四幕、すれ違いも春一番の悪戯だった
二月四週目の木曜日
「いいのか?」
担任の関先生が、再度の確認をとる。
職員室の暖かい空調が、寒い廊下と比べ格段に効いていた。
「はい、いいんです」
「せめて、皆に一言ぐらい言ったらどうだ?」
少し考えたふりをして、もう一度否定。
「いいんです。どうせ言っても、何も感慨なんてありません」
「そんなことをいうな。一年間すごしたクラスなんだから。そうか……わかった。今日の卒業式の予行練習が終わったら、皆に私から言おう。残念だよ。もう何ヶ月も前から決まっていたことだとしても。何も卒業式前日に転校とはな」
アライハルカは転校する。
それも今日、卒業式前日の日を以って。それを皆に伝えることはしない。言ってもアライハルカにとっては何も意味を成さないから。
「先生、お願いがあります」
「ん、何だ?」
そう言ってアライハルカは手元の袋からあるものを取り出した。
2
「失礼しました」
一礼をして、職員室を後にして冷たい廊下に出る。
他の人たちは今頃、体育館の方で卒業式の練習をしているだろう。
そこにはハルカはいない。もうこの学校の生徒ではないのだから。
心残りはない。
誰にも言わなくても、きっとクラスはハルカなしで廻っていく。
それが良い意味でも悪い意味でも。
転校することは誰にも言っていない。
伝統ある校舎の古びた感じが見れなくなるのは残念だったが、他には何も未練はない。
このクラスでの感情なんて。何もない。
「……ヨコカワさん、何で来ないんだろ?」
ヨコカワカヨは今日学校に来てはいなかった。効くところによると先週の木曜日は来たらしい。
ハルカが引越し先を見に行くため、都内の大学にある学生寮へ行った日に、丁度ヨコカワカヨが来た。
偶然なすれ違いだった。
たまたま来てくれたカヨと逢えなかったのだから。
ヨコカワカヨにも、あの口論以降一回もあっていない。会いたくても、会えなかったというほうが正しいのかもしれない。
まるで偶然に似た神様の悪戯。
ハルカにはカヨが来て欲しい理由があった。
どうしても来て欲しい理由が。
なぜならアライハルカはヨコカワカヨに転校することは言っていない。クラスの誰にも言っていなかったから当たり前のこと。
クラスの誰かと仲良くなるなんてハルカ自身思っていなかったから。それに否定されたこともある。口論以降、カヨが怒っているのではないかとも考えた。
だから口で言えなかった。
諦めようともしたが、それでもカヨのことが頭から離れなかった。このまま何も言わず去ってしまっていいのかも考えて。
言わずに去ることが出来ないと、ハルカは思った。
だから、今日。カヨが来ていたら、転校することを告げてあるものを渡そうと思っていた。
だが、カヨは欠席。いない。
それは言えない、伝えられない、渡せないという意味。
(理不尽だ)
時に世界は理不尽だ。
こんなときこそ、カヨが来てくれて、転校することを告げることぐらいさせてもいいと本当に思った。
でもさせない。させてくれない。
そのもどかしさが、ハルカの心を沈ませる。
分かっていた。
どんなに頑張っても、それが報われないときがある。それでも淡い期待を抱いて、最悪の結果にならないように願っていたのに。
カヨは休んでしまった。
「それじゃ、伝えられないじゃない…」
誰もいない廊下に、独り言のように呟いた一言が響く。響いたのは言葉だけ。思いは響くことなく霧散してしまった。
誰も聞いていない。
体育館から、先生の話すマイクの音が風に流れて微かに聞こえてくる。
「帰ろう」
もう、先生にも挨拶を済ませたので、アライハルカにはここでやることもない。
わざわざ卒業式の予行練習に出ることもない。もちろん、別れを言うつもりもない。
帰って、オオミヤソニックに行こうとしたが、そんな気分にはなれなかった。
ここで経験したのは、結局記憶すら残らない。あるのは自らを傷つけるキッカケを作った三年間だけ。
その校舎を眺めて、アライハルカは最後に一礼をした。
それは感謝の気持ちからではない。大事なことを気付かせてもらった礼として。
時刻はまだ2時にも満たない。
アライハルカの三年間は今日を以って終わる。何もない三年間だった。
何も感じてないようにそう思っているが、実際涙が出るほど、辛かった。
今日でここを去ることも。ずっと1人だったことも。
(さよなら、オオ校)
振り返らない。
振り返る必要などない。
アライハルカはカヨのことを思いながら、帰宅する。
別れを言えなかっただけ。
それがずっと心の奥底で引っかかっていた。




