東京駅
乗降客数日本一では無いものの、ホーム数や乗り換え客、駅の総敷地面積などを鑑みると、やっぱり日本一の駅と言えよう、東京駅。
物語はそこからスタートする。
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『次は、東京ー東京ー。新幹線、東海道線、横須賀線・総武本線、京葉線、中央線、東京メトロ丸ノ内線はお乗りかえです。』
山手線の運転手になって早5ヶ月。首都圏の大動脈として動く路線の一端を担っているという責任感にはまだ慣れない僕は、毎日がいっぱいいっぱいで、業務がやっと終了して、東京駅の詰所に戻って一休みしようと、詰所のドアをノックすると『どうぞー』という女性の声の返事があった。
ここで男性の声だったら高速鉄道の運転手かもしれないから僕は多少緊張しながら入っただろうが、ただでさえ倍率が高く男女平等と言いつつも、圧倒的に採用率が低くなる女性の高速鉄道運転手なんてレアキャラが在来の職員しか使わないような詰所にたまたまいるはず無いと「どーもー」なんてユルい挨拶で、ベストのボタンを外しながら入っていった先には……
天下の高速鉄道運転手の制服を着た方、要は上官(しかも可愛い系美人)が座っていらっしゃった。
刹那、僕の背筋は凍りついた。
上下関係の厳しいこの業界。下手したら相当マズイ事になりかねない。僕は咄嗟に頭を下げた。
「すいませんっ! 僕っ、上官がいるとは思わずっ」
すると、目の前の上官は、きょとんとしていたが、しばらくすると箍が外れたように吹き出した。
「え……上官? どうなされました? 」
僕が問いかけても笑っているばかり。ちょっとイライラしながらもう一度問うと、笑いながら答えてくれた。
「いや、君みたいに潔い子、久しぶりに見たよ。気に入った。私はちゃんと謝ってくれたから、今日のこと上に言うつもりは無いよ」
そう言ってとびっきりの笑顔を一つ。
「まぁ、埋め合わせって言ったらなんだけど、今日、飲むの付き合って。君の話し聞いてみたいし、飲み代ぐらいは私が出すし。10時に銀の鈴で。待ってるから。じゃね」
言うだけ言って出ていってしまった。嵐のような人だ……
でも、一方的に押し付けられた約束でも守らなくてはと、書類に目を通し始めた。
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「あーこっちこっちー」
9時40分。銀の鈴の前に行くと、既に上官は待っていた。職業病か、絶対に待ち合わせ時間の前には着いている。それが運転手だ。
「上官、お待たせしてしまいすみません」
謝ると、上官はあたふたしたように、
「君は遅れてないし、ここ公共の場だし、人一杯いるから、だからそんなに謝らないで、上官も止めて、恥ずかしいし」
「すみません……」
「また謝った」
このままだといたちごっこになる気がしたから僕は口をつぐんだ。
暫く気まずい沈黙が流れたものの、上官が歩き出しながら口火を切ってくれた。
「君、名前何て言うの? 」
「東野隼です」
「ひがしのはやて、か。なに? 君は東北新幹線の運転手になるために生まれたの? 」
「訓練生の時も、教官によく言われましたよ」
苦笑しながら応えた。
東野隼。JR七社が、互いの会社を区別するための誇称で、東日本は一文字目をとって『東』と呼ばれていて、『はやて』の方は東北新幹線の列車の愛称だ。
「でもそろそろ『はやぶさ』に喰われちゃうわね」
そう言って上官は笑った。
「私はね、北原時乃。上越新幹線の運転手が専門ね。」
「『とき』ですか」
「そうよ。私もよくからかわれたわ」
『とき』も『はやて』と同じように上越新幹線の列車の愛称だ。
「ところでえーっと、……なんて呼べばいいですか? 」
「時乃でいいよ。」
「時乃さん、どこに行くんですか? 」
僕たちは既に改札を出てしまっていた。
「んー新橋。」
「新橋……ですか。」
新橋は東京駅から二駅だけど、ここら辺の駅はそれぞれ一キロと離れてないから、歩くのも辛くない。
「そう。東京駅あたりだとこじゃれた店しかないでしょ? 私は『ガード下』って感じのとこがいいのよ。今日行く店は違うけど」
「だったら神田でもいいじゃないですか。」
すると時乃さんは左手をヒラヒラ振って
「あそこはダメよー変なおじさんがよく絡んでくるし、アキバも近いし」
納得。案外こう言う女性目線の意見は、男子からすれば目から鱗な事が多い。実際に駅構内での迷惑行為の改善とかはもっと女性の意見を取り入れるべきだと思う。
……話がそれた。
「じゃあ二十分ぐらい歩くけど、新橋でいい? 」
「はい。案内よろしくお願いします」
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「ここよ。」
いくつかの横丁を越え、裏道を通りたどり着いたのは小さな店。
居酒屋とも、パブともスナックとも、バーとも言えない、なんて表現したらいいんだろうか、洋風の定食屋というか、イギリスの片隅にありそうなカフェバーというか。自分の表現力に泣きたくなるけど、まぁとりあえず、年季の入った小さなレンガ造りの店だ。
「なんか……東京駅に似た感じがしますね」
「でしょ? ! よかったー共感してくれて。」
花が綻んだように笑う上官に、ドキンと僕の胸の鼓動が高鳴る。
「じゃあ、入ろっか」
声をかけられ、現実に戻る。
「あ、はいっ! 」
―カランコローン
ドア開くといい感じのカウベルの音が鳴る。
「マスター、こんにちは」
カウンターの中にいたのは小柄な男性で、髪の毛は白いけれど、伸びた背筋に大きく開かれた黒目がちの目、それに張りのある肌で、年齢が掴めない。五十代と言われても、八十代と言われても納得してしまいそうな雰囲気だ。
「あぁ時乃さん、お久しぶりですね。今日はお連れ様もいらっしゃる様で」
声もとっても若々しい。
「あぁ、部下連れてきたの。東野くんって言うの」
「東野隼っていいます」
一礼すると、マスターさんも優雅にお辞儀してくれた。
「そうですか。東野さん、これからご贔屓にお願いします」
そう言ってマスターさんは微笑むと、お水とおしぼりを手渡して
「今日は何にいたしましょうか」
と、聞いた。
時乃さんは間髪いれず、「本日のオススメ二つ。そらから、オススメに合う日本酒一瓶」と、応えた。僕に決定権は無いのか。「それでいいよね、ここの店はそれが一番美味しいんだよ」と、事後確認をされる。
僕は「いいですよ」と笑い、水を煽った。
マスターさんは「かしこまりました」と言ってお酒を置いて厨房に入ってしまった。
乾杯をした後、僕は聞いた。
「そういえば、僕から聞きたい話しってなんですか? 」
今日が初対面だったはずだったのに、いきなり聞きたい事なんて言われても、聞きたい事なんて直ぐにできるのだろうか。
「あぁ、あれ? あれは適当な言い訳だよ。ただ、なんとなく気に入ったから」
そんな理由で初対面の部下を呑みに誘うか? 普通。
「っていうのは嘘で、職権乱用して愚痴聞いてもらおうとしただけなんだけどね。東野くんって自分の意見を言い切ってくれる子で、責任感も強そうだし、聞き上手に見えたからなんだけど。どう? 当たってる? 」
どれもよく人に言われることなので、僕は頷く。
「やっぱり、私の審美眼に狂いなし。わざわざ在来線の子の方の詰所まで足伸ばした甲斐があったわ。本当は女の子にするつもりだったんだけどね」
そう言って時乃さんは笑った。
「でもなんで何で僕なんかに? 他に親しい人は……」
「東の新幹線の女性運転手なんてそういないし、みんな自分の事でいっぱいいっぱいなの」
「僕も結構いっぱいいっぱいなんですけど」
僕の言葉を華麗にスルーして時乃さんは続ける。
「それに男性職員には相談しにくいし」
「僕も男性職員なんですけど……」
「バカねー、新幹線の男性職員なんて、『これだから女性運転手なんか……』って言うっきりよ。だからわざわざ在来線の子探しに行ったのよぉー」
どうやら時乃さんは泣き上戸だったらしく、お酒が入ると共に、赤くなりながら眼に涙を浮かべていた。
「そうですか……新幹線の職員って大変なんですね……これからは僕が愚痴聞いてあげますから、もう泣かないで下さい」
「ほんと……? 」
涙で潤った眼で上目使いで、真っ赤な顔をして。さっきまでいた気丈そうな人の姿はどこにも
なかった。目の前にいる、不安や悩みを抱えた一人の女性を前に僕は純粋に、この人を守りたいと思った。
そう思った瞬間、心のどこかで恋に落ちる音がした。
一駅目うp完了っ!
終盤、母親にデータを消され、書き直したら、おかしな方向に走り始めました。こんなラストにするつもりじゃ無かったのに……これじゃ新橋にいる方が長いよ……
とにかく、29駅の恋愛のカタチ、書ききりたいと思いますっ
あと、このシリーズは短編集形式の予定ですので本編では書ききれなかった登場人物設定を後書きにちょこちょこ書いていきたいと思います。
東野隼(28)
山手線線の運転手さん。昔っから運転手になることは夢だった。
面倒見がいい。いい人すぎて、色んなとばっちり食らうタイプ。詐欺とか真っ先に騙される人。でも、精神的には強い子。
背が高くって、結構カッコいいんだけど、自分のルックスの良さに気付いて無い節がある。 多趣味。
北原時乃(34)
東日本の新幹線の運転手さん。女性で新幹線の運転手なんて、相当の努力家。
みんなから好かれる優しいお姉さんだけど、精神面はもっそい柔い。可愛い系の美人さん