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0、春の一日は終わり、桜は咲く前に散った

次の日の病院。つまり、彼女の誕生日。

昨日約束したマフラーを手に持ちながら、気分はうきうきしていた。

あのマフラーが欲しいなんて、可愛いよな、なんて思いながら、アヤメの病室の前で深呼吸。

喜んでくれるのか、と疑問に思う。

まずは、彼女の顔を見るのが先決だ。

そう思い、勢いよく引き戸を引く。ノックをしないのはブラックジョークを織り交ぜた俺なりの意地悪だ。

彼女の怒った顔を想像し、少し顔がにやけてしまった。


「ウソだろ」


だが、彼女はいなかった。

約束した、赤いマフラーをぽろりと地面に落とす。

彼女の病室はもぬけの殻。無機質な、ベッドがあるだけ。

そこに、彼女がいた痕跡は見られない。

まるで最初からいなかったような、幻を見ているような衝動に駆られた。

分からない。


「なんだよ、これ」


まるで意味が、分からない。

昨日までは、確かにここにいた。

彼女が、ここに。

だって、昨日、ここで、俺に…あやめを一輪…


「くれたじゃないか…」


窓際の花瓶には、わざと残されたかのように、枯れたあやめが一輪だけ挿してあった。

茶色になった、それが。


「どこに…」


約束した。桜が咲いたら、一緒に見ようって。

それで、くちん、って笑った。

そんな思い出すら、完全に否定されたかのように、真っ白だった。


「タケマサさん…」


後ろに、ミユキさんがいた。

その姿を見て、俺は我慢できずに泣いていた。


「み、ミユキさん…アヤメ、どこに…っ…」


泣きすがった。

汚く、惨めに、訳が分からなくて、すがった。


「イツキさんは…もう、いません…」


「うぁっ?」


一瞬、何を言っているか、分からなかった。


「いないんです」


もう一度、最後の宣告を、俺に聞こえるように、はっきりと…


「う、そだ…」


死んだ?


「うそだ!だって、アヤメはあんなに元気で、昨日までも、俺にあんな笑顔見せて…」


生きていたのだ。

ありえない。そんな、だって、ほんとに…


「ごめんなさい、詳しいことは言えないの。まだ、時間も経っていないから」


最後の砦を、その言葉が簡単に壊した。

信じられないのではなく、これが真実なのだ。

受け入れた途端、出てきたのは耐えられないほどの後悔だった。


「お、オレ…何も、して、やれな…かった!」


大粒の涙が、止めようとしても止まらない。

どんなに堪えようとも、涙が勝手に、溢れてきた。


「タケマサさん…」


桜を、一緒に見てやることすら出来なくなった。

何一つ、アヤメにしてやれなかった。

金がないから、彼女の好きな菓子詰めを買わなかった。

言い訳して、アヤメの好きなものを買ってやれなかった。

それが、ただの、オレの、赤いマフラーで。

何より、誕生日おめでとうすら、言ってない。

何も、出来なかった。


「オレ、バカだ…」


とてつもないバカだ。


「こんな事になるなら、アヤメに言うんだった…」


素直に。好き、と。

ただそれだけの、たった一言を。


「…知っていますか?タケマサさん。昨日、イツキさんがあげた一輪のあやめの意味を」


鼻をすする。


「?」


「あやめの花言葉、あなたに、託した言葉です」


男の俺が花言葉など知るわけもなく、ただフルフルと首を横に振った。

ミユキさんの言葉を理解するのに精一杯だった。


「真実の愛、です」


そう、言った。


「聞こえません」


「………タケマサさん」


聞こえねぇ、ともう一度大きな声で、怒鳴る。

頭で理解するのが怖い。ミユキさんの言葉を聴きたくもなかった。


「彼女は、あなたが好きだったのですよ」


「違う!」


妙に早く反論できた自分に、自分自身驚いた。

彼女は、俺を好きになるわけがない。好きになったはずがない。

それだけは違う。


なぜなら、俺が、彼女を好きになっていたのだから。


だから、好きだったのは俺だ。


「オレなんだ…」


「?」


「好きだったのは!オレの方だったんだッ!!」


空しく、病室に怒鳴り声が、響きわたった。

その思いすらも、残らず、消えていく。


「でも!オレは、何もしてやれなかった!桜を一緒に見ることも!彼女の好きなものすらあげられなかった!まだ、誕生日おめでとうも言ってない!」


「………」


「…何より、好きって言ってやる事も出来なかったッ!!」


出来るなら、最後に、逢いたかった。

最後に別れの言葉を言わせて欲しかった。

たった一言でも良いから。

もし、魔法が使えるなら、今すぐ時間を戻してしまいたい。

もし、願い事が叶うなら、サヨナラを言いたい。

でも、出来ない。そんな夢みたいな事は出来ないのだ。

それを見てか、ミユキさんはポケットから何かを取り出して見せた。


「これを」


差し出されたのは、茶色の封筒だった。

涙を拭って、その封筒を確かめる。

表書きには、慎ちゃんへ、と書かれてあった。


「こ、れは?」


「彼女から、預かったあなたへの手紙です。開けてみてください」



封筒の中には、一枚の紙が入っていた。

そこには、たった一行だけ、彼女の字で書いてあった。


『忘れない、あなたと過ごした短い春。好きだよ、慎ちゃん』

と。


それだけ書いてあった。

俺はそれを見て、自分の思いを抱いて、無様に泣いた。



「俺も、忘れ…ない…」

と、それだけ言うのが精一杯だった。




END

あやめ、一輪。枯れたまま、花瓶に残されたまま。 生きている。

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