二幕、春は必ず冬の後に巡る
二月二週目の木曜日
二月の二週目、木曜。学校登校日。
学校でただ事実確認と進学決定の通知を報告するだけで、すぐに解散となった。アライハルカはもうすでに大学は決まっていたので、来る意味はない。
ただ、カヨが来ているのでは、と思い登校してみたが、カヨは欠席していた。担任の先生が大事なときに来ない、と怒りを露にしていたが、カヨの性格を知っているからか、その矛先は すぐに収まった。
ハルカが学校を終えて、向かった場所はもちろんオオミヤソニックシティ。
時刻はお昼を過ぎて、一時を過ぎたところ。
オオ校から歩いてすぐのバス停で大宮行きのバスに乗り、JR大宮駅(東口)3番バス乗り場に着く。
オオミヤソニックシティは大宮駅西口、とここから逆方向にある。
空は快晴。眩しい光が日向と日陰を色濃く分けていた。温かみある日差しが、寒い陽気では感じられない。
ハルカは、雑踏を分けながら、人の奏でる音を耳に残しながら、人を避けていく。
同じ学校の学生。違う学校の学生。主婦。子供。老人。人。
その行きかう姿を一瞬目に止めながら、気持ちは沈む。
駅の中は外よりも騒がしかった。学生よりもスーツを着たサラリーマンがハルカの前をたくさん行き来している。
駅の臨時アナウンスが、JRサイキョウ線の遅れを教えていた。その放送を誰も聞いていないように、行き来する人が急ぐ。
その姿が何だか滑稽に思えた。
冷え切った体を、駅の空調がゆっくりと温めてくれていた。
周りは人。
周りは人だらけ。
(私の周りは?)
通り過ぎ行く人だけ。
誰もいない。
少し模索してみたが、そこではっきりと現れる人は、少なからずハルカにはいなかった。それでも少しは、ともう少し考えを巡らせてみる。
その中でハルカの脳裏に浮かんだのは、オオ校一の不良女子高生。
煙草を口に咥えた、口の悪い同じクラスの子。
「カヨ」
思わずハルカの口からその名が漏れていた。
図々しくも名前だけ呼んでみて、すぐその邪な考えを打ち消す。そんなことは考えてはいけない。
なぜ彼女の名前が不意に出たのかは知らない。友達でもない。ただの同じクラスの関係でしかない。
もちろん目の前にヨコカワカヨはいない。いたら、恥ずかしくて言えるはずもない。
ハルカはやっとたどり着いたオオミヤソニックの階段をゆっくり下りていた。
バッグからカバーのかかった小説を取り出し、階段の一番下に向かう。
オオミヤソニックの広場には誰一人いない。いるはずがない。この時間でいるのはハルカだけ、だったはず。
階段、一番下の段差。ハルカの特等席。
そこにいたのは煙草を吹かしている女。
ヨコカワカヨがそこにいた。
「……ヨコカワさん?」
持っていた本をまたもや落としそうになり、ハルカはカヨの方に近寄ってみた。
首だけをこっちに向けて、ダルそうな声で舌うちをされた。
「チッ…、おー」
まるでやる気の無いような声、それに加えて気分を邪魔されたような雰囲気。
「学校は?」
それを敢えて無視して今日欠席した理由を聞いてみた。その雰囲気について何か聞いてもまた馬鹿にされるに決まっている。
「途中まで来たんだけど、面倒くさくなって、ヤメタ」
とんでもない言い分。まるで小さな子供が何かに飽きてすぐに放り出してしまう性分。
「学校に行かないの?」
「行く気がねー」
即答、そして口から煙を吐いた。
「何してたの?」
「アンタ、私の何?」
こっちをギロリと睨み、鋭い眼光でハルカを射抜いていた。
「え?」
「アンタに何か言われる筋合いは無い」
否定。迷惑。
「あ……、ごめ、ん」
気分が低落しながらも、きちんと謝ることは忘れない。カヨを見ていれなくなって、わざと視線をはずした。
「ふー、友達と屯ってた」
突然の切り出し。
「え?」振り向いて、カヨの顔を見つめ直す。
「だから、友達とアルシェに行って遊んでた。んで、お腹減ったからマック食って、ここで一服してただけ」
アルシェ。オオミヤ駅西口からすぐ出た目の前にあるファッションビルのことだ。
オオ校のみならず、他の女子高生がよく服やアクセサリーを見に行く、と聞いた事がある。
もちろん、ハルカはその存在を知っていても行ったことは無い。
「煙草吸って、一服?」
「そー」
ぷはーとカヨの口から吐き出された煙はくるくると空気と混ざり合って、見えなくなる。
ハルカは自分の携帯電話をさりげなく確認。時刻は二時半。
昼から一休みしていたには、ちょっと長すぎて不自然だった。
確かに、途中まで来て面倒くさくなって、友達と遊び、昼飯を一緒に食べたのだろう。
だがそれ以外に、何かがあってカヨはここにいる。
わざわざ一時間以上も煙草を吸いながら時間を潰して。
カヨの足元にはすでに幾つもの煙草の吸殻があった。丁寧に吸っていないのか、途中で消したものばかりが目立つ。
一体何のために?
「なー、関どーだった?」
「あ、先生怒ってたよ、すごく」
突然ケタケタ笑い出すカヨ。
「あいつ、いつもそーなんだよな。まるで見下したような目で私を見るし。何が、学校に出て来い、だ。そーやって強制すれば自分の役割は終わったと思ってやがる」
一瞬の乾いたカヨの目。ケタケタ笑う声もだんだん小さくなり、虚空の向こうに消え、残ったのは近くで聞こえる車の通過音。
カヨの深い黒い目が、地面を見据えたまま、止まる。
「いつもそーなんだ。そーやって何になるんだろ?」
「……」
まるで自問自答するような問いに、ハルカは戸惑ってしまい口を閉ざした。
二人の間に無言のときが流れる。
はっきりいってきまずい。
「それ…」
「え?」
カヨの視線の先にあったもの。ハルカの本。
取り出しておいて、カヨと話す事に夢中になり、読む事すら忘れたもの。
「今までにどれくらい読んだ?」
「えっと、100冊ぐらいは……」
「マンガを?」
「ち、違うよ。マンガも見るけど小説」
右手でぶんぶんと手を振って、慌てて否定した。
もちろん漫画も見るが、だいたいは文字を追う小説を読む事が多かった。
カヨは興味がなさそうな顔でこっちを見ている。
「何がおもしれーの?」
「えっと……小説ってね、現実ではありえない事を体験できるから。きっと本人が望んでも出来ないことや、有り得ないって思うことも物語ではリアルになるの。
面白いでしょ?
その中では私も誰もが、主人公になれるから、好きなの」
嘘だった。
それが全て真実であったとしても、実際はそう思い込む前にハルカには本を好きになったある理由があった。
「きっと、人間が小説を読むのは、何かを求めているから。誰もが、自分の望みを欲し、現実とは違う幻想に浸りたいから」
「……バカか」
即答。
「えっ?」
「んなの、聞いてねーよ。今までで読んだ本で、一番何がおもしれーって聞いたんだよ」
顔が真っ赤に熱くなるのがわかった。巻いてあった赤いマフラーを口元に近づけて顔を隠す。
「あ……その。えっと春のお話を纏めた小説で、有名な映画のキャッチフレーズをパクった題名の本」
「なんだそれ?」
「うーん、上手く説明できないよ」
「あっそ。ならいい」
ぷいとハルカから視線をそらし、前方に見える広場の横を通る道を見つめた。
少し気まずくなって、手にあった本を弄ってカヨに声をかけた。
「あ、あの」
「何」
「今度よければ、それを持ってくるよ。どんな本か教えたいし…」
「いらねー」
即答。それと同時に、ぽいとカヨは煙草を投げ捨てる。
捨てた煙草が弧状を描き、落下。地面に落ちても火は消えない。
「私、本嫌いだし。それに迷惑。そんな気分じゃねー」
本が好きか尋ねられたからこそ、丁寧に答えたはずだった。
その気遣いすらカヨにとってはどうでもいいらしい。ただ少し前の沈黙が耐え切れなくなってそんな話題を振ったように思えた。そんなカヨに少し呆然とした。
カヨが立ち上がって、自分の黒いバックを手にする。
「帰る。じゃーな」
「でも、絶対好きになるよ?」
カヨがこっちを振り向いて一瞬沈黙。そして何かを諦めたかのような顔をして、階段を上っていく。
「チッ、好きにしろよ」
それだけを言い残して。
時刻は三時。いつのまにか時計の針は進んでいた。
きっとこうやって安心して誰かと話したのは何年ぶりだったろう。
ヨコカワカヨといつのまにか、まるで友達のように話せていた、気がした。
【ハルカの淡い期待】
アライハルカには期待があった。
中学生の頃からハルカの周りには友達がいた。今とは違い、休み時間を一緒に楽しく過ごせる仲間が。友達が。
その中でハルカが一番好きだったのが幼馴染だ。
幼馴染は、ハルカのことを良く気遣い、自分をたてずに、親友をたててくれた。そのせいかもしれない。それが少しだけ、ハルカに自信を与えていた。
少なくとも社交性に秀でていなくても、友達を作れる力を持っていると過信していた。
小学校、中学校とは違い、このオオミヤ高校にいくのはハルカしかいなかった。
オオミヤ高校が、県内一の進学校だったのもある。住んでいる家の近場が良かったのもある。ハルカは、幸いにも勉強はできた。
だから、幼稚園から一緒だった幼馴染とは、ついに高校で別れる事になった。
中学校を卒業するとき、幼馴染は一人だけ違う高校へ行くハルカを気遣った。
『大丈夫、ハルカなら平気よ』
その言葉が、ハルカにとてつもない力を与えたに違いない。
だから、ハルカはこう言った。
「私が強くなって、安心させてあげる」
唯一、幼馴染への恩返しだとハルカは思った。それがいつもハルカを第一に考え、心配し、気遣って、そしてハルカを笑わせてくれた幼馴染への恩返しだと思った。
幼馴染は、それを心配そうに笑ってくれた。
2
高校一年、春の入学式。
人が余りにもたくさんいて、正門前は人で混雑していた。
淡い期待と、自信を持ちながらハルカはその入学式に出席。
そのとき席が隣だった人とも何回か話せることには成功した。
それだけで、ハルカはうれしくて仕方なかった。話しかける前は、緊張で汗が出たが、話しかけると、心の荷が下りて、脱力しそうになり、倒れそうになった 。
さらに淡い希望も抱き始めていた。
オオミヤ高校なら、私も安心して学校生活を送れる、とそう思った。その先にあるのは、友達ができそうという嬉しさと「すごいでしょ」と自慢して幼馴染を安心させてあげられる充足感が心を震わせていた。
クラスに戻ったとき、残念ながら入学式で隣だった人は席が離れていた。
周りは知らない女の子ばかりで、ハルカの周り、四方でその席の隣の人たちと談笑していた。それを見てハルカは、周りの人に話しかけるタイミングを失ってしまった。話し合っている人たちが、ハルカが話しかけた瞬間、嫌な顔をされるのが怖かった。話しかけるという決意がまるで宙から落とされたように、急速にハルカの中で萎んでいった。
ハルカを満たしていたのは、不安・疑念・恐怖。
仕方なく、その日は受身で、話しかけられる時だけをハルカは長い時間待つことになった。
そして結局、その日話せたのは、入学式で隣だった人だけになってしまった。
それが一年最後まで響くことになる。
入学式で隣だった人と、ハルカの周りの席に座っていた人たちとも仲良くなる機会がないまま、一年生の終わりを迎えてしまった。
もちろん、嫌われてるわけでもなく、はぶられているのでもなく、話しかけられれば、会話し、仲良くなったように見えるが、実際は違った。
表面上の関係に過ぎなかった。
すでに、クラスの中で集団の仲間の領域が線分けされつつあった。見えない領域がハルカとクラスメートの間にあって、まるで触れることができない壁みたいな感じを与えていた。
そのときから、ハルカは休み時間には、話しかけられることも、やることもないので、本を読むことが多くなっていた。
間違いなく、ハルカは仲良くなる機会を、最初の一日で逃してしまった。
3
高校二年生、始まりの日。
ハルカはまだ淡い期待をもっていた。
クラス替えが行われ、まだハルカ自身にも機会が残っている。
でも心の奥では、どこか拭いきれない不安が蠢いていた。
一年生の一年間がハルカを悩ませ、幼馴染の期待を裏切ってしまうのが嫌だった。
今度こそその予想とは裏腹に、ハルカは友達を作るきっかけを逃さずに手につかむことに成功した。
「おはよう」
と、前もって決めていたフレーズを隣の人に話しかけ、向こうも怯えながらもちゃんと挨拶をし返してくれた。
そして、そのまま話を切らせないように続けて今日のスケジュールを聞いた。
話も何とかかみ合い、その人と仲良くなることができた。このままこの関係を続けていけば、その先の期待、希望をつかむことができるのは間違いない。
それも、仲間の絆で打ち砕かれた。
二年生ともなれば、一年生から親しくしている友達がいて当然だ。
仲良くなった人には一年生のころ親しくしていた友達のグループがあった。ただそれだけで、ハルカには話の輪に入れないときが多数存在し、一緒に話すことが難しくなったように思えた。
嫌われたわけではない。ただ、その一年生から作り上げた絆が、ハルカにとってうんも言わせない、入りにくい雰囲気を醸し出していた。
普通の人ならそこで、強引に割り込む方法も選択肢にあったかもしれない。話しかけるにも。ハルカにはそれが積極的にできなかった。
自らそれを避けるように、ハルカは話しかける回数を減らしてしまった。自分ではそこにもう入れない、と思い込むようになり、自分の殻に篭るようになってしまった。
そして回数を重ねるごとに、その仲良くなった人と話すことやふれあいは少なくなっていき、その人とハルカの関係は遠くなっていったのだ。
関係が深くなったのは、一年生から続けていた読書だけ。それがハルカにとって唯一の気休めの行為となった。
本を読むと行為が、習慣となり、休み時間は黙々とただ乾いた本のページをめくった。
外界からの楽しそうな声から逃げるように、本に集中した。
そこから、ハルカは文学系少女としてみられ、クラスメートはその近寄りがたい雰囲気から、ハルカの読書をあまり邪魔しなくなった。
しかも話しかけられる時は、いつも勉強・宿題に関することだけとなり、友達や仲間と話し合い、笑いあう関係とはかけ離れた関係になってしまった。
仲良くなるにも、さらに困難になっていたことに初めてハルカは気づいた。
それでも休み時間に読書をやめる事はなかった。やめてもハルカには仲良くなれる機会がもうあるとは思えなかったから。
後はもう、一年生の最後と結末はなんら変わらない。
4
そして高校三年生、高校最後の学年。女子高生でいられる最後の年。
ハルカは、もう期待はしていなかった。
文学系少女。がり勉。学年の秀才。
そんなあだ名はハルカにとって味気のないものになっていた。
ハルカにとって欲しい物は、そんなものではなく、もっと暖かい、絆。
あれから二年たったせいで、クラス的にハルカの入れる隙間はどこにも空いてなかった。
案の定、もうそんな希望と出会いはなくなっていた。
嫌われているのではなく、人気があるわけでもなく、このクラスにハルカを認めてくれる人はもう幻のように夢見事。
ハルカは今更になって、それを悔やんでいる。
今という現実でどうして話せないのかを悔やむなら、その前の二年生のころを悔やんだ。どうしてあの時、グループに積極的に入らなかったのか、どうしてもっと早くそれに気づかなかったのか、と。それを悔やむとさらにその前に遡り、ハルカを苦しめる。
一つ前を悔やむとその前の出来事を遡り、悔やんだ。それを悔やむとその前の前に遡って悔やむという繰り返し。
悔やむ悔やむ悔やむ悔やむ……
それの繰り返し。その繰り返しから出た結論は無残な疑問。
どうして私はここにいるのか?
という、最終的な疑問。事実。
ハルカはそれに答えることができない。
その疑問はハルカの奥底にある笑うという感情を厭らしく蝕んだ。
どんなことを言っても、楽しくならなかった。笑えなかった。
なぜなら、ハルカにはその楽しい、笑うという感情を互いに伝える相手がいなかったから。
何かを憎む、より悔やむ。それも相手よりも自身を。それがハルカの傷だった。
幼馴染から言われたこと、そして今まで生きてきて、幼稚園から中学校まで友達がいたこと。その理由が否応なしにわかってしまった。
あの幼馴染がいたからこそ、ハルカは笑っていられたことを知ってしまった。
あの幼馴染が、ハルカの近くで支えてくれたから。
あの幼馴染が、自分よりもハルカを立ててくれたから。
あの幼馴染が、ハルカを大切にしてくれたから。
だからこそ、ハルカの周りに友達が集まったのだ。
だからこそ、幼稚園から中学校までハルカにとって楽しい生活が続いたのだと。そう認めさせられた。
(私、馬鹿だ)
悔やんでも、もう遅い。
失われた時間が戻ることなんてない。無かったことにすらできない。
もう、ハルカは笑わない。
あの幼馴染へ、どんな言い訳ができるというのか、どんなことを言えば顔向けできるのか、それがわからなかった。
今頃、自分の弱さに気づき、それがどうしようもない所まできても、ハルカにとってそれを語る相手すらいない。
いないのだ。
幼馴染の気遣いが今になってありがたく感じた。
「私は頼ってた。ずっと、ずっと。それすら気づかずに、私は笑ってた」
それが三年も経って、やっと気付けたことだった。
6
しかしそれが変わった。
ヨコカワカヨと出逢ったことで。
オオミヤソニックシティでしか話さない関係でも、ハルカにとってそれは信じられない出来事だった。カヨは不貞腐れたような面持ちで、ハルカの話を聞いてくれる。
「聞きたくない」という雰囲気を見て取れる態度をしているが、実際よく話を聞いてくれていた。
それがハルカにとって、この三年間で一番嬉しいことになった。
話す相手がいる。
それがただ、「うん、うん」と聞いてくれているだけの関係でも。それがただ、オオミヤソニックシティの広場だけの関係でも。
それだけで充分だった。
それだけで、ハルカの気分はずいぶん軽くなった。
カヨとハルカは大きく違う。性格も、格好も、態度も。
それでもハルカはカヨに共通している何かを見出していた。
友達とはこういうものなのかな、と思った。
だが、それもカヨによって振られてしまったが、ハルカは辛くも悲しくもなかった。
なぜなら、そう拒絶されても、カヨはオオミヤソニックに律儀にきて、ハルカとの関係を続けたからだ。
だからハルカも信じている。カヨもハルカのことを気に入っていると。
「信じていたい」




