それでも窮屈だと思いますが、ベッドの下よりはマシになるかと思います」
彼女にこんな惨めな生活を遅らせるのは、あと7ヶ月ちょっとの辛抱だ。
来年の4月になって、大学生になれれば、一人暮らしできる。
そうすれば、親の目を気にせずに彼女を布団の上で過ごさせることができるだろう。
ずば抜けて優れた才能はないが、昔から一通りのことをできる器用さを持った誠司は、家庭科も運動も美術も音楽も人並み以上の水準でこなせるため英数国理社のような主要5科目以外の副教科でも、好成績を得ていた。
そのため、指定校推薦で、関西の有名私立大学の合格がこの時期にしてほぼ約束されている。
受験勉強にほとんど取り組んでこず、定期テストを要領よく乗り切ってきただけなので、模試の成績はあまり褒められたものではなかったが、大学なんて受かりさえすればその手段などどうでもいい。




