五幕、それはまるで映画のワンシーンみたいで
三月一週目、卒業式
君が代。仰げば尊し。
歌っても、高校生活の終わりが来たなんて実感がない。
ヨコカワカヨは卒業式も休もうと思っていたが、先生からの催促で仕方なく出席。
出ようと思ったのは、高校生活の最後だからというわけではない。アライハルカが来ていると思ったから。
アライハルカに大事なことを伝えようと思っていた。
だが、おかしい。
必ず、卒業式には出席すると思っていた。
なのにアライハルカはいない。
余程のことがない限り、普通はこの行事を休もうなんて考えはしない。
カヨみたいに面倒くさがって来ない場合はあっても、ハルカがそんなふうに休むとは思えなかった。
教室に戻ったとき、ハルカはまだ来ていなかった。遅刻したのかもしれないと考えていたカヨにとって、それは最悪なケースになる。
アライハルカと出会うのは今日が最後なのだ。今日を境に、関係がなくなってしまうのだから。
時刻は11時を過ぎたところ。
クラスの女子が何人か泣いている。
そんな姿を見ても、カヨは感慨すらない。頭の片隅にあるのは、ハルカのことだけ。
卒業式に来ないハルカのことが、カヨの心をいらつくかせた・
そんなことを考えていると、教室のドアが開き、担任が顔を覗かせ誰かを探している。
「ヨコカワ。ちょっと来い」
「あ?」
手招きされてカヨは仕方なく廊下に出る。
そういえば、卒業式の予行日を無断で欠席していたことを思い出し、それでまた説教を食らうのかと内心うざかった。
担任は卒業式を終えたばかりなのか、いつもの私服ではなくスーツ姿だった。
「なんすか?」
「ふぅ、お前な…」
このパターンは説教だ。
一年間もつきあえば、怒られるのかそうではないのかぐらい分かる。
「ちッ、昨日サボったのは謝ります、ただ用事があったんです」
不機嫌な声で、つらつらと話すカヨ。
「そのことは後で聞こう。ほら、お前に渡せと頼まれた」
「?」
手渡された、茶色の封筒。
丸まった女の子らしい文字でこう書かれている。
「アライハルカ」
「!」
「転校したアライハルカから、お前にだそうだ」
転校。
「あ?なんだソレ。転校?聞いてねーぞ」
「ああ、知らないはずだ。昨日それを皆に言ったのだから。お前がいなかった昨日」
昨日。カヨが欠席した日。
「うそ……うそだ!」
「本当だ。アライハルカは昨日を以ってこの学校を転校した」
耳に入った瞬間、頭で認識する前にそれを感情が握りつぶした。
信じられなかった。
やっと、自分の心に整理がついてそれを告白しようと思っていた矢先。
「お前、アライハルカと仲が良かったか?」
担任の疑問。無視。
茶色の封筒から一枚の手紙を取り出す。
その手紙はよく友達同士がやりとりするような可愛い便箋だった。
それを開けて中身を確かめる。
「なんで!黙ってた!!」
「お前、先生になんて口を… アライが誰にも言わないでくれ、と。そう言ったからそれを尊重した」
カヨの心が揺らぐ。
便箋には以下のように書かれている。「オオミヤ駅。12時13分の電車」と。
それを見た瞬間、カヨの中で何かが壊れた音がした。
次の瞬間、カヨは担任を突き飛ばして走り出していた。
その紙に書かれている場所に。
オオミヤ駅に。
アライハルカに会いに行くために。
時間は丁度一時間をきったところ。
(今からなら、まだ間に合う!)
廊下をかけ、玄関についてそのまま外に出る。外履きに履き替えず、上履きのまま。
無我夢中で。
荷物は、教室に置きっぱなし。定期券も、何も。
あるのは小銭入れだけ。偶然制服のポケットに入っていた。
追いかける。
大事な人を放さないために。
ヨコカワカヨは必死に走る。
アライハルカを追いかけて。
2
カヨはオオ校からバスには乗らず、徒歩でサイタマシントシン駅まで走り、電車でオオミヤ駅に行くルートを選んだ。
バスを使うより、電車の方が速いと思ったから。
幸いにも、スムーズに行くことが出来た。
サイタマシントシン駅についた直後、すぐタカサキ線カゴハラ行きが来た。それに揺られること10分。
オオミヤ駅に無事に着いた。
時刻は11時55分。ハルカの出発までまだ時間があった。
(間に合った…)
だが、すぐに次の問題にぶち当たった。
この広いオオミヤ駅のどこにアライハルカがいるというのか。しらみつぶしに探していたら、タイムリミットがあっという間に過ぎてしまう。
電光案内掲示板を見に行くにも、その電車がどの番線から出るのか分かっても、その見に行く時間がロスになってしまう。
八方塞だった。
携帯電話で乗り換え案内の検索をすれば何線かぐらいはわかるが、その肝心の携帯電話を教室のバッグに忘れてしまっていた。
「ちッ」
舌を鳴らして自分の運のなさを恨む時間すら惜しい。
仕方なく、今ついたこの7・8番線のウツノミヤ線・タカサキ線のホームを走って探してみることにした。
人はあまりいなかったが、学生服の人は少ない。これならすぐに判断がつく。
時刻は12時丁度。
(時間がない…)
探しても、探しても。
アライハルカは見つからない。
プラットホームを間違えたのかもしれないという疑念がカヨを満たし始めた。
(はあ、はあ、はあ)
息切れと心臓の音が早くなるだけだった。
タイムリミットまで、あと5分を切っていた。
「くそッ!」
こんなときに走りにくいスカートが邪魔だった。
もう会えない。
その感情がカヨのなかで色濃くなった瞬間、風が吹いた。
春一番の悪戯が。
思わず顔を背け、目を瞑ったカヨ。
風が収まると、ゆっくりと目を開けた。
その先。
その先に。
彼女がいた。
偶然にも、アライハルカがいた。
横に荷物を置いてベンチに座っていた。
アライハルカがいたのは、5・6番線プラットホーム。タカサキ線とウツノミヤ線の上りだった。
カヨがいるのはその下りのホーム。逆側。
「ハルカ!!」
大きな声で名前を叫んだ。
その声に気づいたのか、アライハルカがこちらを見て驚く。
「カ、ヨ?」
信じられない表情をしていた。
なんでここにいるの、と。そんな感じに見えた。本来なら、まだ学校は終わっていない。
「ハルカ、私。アンタが!ずっとす―」
「――」
悪戯だった。本当に悪戯だった。
その声はハルカに届くことなく轟音にかき消されてしまった。
時刻は12時13分。
カヨとハルカの目の前。ハルカが乗る電車が立ちはだかったことで。
その声がハルカには届かなかった。
「ハルカ…ハルカ!!」
何度呼んでも、その鉄の塊が邪魔して声を遮っていた。
見えない。
アライハルカが見えない。
(なんで!!)
見渡しても、アライハルカがどこにいるか皆目見当がつかなかった。
ドンドン
何かを叩く音がしたように感じた。
それは、アライハルカが電車の窓を叩く音。
実際は何も聞こえない。
だけど、確かに叩いてた。
「ハルカ! 私、知らなかった。アンタのことがこんなに、好きだったなんて!」
力の限り大声で叫んだつもりだった。
アライハルカの表情は正に困惑しているようにみえた。
必死に何かをカヨに訴えかけている。
首に横に振って、泣きながら。
(聞こえない)と。
「なんで!なんで!」
思いが伝わらないのか。
せめて、声ぐらい届かせてくれても。
やっと、出会った大切な大事な友達。
一緒にいるだけで。それだけでいいから。
たったそれだけの関係だったけど、この思いだけは伝えたい。
カヨの瞳はもう涙で溢れそうになっていた。
電車のドアが閉まるメロディーが響く。
二人の声が通じないのに、そのメロディーだけが響く。
ドンドン
たった一枚。鉄の一枚が。二人を分かれさせていた。
アライハルカが何かを言っている。
一つ一つ丁寧に発音。
その言葉は。
(と・も・だ・ち)
それはまるで映画のワンシーンみたいだった。
声は聞こえない。
なのにハルカの口の動きでカヨは何を言っているのかが分かった。
大事な一言。
それはカヨが言いたかった一言。
近くにいても、言葉が、伝わらないこの状況で。ハルカは精一杯気持ちを伝えていた。
ただ、カヨは何回も頷くだけ。
頷いて、ハルカを見つめるだけ。
それ見たハルカは安心したようにゆっくりと笑った。自分の意志で。
アライハルカが笑っていた。
電車が動き出す。
それと同時にカヨは走り出す。そのスピードについていけるはずもないのに。
ただ、できるだけ、できるだけ追いつくために全速力で7・8番プラットホームを走る。
黄色い注意線の前。
人とぶつかっても、押しのけて走った。
サラリーマンを。
若者を。
ただ、ハルカの乗っている電車を追いかけて。
手は届かない。
届くどころか、ハルカの姿が遠くに離れていく。
それでも走るのを止めない。
止められなかった。
アライハルカがカヨをずっと見つめてくれていたから。
カヨの手だけが泳ぐ。幻を掴むみたいに。
「あッ」
カヨは躓いて地面に転び、バランスを失った。
すぐ気付いて、視線を戻したときにはもうハルカをのせた電車は遙か彼方に消えていた。
「ハルカ…ハルカぁああああああ!!」
我慢できなかった。
他の人に変に見られようとも。どうでもよかった。
ただ、大事な人がいなくなって、その喪失感に心に穴が空きそうだった。
気付いた時にはカヨは大声で泣いていた。
電車が行ってしまった先をずっと見て。
その先にハルカがまだ見ているように思えて。
泣き続けた。
泣き続けた。
なぜ、もっと早く気付かなかったのか。
もう少し早く出会えれば、そうすればよかったはず。
なのに、そう出来なかった。
その感情が、カヨを泣かせ続ける。
(ハルカ、ハルカ……ごめん)
その大粒の涙が、ハルカの思いと一緒に流れる。
「友達……う、ぐ、う…とも…だち」




