2、聖バレンタイン、回想
出会ったのは、俺がこの病院の中庭で歩くリハビリをしていた時のことだった。2月の寒い空気に、マフラーもまだ手放せない陽気だった。
太陽の光は、しっかりと大地に降り注いでいる。でもその暖かさも、まだ感じられない。
ここの付近では2月に雪が降る。
その名残か、まだ溶けきれていない雪が木の枝に残っていた。
目に付いたのはそれだけじゃない。
誰もいない寒い中庭に、古びた木のベンチが一つ。
そして、その近くに車椅子に乗っている女の子がいた。
「?」
その女の子は泣いていた。
上を見て。泣いていた。
長い髪、流れるような黒髪に、少し顔立ちは幼くも見えたが、整っている方だと思う。
安物か、分からないが桜の髪飾りが、チョコッとつけられていた。
乳白色のコートに、薄いブルーのショールを巻いて、膝には可愛いウサギが描かれた膝掛けがあった。
彼女は寒そうに、白い息を吐いて、上を見つめていた。
その視線を追いかけるように、視線を向ける。
その先には一本の桜のみ。
枯れた、枝だけの、たったそれだけの。
「私、春が好き」
「……は?」
その濡れた顔で、見つめられた。
一瞬、心臓の鳴る音が、ドクンと高鳴ったのが分かった。
「あなたは、どう思う?」
そのまま、彼女は笑った。目じりに透き通りそうな悲しみを残しながら。俺に話しかけていると気づくのに数秒。そして我に返った自分があげた第一声は災難だった。
「うぇっ?オレ?」
「うぇっ??にはは…なにそれ」
ぼっと、火が灯ったように顔が赤くなったのが分かった。
うぇっ、とか、うぁっ、などの口癖は幼少からの癖でなかなか直らない。もちろん、直そうとも思っていない。
「あ、いや、その…」
急に恥ずかしくなって、顔を背けた。最悪だ。
一回、鼻をすする。
「君は、ここで何やってんの」
ありふれた言葉しか出てこなかった。
「………桜、好き」
「は?」
足が辛い。
「あのピンク色の。花びら。ちらちら。あれが好きなの」
でも、まだ2月だ。梅なさいざ知らず、桜が咲くのはずっと咲き。
春は遠い。
そう言うと、彼女は
「しってる」
と愛想笑いを見せた。
そして、ゆっくりと立ち上がって、枝だけの桜の方へ歩き出した。
膝掛けが、はらりと緑の芝生に落ちた。
桜の前まで来ると、空を仰ぐように両手を空にかざす。
「もし、魔法が使えたら」
と、目を瞑って彼女は言った。
次の言葉を溜めている。彼女の心の中で、ぎゅっと深く噛みしめているように。
「桜いっぱい……くちん」
待っていた言葉の途中で、思いっきり可愛いクシャミをしてくれた。
「あはははっ、面白いっ。お前、面白いよっ」
さすがに
「くちん」
は可愛すぎる。本当に面白い。
今度は彼女がリンゴみたいに赤くなった。
「……ばかっ!」
ぷいっと、横を向き、すたすたと自分の車椅子に戻る。
その途中で、べぇーっと舌を出して、悪態をつくのを忘れないのがまた、笑えた。
「ククッ…おい、ちょっと待てって」
「なによ、このバカちん」
バカちん…なんて言葉、久しぶりに聞いた。
笑いを堪えるのにまた、一苦労だった。
「イツキさん、もう中に入りましょうか?」
振り返ると、すぐ近くに看護婦が立っていた。
きっと彼女の面倒を任せられているのだろう。
柔和な顔が印象的な人だった。
「ミユキさん…分かりました。今行きます」
ゆっくりした足取りで車椅子に向かう。
俺も彼女に追いつくために松葉杖で急いだ。
追いつくと、彼女は寒いのか、両腕を絡ませて震えているのに気づいた。
「ほら、寒いだろ。マフラーやるよ」
彼女の首もとに自分がしていた赤いマフラーを巻いてやった。
笑わしてもらったお礼に。
「!?」
驚いた顔を一瞬見せた後、急に俯かれてしまった。
「なんだよ」
そう言っても、彼女は面を上げてくれない。
無口のまま、俺の少し前を歩く。
車椅子の所まで来たとき、やっと口を利いてくれた。
「……ありがと、じゃあね」
口が面白いわりに可愛いことを言ってくれる。
別れの挨拶代わりに、惚れるか。なんて戯言を言ってみた。
彼女から返された言葉は
「バカ」
だった。
そのまま中庭を後にする。松葉杖を無様について。
まあ、こんなバレンタインもましかな、なんて思いながら自分の病室へ戻る。
背後には、まだ看護婦とあの女の子がにこやかに話している。
面白い女の子だ、と思った。病院にそぐわないおかしな感じで、楽しかった。
彼女がこんな所にいるのが、不思議だった。
だけど、何も知らない自分がそこにはいた。
これが名も知らない少女と俺の出会いだった。
後、年を聞いて同い年だと言うことに腰を抜かしたことは秘密だ。




