4、真実と大切なもの
それから一ヶ月、もちろん俺が、退院してからも、ちょくちょくとあやめに会いに行き、二人の親交を深めた。
「ねえ、慎ちゃん」
この呼び名になったのも、本当につい最近のことだ。それまでは、しんぴー、なんていうあだ名で呼ばれていた。どちらも恥ずかしかったが、これもこれで、嬉しい。
「なに?」
「あそこ、見て」
窓際のほうを指差す。
そこには何もない。
「違う…、外。外だよ」
三階のこの病室からは中庭が見えた。
患者がまばらに看護師と一緒に歩いているのが見える。
「桜、か?」
「うん」
その窓からは、あの枝だけの、枯れた桜が一本立っているのが見えた。
俺たちが初めて出会った場所。
そしてアヤメが好きな場所でもある。
「それが、どうしたんだ」
「咲かない」
「?」
「咲かない」
「??」
「咲かない」
意味が分からなかった。
何度も繰り返す。まるで壊れたレコードのように。
咲かない、と。
「あの桜、好き。でも、咲かない」
知ってる。
アヤメがどんなに、あの桜が咲くのを心待ちにしているのかを。
だっていつも見ている、ここから。
それか、桜の木の前のベンチで。
「咲いて、欲しい?」
「…」
聞いてはいけない質問だったのかもしれない。彼女は、少し黙って、言った。
「知ってる?願いが叶う宝石の事」
「え?」
返ってきた答えは、質問と違うものだった。
「私も、ミユキさんから聞いただけで、よく知らないんだけど。どんな願い事も叶える宝石があるんだって。三つまでだけど。透明の光る玉のような宝石らしいの」
聞いたことが、ない戯言だった。
でも、言っているアヤメ本人の顔は真剣そのものだった。
何か、言いたいことがあるらしい。
「なら、お前なら…」
「?」
「もし、魔法があるとして、お前なら、何を叶えたい?」
「慎ちゃん?」
見ているこっちが苦しくなってしまった。
いつものアヤメと違う。いつもの覇気がない。
まるで、そう。あっけなく散っていく桜の花びらみたいな感じがした。
なら、俺に出きることは何だろう。
「明日は、誕生日だよな?」
「え」
「叶えてやるよ。魔法使いみたいに。その願いが叶う宝石のようにさ」
驚いたようだ。
自分自身も、驚いている。こんなことを言える、なんて思っていなかった。口から勝手に出てしまっていた。恥ずかしい。
きっと彼女も、ふざけていると、分かっていて笑い飛ばすだろう。
そんなこと、俺には出来ないことも知って。
「ほんと?」
「うぇっ?」
だが、本気にしていた。
「あ、いや、その」
「ほんとのほんと?」
口から出た錆だけど、彼女のためなら、やってもいいと思う。
それに、そんな風に叶えて欲しいなんて、子供みたいで可愛い。
「ああ、わかった。でも…」
「それなら、宝くじ一等!それと、私の好きなお菓子いっぱい!あと…」
それと、俺が出来る範囲内でなら、と言おうとしたが、聞いていなかった。
そんなの無理だ、と心の中でぼやく。
「あと、あの桜を咲かせて。花咲かお爺さんみたいに!」
「!」
「いっぱい、さくら!は……くちんッ」
可愛いクシャミをまたしてくれた。
「ぷ…、はははッ」
「慎ちゃんのバカちん!」
顔を真っ赤にして、怒るが俺の笑いは止まらない。
「あは、ごめ…。だってお前、はは。だけど、今言ったのは無理だよ、はは」
「だって、何だって良いって、慎ちゃんが言ったじゃない」
「だからオレの出来る範囲で、考えてくれよ」
言う前に、お前が暴走したんだよ、なんて言えない。心の中に、押し込んで封印。彼女は、うーんと悩む仕草をする。そして言った言葉は、
「無理」
「即答すんな!」
「だって…」
「んなら一つ目は、当たりくじなんて無理だから、宝くじを買ってきてやるよ(アヤメの金で)。今なら、ほら。確かグリーンジャンボだろ?間に合うはずだ」
「それって…」
「そう、当たるかはずれるかは運次第。オレだってエスパーじゃないんだから、当たらせるなんてのは無理だ」
そんな事が出来れば、俺だってもう億万長者になっている。
「…逃げてない?」
「無理言うな。出来ないものは出来ない」
そう言うと、彼女は頬を膨らませ、苦い顔をする。
俺だって引かない。引けない。
「なら、いい」
ツン、と顔を背け、彼女はひねくれモードへ突入。
「しょうがないだろ。それは無理だよ」
「……」
口を閉ざしたまま、こっちの顔を見もしない。
完全に拗ねている。
「アヤメ…」
「それなら、二つ目は大丈夫だよね。私の好きなお菓子を買ってきて。杏子屋の菓子詰め。これからそんなに高くないし、大丈夫だよね?」
そうだな、と言いたい。だが、それは言えない。
今日買ってきたあやめの花束で、お金が底をついてしまった。ただでさえ、お金が無くそのお菓子の菓子詰めを取り止めたのだから。
しかも、その文無しの理由は、自業自得で遊ぶお金に消えてしまった。
そのまま、脱兎の勢いで、俺は平謝りの姿勢に。ぺこり。
「ごめんなさい」
「……ダメ慎ちゃん。……それなら、マフラーがいい」
「まふらー?」
それは考えていなかった。
しかも、慎ちゃんの赤いマフラーがいい、というのだ。
「オレの?」
「うん。……だめ?」
甘えるような声で聞く、と思う。そんなんじゃ、断りきれない。
考えれば、菓子詰めと比べ、お金も掛からないだろうし。
それに、自分のマフラーとなれば、自分の経費は0。
これほど、楽なものはなかなか無い。
「そんなんでいいのか?」
でも、お金が無いといっても、そんな物じゃ、男として恥ずかしいと思う。
自分の使い古しより、店で買った方がいいのも確かだ。それぐらいのお金はある。
それに、女の子の前だから良いカッコしたいというのもある。
でも、アヤメはその問いにも、ふるふる、と首を振り、受け付けなかった。
「私は、慎ちゃんのがいいの。あの赤いマフラーが欲しい」
「分かったよ。明日にでも持ってくるよ」
確か、タンスの中にしまいっぱなしのはず。家に帰ったら、速攻に探さなくてはいけない。
「じゃあ、三つ目のお願いは、桜を咲か―」
「無理」
少しからかって、間髪を入れずに断ってみた。今度の彼女は、呆れモードに変化。
「はぁ、慎ちゃん…何も出来ないんだね」
「当たり前だ。そんなん出来たら、オレ、歴史に名を刻んでる」
「じゃあ、それならせめて、私と行って。あの桜が咲いたら、一緒に見てくれる?」
グレードがいきなり落ちた。
俺って、本当に甲斐性無しなんだと初めて思い知る。そんな自分に少し落ち込んだ。
「分かった。あの桜が咲いたら、アヤメと一緒に見に行こう」
「約束だよ」
そう言って、俺が持ってきたあやめの花を一輪、俺に差し出す。
紫色の花が付いた植物を、一輪差し出す。
「?」
「私との約束」
だから、受け取って、と言いたいらしい。
意味も分からぬまま、約束をした証明として、俺は手を伸ばした。
紫の花が、アヤメの手から、俺の手に渡される。
「私の気持ちだから」
「え?」
「慎ちゃんは優しすぎるよ。私の為に、何度もお見舞いに来てくれて。そしてこうやって私と話してくれる。それだけって言ったら、それだけかもしれないけど。でも私にとって本当に幸せ。幸せなの」
心の寂しさを、彼女は吐き出した。その顔は、苦しいものではなく、安らかな表情だ。
俺はアヤメのその姿に、目を奪われていた。それは確かだ。
「だから、慎ちゃんも。私と約束して。どんなことも嫌にならないで」
「………」
貰ったあやめをぎゅっと握りしめた。
「私はアヤメ。だからそのあやめは、私と同じ。お守り………は、くちんッ」
「………」
「………」
「ぷ、ははは」
「はははは」
二人して、笑った。今度は。少しの間、一緒に笑いあう。
ひとしきり、笑った後、アヤメがコホコホと咳をした。
少し調子に乗りすぎたらしい。
「もう、寝ろよ。オレ、もう行くから」
「うん。明日忘れないでね」
「分かってる、じゃあな」
「約束だよ、慎ちゃん。バイバイ」
俺も、片手で手を振り返す。そして、病室を後にした。
それが、最後の言葉となった。
俺がアヤメと最後に言葉を交わした瞬間となった。
俺がアヤメの笑顔を見た最後の瞬間となった。
それを、俺は知らない。




