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第一話

怪獣は、本来、街を踏みつぶすために生まれてくる。


少なくとも、怪獣研究所の資料にはそう書いてあった。


体長五十メートル以上。

咆哮ひとつで窓ガラスを震わせ、しっぽひと振りで高速道路をへし折る。


そういう存在であるはずだった。


なのに、その日、培養カプセルの中から出てきたそれは、どう見ても手のひらサイズだった。


「……え?」


白衣姿の研究員・橘は、自分のメガネを外して拭いた。


もう一度見た。


カプセルの底で、ちょこん、と小さな怪獣が座っていた。


頭には立派な角。

背中にはちゃんとギザギザの背びれ。

つぶらな目。

そして、ぷすぷすと、ほんの申し訳程度に煙を鼻から出している。


「これ、怪獣……ですよね」


「設計図上は、そのはずだ」


「サイズを十分の一じゃなくて、十分の一万で設定したとか……?」


「そんな初歩的ミスをするか」


主任は言ったが、声が震えていた。


怪獣は研究員たちを見上げると、


「ギュイ」


と鳴いた。


威厳はあった。


ただ、音量が圧倒的に足りなかった。


橘が恐る恐る指を差し出すと、怪獣はその指に前足を乗せた。


爪は鋭かったが、せいぜいホチキスの針くらいの迫力しかない。


「……かわいいですね」


「かわいいって言うな。怪獣だぞ」


「でもかわいいです」


「怪獣に対する敬意が足りん」


こうして、世界初の手のひらサイズ怪獣は、極秘扱いのまま第七飼育室に移された。



名前は、暫定的にKJ-08とされた。


だが、三日後には誰もそんな呼び方をしなくなっていた。


「おはよう、まめ」


「ギュイ」


橘がそう声をかけると、小さな怪獣はマグカップの陰から顔を出した。


主任が「コードネームで呼べ」と怒ったものの、その本人が夜中にこっそり「まめ、こっち来い」と呼んでいるのを橘は知っていた。


まめは、怪獣としての能力だけは一応そろっていた。


まず、火を吐く。


とはいえ、ろうそくを消せるかどうかくらいの威力である。


次に、破壊衝動がある。


だが、標的になるのは都市ではなく、もっぱらティッシュ箱の角だった。


さらに、縄張り意識も強い。


橘のデスクの左端が気に入ったらしく、そこに消しゴムを並べて巣のようにしていた。


「これ、本当に将来大きくなるんですかね」


「成長曲線では、理論上はなる」


「理論上」


「……理論上だ」


しかし一か月たっても、まめの体長は八センチからほとんど増えなかった。


世界を震撼させる兵器として国家予算まで投じた計画は、静かに失敗認定されかけていた。


上層部は不機嫌になり、会議室では険しい声が飛び交った。


「処分も検討しろ」


「データだけ回収できれば十分だ」


「失敗作にこれ以上コストはかけられん」


その話を、橘は偶然、扉の外で聞いてしまった。


夜、第七飼育室に行くと、まめはいつものようにマグカップの横で丸くなって眠っていた。


背びれが呼吸に合わせて、わずかに上下している。


橘はガラス越しに小さく言った。


「おまえ、世界を壊せないんだってさ」


まめは目を覚まし、


「ギュ」


と鳴いた。


「でも、おまえ、別に壊したくて生まれてきたわけじゃないよな」


まめは立ち上がり、ガラスに前足をつけた。


橘もそっと指を当てた。


ガラスを挟んで、肉球みたいな小さな足が重なる。


「……逃がしてやろうか」


もちろん、そんなことをしたら大問題だった。


国家機密の流出。

研究倫理違反。

始末書では済まない。


だが次の日、研究所は本当に大問題に見舞われた。



午前十時四十二分。


警報が鳴り響いた。


S級怪獣、沿岸部に出現。


スクリーンに映し出されたのは、教科書に載せたいほど典型的な怪獣だった。


全高六十メートル。

重装甲。

四足歩行から二足歩行へ移行可能。


咆哮で建物の外壁が剥がれ、戦車部隊が次々と吹き飛ばされていく。


「迎撃隊、壊滅!」


「第二防衛線、突破されました!」


「目標、都心部へ進行中!」


会議室の空気が凍りつく中、主任がつぶやいた。


「完成形だ……」


誰かが言った。


「もし、KJ-08が予定どおり育っていれば……」


「今それを言っても意味はない!」


そのとき、第七飼育室から、ぴいぴいと小さな非常ベルが鳴った。


管理画面に表示される。


KJ-08 檻内活動値上昇


橘が駆けつけると、まめは檻の中で前足をばたばたさせていた。


スクリーンに映る巨大怪獣の姿を見て、明らかに興奮している。


「どうした、まめ」


まめは橘の顔を見て、それから画面を見た。


そして一度、大きく息を吸った。


「ギュアアアアアッ!!」


小さい。


驚くほど小さい。


しかし、その声は、研究所中のモニターにノイズを走らせた。


次の瞬間、沿岸部の巨大怪獣がぴたりと動きを止めた。


「……え?」


モニターの前の全員が固まる。


巨大怪獣はゆっくりと首を巡らせると、まるで何かを探すように空を見上げた。


そして、もう一度まめが鳴く。


「ギュイッ!」


すると、六十メートル級の怪獣が――


しゅん、とした。


まるで叱られた犬みたいに、肩を落としたのである。


「な、何が起きてる」


「周波数分析! 急げ!」


「こ、これは……」


音響担当の研究員が叫んだ。


「幼体の鳴き声です!」


「は?」


「しかも、極めて高位の個体のものです。たぶん……怪獣社会でいう“王族”か、それに近い信号です!」


部屋が静まり返る。


橘はまめを見た。


まめはふんぞり返っている。


手のひらサイズで。


むちゃくちゃ偉そうに。


モニターの巨大怪獣は、そのままのそのそと方向転換すると、海の方へ帰っていった。



その日から、まめの扱いは一変した。


失敗作どころではない。


国家防衛の切り札。

怪獣抑止力。

対怪獣交渉担当特別顧問。


肩書きだけがどんどん増えた。


けれど、当のまめは、相変わらず橘のデスクでティッシュ箱の角をかじっていた。


「おまえ、すごかったんだな」


「ギュイ」


「でも、たぶん本人に自覚ないだろ」


「ギュ」


橘は笑って、ひまわりの種を一粒やった。


まめは前足で抱えて、しゃくしゃく食べる。


世界を壊すために生まれるはずだった怪獣。


けれど何かの手違いで、手のひらサイズで生まれてきた。


そのせいで街は救われたし、

そのせいで研究所は救われたし、

そのせいで橘は、少しだけこの世界を好きになれた。


窓の外では、夕焼けがビル群を赤く染めていた。


その巨大な景色を前にして、まめはデスクの上で胸を張る。


たしかに体は小さい。


でも、怪獣としての誇りだけは、誰よりも大きかった。

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