三幕、花は冬の中でも生きている
二月三週目の木曜日、卒業式まで二週間をすでに切っていた。
ハルカとカヨの関係は、オオミヤソニックシティでのみ続けられていた。学校では目があっても何も話さず、すれ違った。
それがなぜだかわからない。
気付いていたら、カヨとの関係はオオミヤソニックシティのみで続いていた。
カヨもそれを承知しているのか、決まってオオミヤソニック広場の階段、一番下の段差で煙草を吸って待っていた。
まるで、それが当たり前のように。
「こんにちは、ヨコカワさん」
「……」
無視。煙草の煙が漂う。
「あの、ヨコカワさん?」
「……うるさい」
拒絶。
カヨの隣に座る。もう隣に座ることに緊張はしなくなっていた。
カヨの顔を見ると、浮かないような表情をして煙草を咥えている。
「何かあったの?」
「……」
無視。こっちの顔を見もしない。
「ヨコカワさん?」
「………」
またも無視。
いつもなら挨拶ぐらいしてくれるはず。もちろん憎まれ口も叩きながら。そうやって、アライハルカをいつも受け入れてくれていた。
「仲の良かった友達が、私のこと嫌いだってさ。もうゼッコーだって」
「え?」
突然ケタケタと淋しそうに笑うカヨ。
自分に言い聞かせるように、少しずつカヨは話し始めた。
「私、これでも友達は嫌いじゃねーけど、やっぱり、つれー。すれ違ったのは、本当に些細なことだけど、ここまで悪くなるなんて思ってなかった」
「……」
「ガッコーじゃ私にはあまり友達はいねー。だけどその仲の良かった友達と喧嘩するってのはやっぱ辛いわー」
自らを苦笑しながら、そう言い訳をしていた。
「なんで泣かないの?」
「あ?」
即答ではない、一瞬の間がそこにはあった。明らかに不機嫌なイントネーションで答え、じろりと睨まれた。
「聞いたから。私が、その人から」
「!」
驚いた顔でこっちをみるカヨに、バツが悪くなって少しだけ視線を逸らす。
「ヨコカワさんが何でそんな風になったのか、聞かせてくれた。その友達だって、赦してくれるって」
「黙れ…」
「ヨコカワさん、もしかして…」
「黙れぇッ!!!」
怒号。途中まで口に出していた言葉が打ち消された。
「…………」
アライハルカが疑問に思ったのは今日の登校日、HRの時だった。
カヨの久しぶりの登校にハルカは嬉しかったが、同時にそのつれない、沈んでいる顔に不思議に思った。
いつもカヨはその外見からか、学校でもあまり評判の良くない人たちと馴れ合っている。もちろんそれはその人たちが悪い、と言う意味ではない。カヨの周りにいるというだけで悪いと思われてしまった。カヨにとってもそれはかけがえのない友達だった。心の赦せる友達だったのかもしれない。
なのに、その友達がカヨの周りにいなかった。誰一人も。
カヨは来てすぐに、荷物を置いて自分の机で寝てしまった。
外界から遮断するように、自分の机に突っ伏してカヨは時間を潰していたに違いない。その姿は自分に少しだけ似ていたように思えた。
ハルカは、カヨが心配だった。
だからこその決断だったのかもしれない。
クラスメートが話している内容から、カヨに関する情報のみを抽出して、何かあったのかを探った。幸いにもクラスメートが話している内容は、休み時間読書しかしないハルカにとって集めやすいものだった。
その結論として辿りついたのが、カヨが嫌われた、ということ。
カヨの友達をうろ覚えながらも、探し出し接触。なぜ、そうなったのかをそれとなく聞いていたのだ。
もちろん、その人からなぜ学年一の秀才が不良女子高生について知りたいのかと、疑問に思われた。それでもどうしても知りたかった。
今考えれば、なぜ自分がそんなことをしているのか分からなかった。
まだ知り合って少ししか経っていない。それも学校では話さず、オオミヤソニックだけで話す特異な関係。
「あー、カヨね。あいつ、口悪いでしょ?だから、友達の中でもけっこー嫌われてんだよねー。あ、そっか。カヨが口悪いって知らない? あまり学校でも口利かないし」
「それで……?」
「きっかけはホントに何でもないことだったんだけど、カヨが仲間のこと悪く言い過ぎて。いつもなら笑って流せることだったけど、今日は我慢できなかったみたい」
カヨの友達は、髪の毛を弄りながら、少し寂しそうな顔になった。
「だから、謝れっていったんだ。でもあいつ、あんな性格だから謝んなかった。謝れば終わったのに」
「……」
「もちろん、カヨが悪いってのは確かだからさ。だから、私たちはカヨとゼッコーしたのさ」
「……でも」
「うん。もちろん私たちは仲直りしたい。カヨさえ素直になってくれればだけど」
「そっか…ありがとう」
まだ、その友達に仲直りできるチャンスが残されていたのか、ハルカは安心した。
これなら、そんなに心配しなくてもいいのかもしれない。
「でも、あいつ、ちょっと変わってるからなー」
「え?」
そろそろ話を切り上げて、自分の席に戻ろうと思っていた時だった。
「ほらあいつ、オオ校一の不良女子高生って言われてるだろ? でも違うんだよ。私も聞いただけだからよく知らないけど、カヨって昔は優等生だったらしいんだ」
違うと、否定できなかった。
あの性格や外見を見れば、簡単に優等生ではないと分かるはずなのに。
「ここ、県内一の進学校だろ? だから、ここに来たときカヨは優等生だったんだ。髪も黒。煙草も吸わない。イヤリングもピアスも。不良とは程遠かったらしいんだ」
「うそ…」
「あんなふーになったのはここに入った後。えっと確か、最初の始まりは先生から言われた一言だとか」
そういえば、前にオオミヤソニックで話していたときそんなことを言っていた気がする。
「ほら、カヨって泣かないじゃない?」
「え?」
「本当に泣かないのよ。私たち、出会ってからけっこー経つけど、カヨって泣かないんだ。私たちの前では決して」
ヨコカワカヨの過去。
「泣かない?」
「うちらのなかじゃ、けっこう心配してる。カヨが泣けるように笑わせたり、脅かしたりして頑張ったんだけど。ダメだった。どこかで1人泣いてるんじゃないかってみんなで話してた。あいつのことだから、オオミヤソニックかな?」
「!」
オオミヤソニックシティ。ハルカとカヨが出会った場所。
「友達なんだから、もう少し頼ってくれれば嬉しいのに」
残念そうに肩を落とすカヨの友達。
「……」
「そー見えないでしょ? カヨ、いつもおしゃべりで、みんなを楽しませてくれるけど。ケタケタ笑う、あれってさ。裏返しなんだって最近気付いたんだ」
「裏返し?」
「そ。馬鹿みたいにケタケタ笑って、強がってさ。ほんとは寂しい癖に。誰にもわかってもらえないなんて思ってるの。もー遅いけど。もう少し早く気付いてやれればよかったかな…」
「友達思いなんだ……」
「っ…内緒だぞ」
二人で少しだけ笑いあった。
カヨが不良女子高生になったのも、何かがあったから。それをつい最近知った。
それが自分のことを知ってくれない葛藤だとしても、恨みでも、人は変わってしまったことになる。
その女の子がハルカの前に今佇んでいる。
「だから、同情でもしてくれるっての?」
「?」
冷たい、何かがもうどうでもいいような視線。表情は笑顔、その裏の寂しさが隠せないでいるのがわかった。
「私達ってここだけの関係だろ?アンタに同情なんかしてもらいたくない」
「悲しくないの?」
「! 悲しくない」
「うそ。だってそういう風に言ってても、顔が辛い顔してる」
「……じゃ、なんだ? もしここで私が悲しい、辛いって言ったら、アンタは何してくれるんだ?」
「それは…………」
「アハハハ」
言い淀んでしまったハルカを尻目に乾いた声で笑うカヨ。痛々しくてもう見ていられない。 笑い声は止まらず、誰もいない広場に狂った声が響いていた。
笑い声が止まるとそのまま睨まれ怒声。
「アンタに友達なんていないじゃないッ!!」
その一言が。
その言葉が。
ハルカのなかの三年間を思い出させる。
考えたくなくても、頭の中でそれが。
反芻。幼馴染の言葉。
反芻。何も出来ない自分。笑えない。
ハルカの顔が絶望で彩られていくのが誰の目にも分かったはずだ。
言ってはいけない、それを知っていて。
自分の目頭が熱くなっていた。
瞬きすれば、その反動でこぼれそうになる。それを必死に我慢して。我慢して。
カヨを見ると初めて口を押さえていた。
それが、言ってはいけなかった禁句で、本心ではないことを示そうとしていたのか?
驚いた顔でふるふると体を震わせてこちらを見ている。
そんなことがまだ分かる自分に、少し苦笑した。
「う、ん…そーだね」
頷きと共に言った声が裏返ってしまい自分でも驚いた。いつのまにか自分の心のなかはもう泣いていたのだと、気付いた。
そんなこと、もう認めていた。
言われなくても、分かっていた。
自分が笑えなくて、過信して、何も出来ない癖に。それが自分の力ではないことを知って。自らを傷つけても。
悲しいことには他ならない。
ハルカ自身が変わるわけではない。
変われないのだから。
それを認めるハルカを見てカヨの表情が凍る。それは怒りとなって、カヨを爆発させた。
「ふざけるなッ!!」
「痛ッ!」
投げつけられたのは100円ライター。いつもカヨが煙草を吸うのに使っているものだ。それがハルカの顔に直撃した。
「はあ、はあ…はあ」
息を荒げてカヨがこちらを睨む。
投げつけられたライターが磨かれた石の床を滑って、どこかへ行ってしまった。
「なんで、アンタは! なんで……」
「………」
声を荒げて言ったその言葉は続けられることはなかった。
でもハルカには言わずともそれが何と言っているか不思議にも分かった。
どうして、泣いてもそれを認めるのか?
どうでもいいように、どうしてその事実を肯定できるのか?
そんなことしたら、アンタはどうやって笑えるのか?
(笑えないよ)
ハルカは涙を浮かべつつ、自虐的にその疑問を心の中で答えた。
「……ちッ」
舌打ちをしてまたカヨは段差に座り込む。
まるでハルカの答えがカヨにも聞こえたように、苛立って煙草を取り出す。
「くそ」
取り出したはいいが、ライターを投げ飛ばしてしまったことに気づき、毒づいていた。
「……ヨコカワさん」
「……」
無言。
ビル風が通り道である広場を通り、寒さを感じさせた。
近くの公園からか、子供たちの笑い声が聞こえる。
カヨのことを考えずに少しやりすぎたかなと思い、ハルカは謝ろうと思った。
カヨを見て、謝ろうと思った時。
「……あ」
どちらが声をあげたのか分からなかった。
なぜなら、カヨがいつのまにか涙を零していた。
「は……あれ?」
慌てて、カヨが自分の顔を袖で拭う。
間違いなく、カヨの瞳から一筋涙がこぼれていた。それが自分の意志かは知らない。どちらかというと無意識のうちにという感じがした。
「――ヨコカワさん?」
拭っても、拭っても無駄だった。
カヨの瞳から涙が零れる。
「……見るなっ」
真っ赤な顔で必死に我慢していても、涙が止まらない。
なぜ泣くのか?
あんなに怒っていたはずのヨコカワカヨが。
一緒にいるだけ。それもこの場所だけ。
話さなくても、ただ一緒にいるだけで、隣にいるだけで。
それが二人の関係でも。
話さなくてもいい。
笑いあわなくてもいい。
ここにいれば、それだけで。
「う、く」
ヨコカワカヨは気付いていない。
なぜ悲しくもないのに、勝手に涙がこぼれるのか。
どうして泣いているのか。
それが、アライハルカのおかげだということも。
(なんで、なんで止まらない)
必死に我慢しても、心のどこかが緩んでその我慢を無駄にさせていた。
オオミヤソニックに吹くビル風、春一番。温かみなどない冷たい風がカヨの心をさらに泣かせていた。
「友達」
2
オオミヤソニックシティ。広場。
特等席。
アライハルカなし。
「……」
いるのはヨコカワカヨのみ。
煙草も吸わず、ただ段差にすわり広場を見渡すだけ。
その姿は黄昏ているようにも見える。
いつもの彼女らしくない。
「ふー」
煙草の煙ではなく、ため息。
アライハルカの前で泣いて二日たった。
しかしその二日経っても、カヨは動揺していた。
考えるのはハルカのことばかり。
浮かぶのも。
気付けば、ハルカのことばかり思っていた。
恋なんだろうか、なんて馬鹿げたことも考えたが、拭い去れない。
(なんで、あいつのことなんか)
ヨコカワカヨは、今日久しぶりに登校した。気分が変わったわけではないが、アライハルカが登校しているのではないかと思い、わざわざ登校したのだ。
しかしその当の本人は珍しく欠席。
授業中もたまにハルカのことを見ていたが、欠席したその席があるだけで、何かカヨにとって違和感があった。
いなくても、その席を見つめることが多くなっていた。
授業中も。
休み時間も。
学校が終わった放課後も。
1人で。
なぜそんなにアライハルカのことを考えているのか分からない。
間違いないのはアライハルカがいないのが、カヨ自身を落ち込ませているということ。
それだけは確かだった。
オオミヤソニックに来てもその喪失感は消えない。まっすぐ帰ろうとしたが、足が自然とこっちの方に向いて来てしまった。
(何やってんだ、私は…)
ポケットから煙草の箱を探し出し一本だけ取り出す。そういえば今日一日悩んで煙草を吸うことを忘れていたことに気付く。
オオミヤソニックの広場にはヨコカワカヨ1人だけ。
その隣にアライハルカはいない。
気付けば、隣にいるものだと、ずっと錯覚していた。
「友達か…」
一度咥えた煙草に火をつけず、またその煙草を口から離し、放り投げてしまった。
友達のことで、あんなに口論したのに不思議と恨んではいなかった。
「なんだよ、そんなにアイツのことなんかで悩んでんなら、もう友達じゃねーかよ」
漸くの結論に、ケタケタと笑うカヨ。そこには裏返しの寂しさは垣間見えない。あるのはそれに気付かなかった後悔のみ。
「……馬鹿だ。あいつのことが、忘れらんねーなんて」
知らなかった。
ただ一緒にいただけ。
時に話して、時に無言で。それだけの関係だったはずが、ただ一日隣にいないだけでその喪失感がカヨの体を蝕んだ。
隣で本を読んでいるはずの文学系少女。
今日はいない。
その存在がカヨにとっていつの間にか大事なものになっていたのだ。
「アハハハ、なんだ。そんだけのことだったんだ」
春一番の冷たい風が吹く。
そんな事実に気付けなかったのが可笑しいのか、カヨは笑った。
いつのまにかカヨにとって、ハルカは友達になっていた。
「決意」




