【春二、出会いは春一番の悪戯だった】一幕、出会いは春一番の悪戯だった
春は出会いの季節でもあり、別れの季節でもある。
太陽が、ビルの片隅から顔を覗かせ、こっちを見ていた。
もう空は赤く染まっている。紅色の雲、ちらちらと夕日が、光る。
オオミヤソニックシティ、下の広場。
そこは、オオミヤソニックシティを出て、すぐ近くにある階段を下りる。その目の前にあるの が、その広場。この場所はオオミヤソニックの一階の出入り口が大きく口を開けていた。
日が傾いたせいか、ビルの陰が夕陽によって当たり一面を暗くさせている。
冷たい風。ビルの間をぬって時折、吹いていた。
「砂上の楼閣の上に立つ二人の女の子は、お互いの姿をどう瞳に映すのか?」
そう言って、アライハルカはぱたり、と読んでいた本を閉じて視線を上に向けた。
その表情は、少し寂しくも見える。
もう高校三年生で、あと一ヶ月もしないうちに、最後の卒業式がある。
ハルカにとって、高校生活が充実していたかと聞かれたら、上手く答えられる自信がなかった。仲が良い友達もいない。といって、別にクラスから嫌われているわけでもない。
本当に平凡な、同じ毎日を繰り返していた。
それが、辛いと思っているわけでもない。ただの同じ日だと思い込むだけ。
「……」
空は赤い。
ハルカは学校の帰り道に、必ずこの広場に寄る。そして道路から外れた静かなところで、階段の段差に座り、気ままに本を読む。
それに意味があるわけではない。
ただ、日が暮れるまで、そうやっていた。
同じ年代の人は、近くで遊んで笑っているのも知っていた。だからだ。
「…同じように、私も」
ハルカは階段から立ち上がり、スカートの汚れをはたく。左手には本を抱えながら、右手で、ぎこちがなさそうに、ぱたぱたと。
ハルカはこの場所が好きだ。
ちょうど風の通り道になっていて、ビルの隙間から身を震わせる風が吹く。だからか、あまり人も来ない。ここから少し歩けば、休むにはちょうどよい公園もあるからだ。
そこの方が、ここよりずっと子供がいて元気に遊んでいた。
人がいる公園よりも、人が少ないこの広場の方が、本を読むのに適していたのもある。寒ささえ我慢すれば静かでいい場所だった。
というよりは、ハルカにとって人間付き合いは少し苦手だった。
それを直したいと思ったこともある。
それが自分のネックだというのも薄々認めていた。認めるしかなかった。
(こんなとこ、誰も来ないよね……)
その時、強い一陣の春一番が吹いた。
「あっ!!」
持っていた本と、自分の持っていた袋を驚いて放してしまい、袋から幾つかの本が階段を勢いよく転がっていく。
それを取ろうとして、体の重心を崩し、ハルカはよろけた。
「……」
こけた先、ハルカは痛そうに足をさすりながら、自分の前に誰かいるのに気付いた。
上を向いて、確かめてみると、それは女子高生だった。こんなところにいるようには思えない外見。それはハルカよりも、もっと。
(わるっぽい)
それがハルカの彼女に対しての第一印象だった。
その姿は、茶髪のボブ、肩口で切りそろえられていた。さらに化粧も、小奇麗にそれもいやみったらしく、つけているのではなく、あくまで美しかった。
スカートも、短い。もちろんハルカと比べれば、月と鼈の差がある。ルーズソックスも履いて典型的な女子高生に見えた。
ただ、異質だったのは彼女の口にあった煙草だけ。それが悪の象徴でもあるかのように、異彩を放っていた。
「あ」
ハルカは突如、顔をその子から背け、恥ずかしそうに、はにかみ、散らばった本を拾おうとする。顔が真っ赤になってしまった。
「ちッ」
「え?」
それを見た、女がぶっきらぼうに口を鳴らし、屈んだ。
呆然と、その姿をハルカは眼で追っていた。
その女の手が、ハルカの落とした本に触れ、掴み、そして無造作にハルカの方につき返してきた。
「え?」
それも一冊だけ。
他にも散らばっているのにもかかわらず、その一冊のみ。
ハルカにつき返した。
「……」
まるで、とっとと取れと言ってるような目つきだった。
睨む眼を尻目に、ハルカはそれをおずおずと受け取った。
「あ、ありがと」
「アンタ、その制服、オオ校?」
品定めされているようにジロジロ見られて、ようやくハルカも相手の女の姿をしっかりと見ることが出来た。雰囲気や態度を見る限り、怖く見えたが、ハルカにはどうしてかそう思えなかった。
根拠はない。ただ、一つ言えば彼女の瞳の吸い込まれそうな黒に、なにかそう言った怖さではない何かがあるように思えた。
そして気付く。その女の制服にも、ハルカと同じ「なでしこ」の文様が記された襟章があることに。
「それ、あなたもオオ校なの?」
驚いたような表情をしてハルカが指差した先のそのマーク。
それは、まさしく同じ高校、オオミヤ高等学校の襟章だった。
オオミヤ高校には珍しく、校章が二つあった。男子には「やまぼうし」をデザインしたもの、女子には「なでしこ」をデザインしたものが、襟章になっている。
その二つが混在した、珍しい高校だった。
「アンタ、どっかで見たことがある……」
「え?」
ぐっと顔を近づけてハルカの顔を見られた。口の端にある煙草の煙が、ハルカの顔にかかる。
「アンタ、関のクラスだろ?私と同じ」
「!」
そう言われてハルカの頭の片隅に現れたのは、オオ校一の不良女子高生。
煙草を口に咥え、言葉遣いは悪く、髪は茶髪。なによりも授業のサボり癖が凄いため教師の間でも噂になっていた女の子だ。
「ヨコカワカヨ……」
「ちッ、なんだよ、知ってるのかよ」
ぶっきらぼうに顔を背け、煙草を口から離し、煙を寒空の上に向けて吐く。
ヨコカワカヨ。それが、不良女子高生というあだ名の真名。
ぷはーと吐かれた白い煙が、あっという間に見えなくなった。
相手の名前を自分だけ知っているのに少し罪悪を感じて、ハルカは自己紹介した。
「私はアライハルカ」
「聞いてねえよ」
ハルカの顔を見ずに、即答で否定された。
「ごめん…」
「謝るんじゃねえよ」
ならどうしたらいいのか。
ハルカには何が言いたいのかよくわからないまま、自己嫌悪に落ち込む。
「んで、学年一の秀才が何やってんだよ」
「へ?」
「だから、がり勉のあんたがなにやってんだよ」
一瞬の間があった。
「なんで、知ってるの?」
「知ってるも何も。アンタ、アライハルカなんだろ?有名じゃん」
キッと睨まれ、ハルカの体が硬直した。
自分のあだ名を知ってくれていた驚きとその鋭い目に、カヨの視線が外されるその瞬間まで、電池が切れたように体が動かなかった。
その動かない体を、ハルカのどこかにある黒い感情が奮い立たせた。
「……有名じゃない」
ぼそっと、口から出ていた。
ハルカの口から影がさしたように、何かを否定する。
「有名じゃない!」
もう一度。
「?」
「有名なんかじゃない!!」
最後にもう一度。より強く。
「……あ、そう」
「は?」
今度は、ぷいとハルカに背を向けて、前に歩いていく。そして煙草を放り投げ、ギュッとカヨは踏み潰した。
「かんけーねー」
「…………」
苦し紛れの一言なのか。
興味がただ無いだけなのか。
それとも他の理由なのか。
カヨはハルカの方を振り向かず、背を向けたまま、踏み消したはずの煙草を、まだ踏み潰し続けている。
「んで、アンタ何やってんの?こんな寒い所で」
まだ二月の一週目、木曜日。冷たさはまだスカートから出る足に感覚が無いほどの辛さを与えていた。
「本…読んでた」
「バカか?」
即答。
「ッ…」
「なんでこんな寒い所で。しかもなんで読書なんてしてるんだよ?」
その答えを一瞬、口から漏れ出しそうになって、ハルカはあわてて開けかけた口を閉じた。
「……いいじゃない、なんでも。ここが好きだから、いるの」
また、バカにされそうになるのではないかと身を強張らせて待っていたが、カヨの答えはハルカが想像していたものとは大きく違った。
「んー。ま、確かにいい場所…だな」
ヨコカワカヨはこちらの方を向いて笑ってそう言った。
2
同じクラスだから。
その事実が、アライハルカにとてつもない勇気を振り絞らせた。
出会いから、まだ一日たっただけ。
昨日のことについて、ちょっとだけ話したいと思った。
ザワザワと話し声が飛び交う中で、ハルカは決心した。
休み時間、アライハルカは思い切って、ヨコカワカヨの席までいき、話しかけてみた。
「こんにちは、昨日は……」
ありがとう、と。言おうと思っていた。
だがそれを聞かず、ヨコカワカヨは席を立った。
精一杯の勇気を振り絞ったはずだったのに、カヨはハルカを視界に入れることなく、その横を通り過ぎた。
まるで、そこには誰もいないみたいに。
はっと息を吸ったまま、その通り過ぎる姿を目で追い、適わない思いが自分の手のひらから、離れていく。
クラスメートに視線が、ちくちくとハルカの体に突き刺さる。
カヨは、ハルカを無視したのだ。
あの時と一緒だ(・・・・・・・)。
自分の甘さをまた知って、心が沈んだ。
昨日逢っただけ。
それだけの関係でしかない。確かにそれだけだ。
でも、アライハルカにとって、また学校で話しかけてもらいたかった。
昨日のことがきっかけで、例えそれが不良女子高生でも仲良くなれるのではないかと、思っていた。
そうなってほしいと、信じた。
ハルカの思い込みだ。
「バカだ、私……」
また勝手にそう思って、と心の中で一言。
俯いたまま自分の席に戻るため、クラスメートの席を避けながら戻った。
ハルカの周りには、まだ親しい友達はいない。
3
今日は最低の一日だったと、ハルカは思った。
必ず努力は報われると、頑張った分必ず報われると、そう信じていたが、やはり救いなんてない。
オオミヤソニックシティの広場へ通ずる階段。
読みかけの本をバッグの中から取り出しながら、周りを見渡した。
日も傾き始めて、もう少ししたら空も赤く染まり始める。
まだ二月にしては寒い陽気。太陽の光は暖かい日差しが射すが、マフラーは手放せなかった。
またアライハルカの1人の時間が始まる。
「……ふー」
何かの吐く音が聞こえ、ハルカの注意がそっちに向いた。
「ヨコカワカヨ?」
そこには、なぜか彼女がいた。
オオ高一の不良女子高生が。
煙草を吸いながら、白い煙を吐き出して階段の一番下の段差に座っている。
そこはハルカの特等席だ。
ハルカはカヨの近くまで歩み寄り、声をかけた。
「どうして、あなたがここにいるの?」
「いちゃいけねーのかよ」
また即答。
「ここ、私の場所なんだけど?」
「アンタの持ちもんかよ?」
けたけた、と笑ってハルカを拒絶した少女は憎まれ口を利いた。
「ん?」
ハルカはマフラーを握り締め、本を落とした。それを拾おうとはしなかった。
「本、落としたぞー」
「なんでよ…」
ふるふると、ハルカの体が小刻みに震えていく。まるで、感情が制御できなくなってしまった壊れた人形。
「なんで!」
泣いていた。
ハルカが、泣いていた。
「う、う、…」
拒絶されたのに。
否定されたのに。
なのに、なぜそこにそれをした本人がいる。
何のため?
どうして?
証明不可能のパラドックスみたいに複雑に絡みつく。
「なんで……」
無視したの?その言葉を必死に飲み込む。
言ってはいけない。
それは聞いてはいけない質問だ、というのも薄々わかっている。
「なんで…」
「あのな…ここ、アンタより、先にみつけのは私だ」
と、意味不明な言葉が返ってきた。
「ここ、煙草吸うのにいいだけ。だれにもみつかんねーからな。気のままに吸える」
ヘビースモーカーか。
「……」
鼻をすすりながら、カヨを見つめる。
「立ってねーで座れよ。ここがいいんだろ?」
ぽんぽんと、カヨは自分の横の段差を叩いた。
「え、…うん」
促されるように、カヨの隣に座る。
その前にバッグからハンカチを取り出して、段差にしく。
それからスカートが皺にならないように座った。
「汚れてもいいじゃん、んなに気にしなくたって?」
「……習慣なだけ」
「は?」
「いつもそうしてるから、そうしてるだけ」
カヨは首を傾げて、ふーと煙を吐いた。
煙は、息と変わらず白いまま消えていく。
「いみわかんねー」
ハルカはそのまま膝を抱えながら、顔を膝にくっつけた。マフラーが地面についてしまっている。
「本、読まねーのかよ?」
「だめ?」
「ん、だめじゃねーけど」
恥ずかしそうに、はにかみながらカヨは頬を掻いていた。少し顔が赤くなっているようにも見える。
「言っとくけど、無視したわけじゃねーから」
急にカヨが切り出した。
「は?」
振り向いて、カヨを見つめる。
「アンタと私じゃ、釣り合いが取れてねー。アンタとじゃ、あわねーだろ?学年一の秀才と不良女子高生じゃ」
「……」
それは、ハルカのことを心配してそういったのか?
(私の評判が落ちないように?)
もし、話していたら、学校の先生からも目をつけられることもありうる。
恐喝、とかいじめられているとか。
そんな根も葉もない噂も、噂好きの女子クラスならわからない。
ぽいっとまた煙草を前に放り投げていた。
「そんだけ。じゃ」
そう言って、カヨは立ち上がる。
皺になったスカートも気にせずに、少しだけはたいて、階段を上っていく。
「待って」
「ん?」
カヨの白いマフラーが揺れた。
「また、ここに来る?」
「なんで」
「あ、その… また話せるかな?」
ハルカの視線が泳ぐ。
まるで可愛らしい子犬のように。
「いかねー」
「……」
即答。
「だけど、煙草は吸いに来る。言っただろ?ここは私の場所だって」
そういい残して、カヨはオオミヤソニックを後にして帰っていった。
残されたのは、煙に包まれたハルカ。
結局来るのか来ないのか、良く理解できないまま、たちつくすことしか出来なかった。
春にはまだ寒いビル風が容赦なく吹き付けてきた。
考えても仕方ない。
アライハルカは本も読まず、ヨコカワカヨが帰っていった階段を上る。
律儀なことに、ハルカはカヨが放り投げた煙草の火をちゃんと消すために、もう一度オオミヤソニックの広場に戻ってきて、吸殻を踏み潰してから帰った。




